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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (六十)

 洞窟の中を頼光と綱と貞光の三人が歩いていた。敵に気取られる恐れがあるため、あえて灯りはもたなかったが、皆当代きっての男たちであり、目は見えずともその肌で周囲の気配を完全に捉えていた。

 この奥に潜むは敵の首領。あの茨木童子や四天王たちをも従える鬼の王。いったい、いかなるものなのか。どれほどの強く、どれほどの力を備えているのであろう。以前、寛朝僧正たちが呪いをもって、その首領と対峙したことがあったが、法力では本朝随一とされる術者が集まったにも関わらず、為すすべなく敗れ去ったと聞いた。いずれ、尋常一様な敵ではなく、こちらも相当の覚悟をもって相対せねば、勝つことなど思いもよらぬであろう。洞窟を歩く三人が三人ともそう思っていた。その思いを胸に秘めつつ、全神経を集中させ、漆黒の闇の中を歩いていた。だが不思議なことに、この洞窟の中に流れる空気には、侵入者に対する殺気というものは感じられず、それどころか妙に懐かしい、いや愛おしさのようなものさえ感じられるのであった。 

 頼光たちが戦った四天王や茨木童子たちは、皆いずれ劣らぬ使い手であるのみならず、自らの首領のために己が命を賭して立ち向かってきた。それは綱も貞光も、季武も金時も五平とても同じであった。皆、主頼光のために命を賭して戦ってきた。皆、頼光という男の魅力、男気、夢、そうしたものに惹かれてここまで来たのであった。そして頼光もまた、自分に命を預けて付き従ってくれる仲間たち、自分を信じて都で待つものたち、そして自分の中にある強い思いのために戦ってきた。

 人と鬼、形は異なれど、その心は同じであった。皆、自身を超えた何かのために戦ってきた。己の欲得ではなく、はるかに気高いもののために戦ってきた。だからこそ命を捧げられる。さもなければ、どうして命を危険に晒してまで戦えよう。死の恐怖が待ち受けるいばらの道を、どうして先に進めよう。

 この奥にいるものもまた同じなのであろう。鬼どもの首領。そのものも己の欲ではなく、何かのために戦っているのであろう。だからこそ、茨木童子や四天王たちが心酔してやまないのであろう。人と鬼、互いが共存することはできないかもしれない。だが人であれ鬼であれ、何かのために命を懸けて戦っているのだということは理解できる。そのものもそれが分かっているのであろう。だからこそ、この洞窟の空気がこれほどに穏やかなのであろう。 

 いつか、頼光たちの体からも殺気は消えていた。いつか憎しみもどこかに消えていた。殺気も憎しみをなくなった後に体に残っていたのは不思議な一体感であった。ここにいる仲間、この先に待つもの、みな同じ宿命を背負わされたものたちであった。常人には想像することもできぬ重い荷物を背負わされたものたちであった。頼光も綱も貞光も皆、この場にいるものしか共感し得ぬ思いを胸に、ある種の心地よささえ感じながら、歩いていたのだった。 

 長く歩いたようにも感じるが、案外、わずかの間だったのかもしれない。三人が進む前方にうっすらと灯りが見えてきた。その灯りは遠くの岩肌をちらちらと揺らしていた。漆黒の中を歩いてきた頼光たちは急に現実に戻されたかのように一様に足を止めた。そしてすぐに我に返ると、自分たちの果たすべき使命を思い出しあうかのように互いに頷き合い、再び前に歩き出した。一歩、進むごとに灯りは大きくなっていった。
どうやら先には大きな空洞があるようで、その空洞の中から灯りが洩れているようであった。ただひどく静かだった。時折、カタ、コトと何かが触れ合うような音が聞こえてきたが、それとても静寂の中だからこそ聞こえてくる程度のかすかな音であった。そこに誰かがいることは確実であり、そこにいるものこそ、頼光たちが探し求めるものに違いなかった。だがそのものもまた、頼光たちを待ち望んでいたのかもしれない。これまでに多くの血が流れてきた。幾多の命が失われてきた。そのものたちも皆、泉下でじっと待っているに違いない。人と鬼、いずれが勝つのか。いずれがこの国の支配者となるのか。それを決する最後の舞台。多くのものたちが長きにわたって待ち望んだその戦いの舞台に、頼光たちはようやく辿り着いた。 
 
 三人が足を踏み入れたのは大きな空洞であった。天井は高く、横幅も広く、しかと見通すことができなかったが、おそらく人が百人も入るほどの大きさであった。だがそんなことより、三人の眼はある一点に釘付けになっていた。

 男が一人いた。その男は空洞の奥の他より少し高くなっている場所に敷かれた筵の上に腰を降ろし、こちらを見るでもなく、脇においてあったとっくりを手に取り、目の前に置いた杯に酒を注いでいた。筵の両脇には燭台が置かれ、蝋燭の炎がちろちろとその男の姿を照らしていたが、一見したところごく普通の人に見えた。虎熊童子のような巨漢でもなかったし、茨木童子のように頭に三本の角が生えているわけでもなかった。襤褸を一枚羽織い、下帯ひとつ締めているだけで、露わになった胸の肌色も少し浅黒くはあったが、人となにも変わらなかった。

 その男は頼光たちに気づいているのかいないのか、呷るように酒を飲み干すと、再び空いた杯に酒を注ぎ始めた。だがその姿を凝視していた頼光たちに油断はなかった。三人は互いに目で合図すると、三方から囲むようにゆっくりゆっくりと近づいていった。中央の頼光がちょうど洞窟の真ん中まで歩を進めたところだった。ずっと酒を飲んでいた男がようやく目を前に向けた。そして近づいてくる三人を眺め渡すと嘆じるように小さく呟いた。 

「……ここにそなたたちが現れたということは、茨木童子が敗れ去ったということか……だがやすやすとそなたらを通したわけではなさそうだな……今にも倒れんばかりな顔色をしているのが渡辺綱であろう。茨木童子はそなたの話をする時だけは、まるで子どもの如きに目を輝かせておったよ……茨木童子は望み通り、思う存分そなたと天下一をかけて戦ったと見える……茨木童子よ、長の年月、よく尽くしてくれた……」

 男はそう言うと、何かを思うように一度口を閉ざし、静かに目を閉じた。だがすぐさま目を開けると再び残りの男たちを見渡した。 

「……胸に傷を負っているのが貞光という男か。金熊童子の最期の想いがお前の体からまるで笛の音のように響いてくる。そして、お主が源頼光か。たった六人でこの大江山に討ち込み、ここまでたどり着くとは、敵ながらあっぱれな男。そなたさえいなくば我も黙って酒を飲んでいるだけで済んだのに……」 

 男はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。その手には何の武器ももっていなかったが、頼光たちは油断なく、それぞれ刀を構えた。だがそんな頼光たちを意に介するそぶりも見せず、男は傲然と頼光の方に近づいていった。あまりに大胆不敵なその姿に、中央の頼光と左側に回った綱は打ち掛かるか様子を見るか一瞬迷ったが、右手にいた貞光はその一瞬の迷いもなかった。貞光はまさに稲光のように男に切り掛かっていた。貞光の剣速は金熊童子との戦いでも遺憾なく発揮されたが、まさに当代随一のものであり、そのことを自分自身よく知っていた。受けに回るより、攻めて攻めて攻め抜いて勝つ。それこそが貞光と言う男の戦い方であり生きざまであった。貞光が撃ち込んだ剣の速さは蝋燭の仄かな灯しか光源が無いこの洞窟の中では、頼光や綱の眼をもってすらしかと捕らえられなかった。 

 斬ったか! 

 二人がそう思った瞬間、鈍い音が鳴り響いたかと思うと、貞光の体は吹っ飛ばされていた。それは見事というしかない体技であった。男は左から撃ち込まれた貞光の剣をまるで舞を踊るかのように右足を軸にくるりと回ってかわすと、その回転の勢いをもって、左足で貞光に強烈な蹴りを放ったのだった。何が起こったかわからず、いきなり三間もふっとばされた貞光だったが、とにかく立ち上がろうとした途端、鋭い痛みが全身を襲った。男の凄まじい蹴りは、止血していた貞光の胸の傷を再び開いていた。 

 だが頼光と綱は貞光に目を移すことすらなかった。二人が二人とも通じ合わせたかのように瞬時に動いていた。綱は体勢が整わぬ男の背後に向けて剣を撃ち込んでいた。頼光はするすると綱と真逆の位置に動いていた。男が綱の攻撃を受けようとすれば、がら空きになる背後から頼光が討ち込むことができる。綱の攻撃を無視して頼光に面すれば、綱の必殺の剣は必ずや男の体を切り裂くはずであった。それは長年、ともに武技を磨いた頼光と綱の阿吽の呼吸からうまれた完璧な攻撃であった。絶対にかわしようのない一撃だった。 

 綱の剣は見事男の背中を撃っていた。だが綱の手に跳ね返ってきた反動は意外なものであった。まるで石に刀を撃ち込んだような固い衝撃が返ってきたのだった。そして男は綱の剣に構うことなく、目の前の頼光に殴り掛かっていた。綱の攻撃をものともせぬ男の対応に驚いた分だけ、頼光の動きが一瞬遅れた。男の拳がうなりをあげて頼光の顔面に迫った。だが一寸の見切りを得意とする頼光はこの拳を紙一重でかわした。だが男はかわされることを予期していたというのか、さらに一歩踏み込んで、今度は頼光の腹に拳を撃ち込んだ。今度はかわせないと思った頼光だったが、それでも反射的に身を引いて、その衝撃を減じようとした。予想通り、拳が鎧にぶち当たった。それは想定の内であった、そのはずだった……だがその衝撃は頼光の想定をはるかに超えていた。

 鎧をきているにも関わらず、巨大な木槌で叩かれたような凄まじい衝撃が体を襲った。肋骨が折れる音が体内に響いた。肺が圧迫され、行き場のなくなった空気が一気に口から洩れ出た。頼光が着ていた鎧、それは秀郷から譲り受けた鎧であった。いかなる太刀も傷一つつけることができない鎧であった。それを身に着けていたからこそ、拳をあてられてもよいと見越して動いたのだった。男の一撃はそんな頼光の思惑をも粉砕した。だが、そんなことに頓着している暇はなかった。頼光は次に来る男の攻めに備えようと構えなおした。しかし意外なことに男の攻撃は、今度は綱に向かって放たれていた。男は頼光の腹に拳をあてるや、今度は後ろも見ずに背後の綱に向かって蹴りを放っていたのだった。しかし綱もさるもの。自身の一撃が効かぬと見るや瞬時に身を引いていた。その咄嗟の判断が功を奏し、その蹴りはぎりぎりのところで綱には届かなかった。貞光が切り掛かってから綱が男の蹴りを交わすまで、ほんの一瞬のことであった。そのほんの一瞬の間に男は天下に名だたる三人の攻めを防ぎ、それどころか信じがたい打撃を与えたのだった。 

「……さすが、ここまで辿り着いただけのことはある……頼光、その鎧はどうやら秀郷から譲り受けたものであろう。だがその鎧、鋼は弾けども、我が拳を防ぐことはできぬ。そなたならばこそ立っているが、おそらく肋骨の一本か二本は折れたであろう」

 勝ち誇ったわけでもなく、男は静かにそう言った。頼光も綱も、そしてなんとか立ち上がった貞光も、その言葉の前に沈黙するしかなかった。たった一人残った鬼の首領。何か既に勝ったような気になっていた。だがそれは大きな間違いであった。三人の前に立つ男。それは茨木童子や四天王をはるかに凌駕する鬼の王であった。 

 

 

 

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