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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (五十二)

 表口での金時と星熊童子の戦いは熾烈を極めていた。この二人はともに素手であり、必然的に接近戦となったが相対するうちに金時は星熊童子の恐ろしさを初めて理解した。

 星熊童子の爪はあらゆるものを引き裂いた。そのことは頼光からも言い残されており頭では分かってはいたが、実際に対峙すればこれほどやっかいなものはなかった。星熊童子の攻撃は単純なもので、爪を立てて相手をひっかく、ただそれだけであった。だが単純であればあるほど、それを防ぐのは困難であった。なんとか爪にあたらぬようにするのだが、接近戦で相手の繰り出す手に触れぬようにするのは至難の業であった。しかもこの星熊童子は動きの速さは尋常ではなく、次から次へと繰り出される爪の攻撃は金時の肌を容赦なく切り刻んでいった。 

 だが優位にあるはずの星熊童子もまた、金時がただ人ではないことを感じ始めていた。一度、金時の拳が顔に飛んできて、それはなんとかかわすことができたが、その空気を圧する勢いたるや、食らえば頬骨が折れ、頭蓋が陥没するかと思われるほどの威力であった。万が一、この男に捕まれでもしたら、骨ごと引き裂かれてしまうに違いなかった。さらに星熊童子には別の懸念も生じ始めていた。金時という男の両腕が異常に黒く光り始めていたのであった。そしてその黒さは星熊童子の指と全く同じような漆黒の輝きを放っていた。 

――もしや、この男も鬼の力を得ているのではないか。だとすれば、この男の恐るべき力の理由も納得できる。だがなぜ人間が鬼の力を持っているのか―― 

 それが分からないのであった。不審な思いを抱きながら戦っていた星熊童子だが、この戦いを長引かせたくはなかった。なぜならここで討ち取らねばならぬはずの頼光は既にこの場を去り山頂に向かっていた。虎熊童子も卜部季武という男との戦いで手一杯と見えて、頼光を止めることができなかったようであった。もちろん山頂に茨木童子がいるのは分かっていたが、それは頼光たちと別れて山頂に迫らんとする渡辺綱たちを迎え撃つためであった。そのためにこそわざわざ残ったのだった。なればこそこの表口の戦いは星熊童子と虎熊童子に任せると命じたのだった。

 星熊童子は体こそ小さかったが四天王の中でも筆頭のものとして、あの偉大な御方にも認められていた。茨木童子に次ぐものとして扱われていた。その期待に答えることなく、肝心の頼光を易々と山頂に向かわせたのでは、茨木童子や偉大な御方の信頼に背いてしまうことになる。そんな無様なまねは決してできなかった。一刻も早くこの男を始末して、頼光を追いかけねばならなかった。そう思った星熊童子は捕まれる危険を犯してでも前に出て、金時の肌を切り裂かんと覚悟を決めた。決心した星熊童子は、さながら六本の手をもつ阿修羅さながらに左右、上下、斜めからと両手を縦横無尽に繰り出した。 

 金時は星熊童子の手を捉えんとしたが、その動きはあまりに速くとても掴めるようなものではなかった。やむなく後ろに引いたが、星熊童子の前に出てくる圧が強く、顔面に敵の爪が迫った。かわし切れないと思った金時はとっさに腕を交差させて顔を守った。その瞬間、星熊童子の爪が金時の腕に触れた。その勢いからして、星熊童子の爪は骨にまで達するかと思われた。

 だが金時の黒い腕は星熊童子の爪を完全に弾いていた。予想外の感触に驚いた星熊童子は慌てて後ろに跳ね、信じられぬとばかりに金時を見据えた。 

「……貴様、その黒い腕は」 

 両腕を交差させて頭を防御していた金時は、その言葉を聞くと今気づいたように自分の腕をしげしげと眺めた。 

「なんだか知らねえが、いつの間にかこんなに黒くなっちまいやがったな――おい、この黒い腕が一体何だというんだ。そう言えば、てめえの指先もずいぶんと黒いようだが、それとなんか関係があんのか」 

 星熊童子はそう語る金時を見定めるようにじっと見つめていたが、最後に低く呟いた。 

「……なぜかは知らんが、お前には鬼の力が備わっているらしいな」 

「鬼の力だと」そう言うと金時は鼻で笑った。 

「鬼を倒しに来た俺が鬼だっていうのかよ。とんだ笑い種だ。いい加減なことを言ってんじゃねえ!」 

 そう言うや、今度は金時が星熊童子に襲い掛かった。身構えた星熊童子だったが、金時の踏み込みの速さはさきほどまでの金時の動きとは雲泥の差があった。気づいた時には、金時の拳が顔面に迫っていた。かわせない、瞬時にそう思った星熊童子は無理に踏ん張って耐えることをせず、勢いに任せて後ろに跳んだが、金時の途方もない拳の力で十間の彼方まで吹っ飛ばされて巨木にぶちあたった。体中が悲鳴をあげていた。頭がふらついたが、なんとか顔を上げると、金時が月明かりを浴びて元の場に立っているのが見えた。そこに立つ金時を見た瞬間、星熊童子の目が大きく見開かれた。空に浮んだ大きな月は金時の全身を照らしていたが、黒くなっているのは腕だけではなかった。金時の丸太のような足までも黒く光り輝いていた。 

「なんだか体が妙なことになっちまってるようだが、却って好都合ってもんだ。鬼の力だろうがなんだろうが、俺に取っちゃ、強くなれるんだったら、なんだっていい――さあ、そろそろ決着をつけようじゃねえか!」 

 金時は手足が黒くなったことなど気にも留めていないように、そう叫ぶや、再び星熊童子に飛び掛かった。凄まじい速さであった。人を超える鬼の動きであった。星熊童子は必死に飛び起きて横ざまにかわしたが、その拳は背後にあった巨木を叩き折ってしまった。凄まじいまでの破壊力であった。金時は間髪入れず、今度は逆の腕で星熊童子の腹に拳を放った。その拳が星熊童子の腹にめりこんだ。その瞬間、腹をぶち抜かれたような衝撃に襲われた。肋骨の何本かが折れた。筋肉がちぎれ、血管は破砕し、細胞は一瞬にして圧殺された。そして、そのまま星熊童子は再び吹っ飛ばされた。 

「おい、鬼の力ってのは凄えもんだな」そういって、金時は自分の拳をしげしげと眺めた。星熊童子は大地に倒れ、しばらくは動くことすらできなかった。 

「おい、おめえは鬼なんだろう。俺と同じ力をもっているんだろうが。だったら、もうちょっと気合入れて来いや。てめえみたいな野郎が大江山の四天王などと威張ってるようじゃ、てめえらの大将も、案外たいしたことねえのかもな」 

 金時はぶっ倒れた星熊童子に向かってからかうように言った。その言葉に反応したのであろうか、星熊童子の体がふるふると震え、よろめきながらも立ち上がった。だが明らかにそれまでの星熊童子とは様子が異なり、もはや動くことすら容易ならぬように見えた。星熊童子は何やら下を向いて、ぶつくさと呟いていた。何を言っているのか金時は聞き耳を立てたが、あまりに小さな声で金時の耳には聞こえなかった。 

「どうやら、口をきく力も残ってねえようだな。それじゃこれで終いにしようぜ。今度、生まれてくるときは、鬼なんぞにならねえようにするんだな!」 

 そう言い放つや金時は大地を蹴った。だが同時に星熊童子もまた地を蹴っていた。刹那、まさに刹那の中で、二人の男が宙で交差した。星熊童子の顔面目掛けて振りぬいた拳は空を切っていた。その瞬間、金時は自分の胸が熱く焼けたように感じた。相手を捕らえ損ねた金時は、急いで後ろを振り向こうとした。だができなかった。さきほどまで体中に迸っていた力が、まるで空気が抜けたように失われていた。そしてそのままゆらりと大地に倒れた。倒れ伏した金時の胸から腹、まだ人肌として残っているその部分が星熊童子の鉤爪によって大きく抉られていた。その傷は心の臓にまで達し、血が噴水のように噴き出していた。だが星熊童子は、そんな金時を振り返りもせず、ただぶつぶつと呟いていた。 

「……あの御方を愚弄するな……あの御方は偉大な御方だ……私を救ってくれた偉大な御方なのだ……」そうして、そのままふらふらと歩き出した。 

「待てよ、てめえ! 待ちやがれ、まだ決着はついてねえぞ……」金時は、去り行く星熊童子の後ろ姿に向かって声をふり絞った。 

「……待てよ……くそっ、待てよ……」 

 声がかすれ視界は霞んでいった。霞んだ視界の先に体をゆらゆらと揺らしながら、とぼとぼと頂上に向かって歩み去っていく星熊童子の姿があった。 

 



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