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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (六十一)

「……綱の剣を弾くとは……貴様もあの星熊童子と同じ力を持っているようだな」

 肋骨が折れた痛みを感じさせぬように頼光が言った。男は、今にも飛び掛からんばかりの貞光や寸分の隙も見せない綱らをぐるりと見回したが、再び頼光に視線を戻すと静かにしゃべり始めた。 

「……この力か……おそらくこの力は貴様ら大和のものどもに踏みにじられた古き民たちの積もり積もった恨みの念が我らに与えたものなのであろうよ……」 

「古き民だと、貴様たちはもとは人間だというのか」頼光が驚いたように言うと、男の眼に鋭い光が走った。 

「そうだ。蝦夷、熊襲、東夷、土蜘蛛、貴様らが忌み嫌うこれら古き民こそ、鬼たちのもとの姿。彼らは、かつてこの国で平和に暮らしていた。それを貴様ら大和のものどもは異形のものと決めつけ、ただ己が欲の赴くまま、略奪し、虐殺し、踏みつぶしてきた」 

「貴様は、そのものたちの生き残りだというのか」 

 男は頼光の言葉を聞くと、かすかに笑った。 

「……生き残り……確かに、そうなのかもしれんな……太古の昔に大和に敗れ去り、長い間獄につながれていたが、思いもかけずこの世に蘇ったのだからな」 

「茨木童子は、貴様を千年の眠りから呼び起こしたと言ったが、それはどういうことだ」男の背後で刀を構えていた綱が問うた。 

「……茨木童子……あのものがいなかったら、我は今でも出雲の地の底で軛につながれたままであったろう……茨木童子は我を千年もの間、縛り付けていた封じを取り除き、命を与えてくれた……」 
 
 出雲の国に不思議な神社がある。出雲大社と呼ばれるその社の歴史は古く、我が国最古の歴史書である古事記によれば国津神が天津神に国を譲り渡す条件として造られたとされ、これが出雲大社の由来とされている。つまり出雲大社とは、かつてこの国を支配していた国津神を御神体とする神社なのだが、この神社には他の神社にはない様々な謎がいくつもある。例えば二礼二拍手一礼というのが一般的な神社の参拝の仕方だが、出雲大社では四拍手をもって参拝の法となす。また注連縄も一般的な結い方は結い始めが右にくるのだが、出雲大社では反対に左が結い始めになっている。社殿の造りも通常は南を面して御神体があり、参拝客は御神体を正面から見るように南側から参拝するのが通例であるが、出雲大社では、なぜか内部の御神体は西を向いておられ、参拝客は知らず知らず横向きのご神体を拝んでいることになる。四が死に通じているのはよく知られているが、左が不吉なイメージをもつのは、死装束においては襟を左前にすることや、ごく最近まで左利きが忌避され、わざと右利きに強制されたことがある時代があったことを知る人にとってはなじみのあることかもしれない。また西は日が沈む方向であり、仏教において西方浄土というように西はこの世を離れたものたちの住むところであるという思想があったのもよく知られた事実であろう。この神社が、どのような思惑をもってつくられたのか今では知る由もないが、こうしたことを考えると、出雲大社がいかに死のイメージにあふれているか感じられると思う。 

 また、平安時代の口伝によれば、当時の大きなものを指す言葉として「雲太、和二、三京」というのがあったそうである。つまり、当時の建造物のベスト三は、一位が出雲大社、二位が東大寺の大仏殿、三位が平安京の大極殿ということを示しているのだそうだ。東大寺の大仏殿は今でもその大きさを誇っているが、なんと出雲大社はその大仏殿よりも大きく、一説によれば、その高さは十六丈とも三十二丈とも言われている。もし十六丈だとしても、その高さは四十八メートルとなり、十五階建ての高層ビルの高さと同じである。天皇が住まう在所よりも仏を祀る住居よりも高く作られた出雲大社。こうした様々なことから出雲大社は国を奪われた国津神たちの怨霊を鎮めるために建てられたとする学説もあり、それもむべなるかなというべきか、閑話休題。 
 
 月が空に浮かんでいた。その月のすぐ下に、信じがたいほど巨大な社があった。その巨大な社はまるで空に浮かんでいるようで、その社に向かうために据えられた階段は何段あるのか見当もつかぬ程であった。京を離れ、ようやく出雲の国に辿り着いた茨木童子は、しばらくその巨大な社を見上げていたが、ようやく眼を下に降ろすと、不意に前に歩き出した。だが階段を登ろうとはせず、なんとその社を支える巨大な柱のもとに向かって歩き出していた。辺りには人一人おらず、茨木童子は周囲を眺めつつ苦笑気味につぶやいた。 

「……警備のものが一人もおらんとはな……いまや、大和自身、この社の真の意味を忘れてしまったと見える……あるいはもはや大和に敵するものはいないという慢心の表れか……まあどちらでも構わぬが、こちらにとっては好都合……」 

 茨木童子はそうつぶやきながら歩を進めると二抱えはありそうな巨大な柱が幾本もそびえたつ社の真下で足を止めた。そこには妙に場違いな石が据えられていたが、よほど大きな石と見えて、おそらく地面の中にまで食い込んでいると見えた。

 茨木童子は憎々し気にその石を見るや手にしていた槍を石に突き下ろした。穂先が石にぶつかった瞬間、まるで人の悲鳴のような音が空に響いた。その音を聞いた茨木童子はかすかに口角をゆがめたがさらに槍をぐりぐりと石にめり込ませ始めた。すると岩は再びひきつったような音を出した。金属がきしむようなその耳障りの悪い音が辺りに木霊すると、辺りに潜んでいた鳥も獣も虫たちも皆身を震わせて、穴倉に逃げ込んだ。だが茨木童子だけは岩が苦しみの音を上げれば上げるほど歓喜の想いに身を高ぶらせた。その想いがさらに槍を握る手に力を与えた。必死に耐える石、それを破壊せんとする鬼。だが所詮、石に勝ち目はなかった。

 その石はその下にあるものを押さえるためだけにここに置かれたのだった。この下にあるものに対し永劫に重荷を背負わせるために封じとしてここに据えられたのだった。まさか上から攻撃を食らうなど想像もしていなかったに違いない。茨木童子がめり込ませた槍がぐりぐりと岩を砕き、ついにその穂先が岩を突き抜けた時、それがまさに最後だった。その瞬間、石の表面に蜘蛛の巣のような亀裂が走ったかと思うと、次の瞬間には微塵に砕けていた。 

 
 いつの間に現れたのか、崩れさった岩のそばに男が倒れていた。茨木童子はその男のもとに駆け寄ると、急いでその男の体を抱き起した。その男の肌はどす黒い紫色に染まっており、やつれ切ったその顔からは生気が完全に失われていた。茨木童子はその様を見ると目に涙を滲ませた。 

「……あなたほどの御方がこのようなお姿になられようとは……どれほどお辛かったことでございましょう……どれほど、お寂しい思いをされてこられたことでしょう……たった一人、たった一人であなたは苦しんでこられた……私たちの命を贖うために、千年もの間、これほどの苦しみを背負ってこられた……」 

 茨木童子の眼から溢れんばかりの涙がこぼれていた。頬を濡らすその涙は冷え切った男の額にぽつぽつと落ちた。 

「……我が古き民の長よ、かつてあなたと我ら古き民は大和と激しい戦いを繰り広げてきました……しかし、謀略に長けた奴らは力では勝てぬと知ると、間諜を放ち、我らの心に疑心を生み出させていきました……そうして、我らの結束は弱まり、あなたは次第に孤立していきました……だが、比類なき力を持つあなたを屈服させることは、あの大和をもってしても適わぬことでした。結局、業を煮やした奴らは、あなたに選択を迫った……降伏すれば、お前の民は大和の民として生かしてやる。さもなくば一人残らず皆殺しだと……あなたは……あなたは何の迷いもなく降伏する道を選びました。あなたほどの御方が、大和の前に腰を屈め、頭を地べた下げたのでした。そして大和はそんなあなたをさらに辱めるためにあなたの爪を剥がし、髻を抜き、この地に放逐し、千年もの間、地の底に縛り付けてきたのでした……」そう言って、茨木童子はさめざめと泣いた。 

「……あなたはそれほどまでに我が民を愛しておられた……愚かな我々はそんなことも知らず、己が命惜しさに、あなたをお救いすることができませんでした……あなたとともに重荷を背負おうとするものすらいませんでした……結局、愚かな我らはその代償を払うこととなりました。この千年もの間、我らは大和から異形のものよと人に非ざる扱いを受け、いわれのない差別と虐待の中で生きてこざるをえなくなったのです……お笑いください、これがあなたを裏切った愚かな民の今の姿なのです……我々は愚かでした。我らは卑劣でした……そんな繰り言をいったところで何を今更とあなたは言うかもしれません……ですが、ですが、我が主よ、大和のものどもの慢心はいよいよ極まり、いまや天にまで届く勢いです。そして、そんな彼奴等の天下の下で生き残った我らは、わずかの希望もなく塗炭の苦しみの中で喘いでおります。主よ、どうかもう一度、もう一度だけ我らのためにお力をお貸しください。この国に眠る数多の古き民の魂が、あなたを仰いで戦いたいと地の底から叫んでいるのです。その叫びが私を生み、私をこの地に赴かせました……我が主よ、もちろん、ただではとは言いません。これほどの苦しみを負うたあなたに対し、我らも相応のものを差し上げねばなりません。我が民が今度こそあなたを主と仰ぎ、この世が尽き果てる迄、ともにあらんことの証を示さねばなりません。我が主、素戔嗚よ! どうか受け取ってください。これがその証です!」

 茨木童子はそう言うや、突如、己が手を天に突き上げ、そして今度はその手を左胸に突き立てた。その手はぐりぐりと胸にめり込み、心の臓をむしり取るや、やつれ切った男の胸に恭しく置いた。 

「……こ、これが、わ、われらが民からのせめてばかりの償い……ど、どうか、わたしの命に免じて、我が民を今一度、今一度守り給え……」茨木童子はそれだけ言うと、男の上に被さるようにゆっくりと倒れていった。 

 
 どれくらい経ったろう。茨木童子の眼が開いた。だがさきほどとは逆に、茨木童子は誰かに抱きかかえられていた。そして目の前には茨木童子の顔を覗き込む一人の男の顔があった。その男は浅黒く、眉太く、鋭く光る大きな眼を持っていた。なんとも穏やかな面持ちを持つ男であった。 

「茨木童子よ、お前の想い、確かに受け取った。だがお前のような男をみすみす死なすわけにはいかん。お前からもらった命だが半分はお前に返した。お前は俺と共に生きねばならん。ともに戦わねばならん。お前とてそれを願っているであろう」男はそう言うと、にこやかに微笑んだ。なんとも魅力的な笑顔であった。その笑顔を見ているだけで生きる力が沸き上がってくるようであった。いや真実、体中に力が漲っていた。今まであった力をはるかに凌駕する力が滾々と体中に溢れていた。茨木童子は促されるように男の前に立った。 

「主よ、貴方様にいただいたこの命。決して無駄にはいたしません。この命をもって、大和を壊滅させてご覧にいれます。主よ、あなたのお手を煩わせることなどさせません。あなたが我らの上に座しておられるだけで、我らの意気は天をこがし、その力は山をも抜きましょう。どうかこの茨木童子に全てをお任せください」 

「茨木童子よ、せっかく蘇った俺にただ黙って酒でも飲んでみておれというか……ふふ、それも良かろう。ならば全てはお前に託そう。お前は俺にもらった命というが、もとをただせば、この命もお前にもらったもの。ならばこの身はお前たちのもの。好きにするがいいさ」男はそう言うとははと笑った。そして、それを見る茨木童子の顔にも笑みが浮かんでいた。

 
 空には相変わらず月が浮かんでいた。昔も今も何も変わらぬように輝く月。その月は千年の時を経て復活した男と千年の間積もり積もった宿願を負った男を煌々と照らしていた。

 

 

 

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