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【平安を舞台にした和風ファンタジー】『異形の国』 (六十四)

 最強の武神に止めをささんと綱が刀を上段に構えた。これで全てが終わる。綱がそう思った時だった。何者かが綱の背後を襲い、首筋から背中の肉を抉り取った。綱は言葉もなく、崩れ落ちた。その後ろには星熊童子が立っていた。 あの男の恐ろしい鋼鉄の爪が、綱の首筋から背中の肉を一気に抉り取ったのだった。たった一瞬のことであった。だが、そのたった一瞬の間に、天下最強と謳われた渡部綱の命はこの地上から失われた。綱がその生涯の最後に見たのは、目を大きく見開き呆けたようにこちらを見つめる頼光の姿であった。 

 頼光は己の眼が信じられなかった。あの綱が自分の目の前で死ぬなど夢想だにしなかった。主従の間柄ではあったが、頼光は綱を部下とは思っていなかった。ともに武の道を極めんとする同士であり、いかなることでも腹を割って話ができる友であった。武家の棟梁であった頼光は武の道を究めるだけに身を費やすことはできなかった。政治ということにも関わっていかねばならなかった。そうしたこともあり、頼光は、少しづつ武の道から離れていかざるをえなかった。だがそこには自分の代わりに綱がいるという理由もあった。綱という男ならば、きっと自分よりも強くなれる。自分をはるかに凌駕するほどの男になる。そう思わせるだけの威風が、若き日の綱には既に備わっていた。そしてその期待どおり、綱はいよいよ成長し、数年を経る頃にはその佇まいは沈着にして冷静、しかし一たび剣を取れば、その太刀は神速にして豪放、まさに天下無双の男として天下に名を馳せるようになったのだった。 

 だからこそ綱がともにいれば負けることなど決してない。相手が鬼であろうが、悉く、斬り捨ててくれる、そう確信していた。事実、これまでどんなに苦しい時でも、綱と一緒であれば乗り越えることができた。この戦いにおいても、あれだけの傷を負ってさえ、渡辺綱は決して諦めることなく、素戔嗚という恐るべき鬼神を相手に勝機を見出し、たった一瞬の隙をついて、目にも見えぬたった一点を貫き、素戔嗚の鎧のような体を砕き、勝利することができた。その綱が頼光にたった一言の別れの言葉も言うことなく崩れ落ちたのだった。 
 
 倒れた綱の後ろに立つ星熊童子はまるで妖鬼のように目をギラギラと光らせ、全身から血の匂いを漂わせていた。その血の匂いが瞬時に別な思いを頼光の胸に呼び起こした。波多野五平、秀郷が死んだ際に頼光の家人となることを誓い、七十を超える老体にも関わらずこの大江山に共に付き従ってくれた。常に頼光の背後を守り、ついには頼光の盾となって死んでいった。その意思は金時に引き継がれ、頼光を山頂へ進めるために頼光に代わって金時がこの鬼と戦っていたはずであった。その鬼が目の前にいて、今また頼光の最愛の友の命を奪った。 頼光の中で何かが切れた。その瞬間、頼光の体が動いていた。流れるような頼光本来の動きとはまるで違う、本能剥き出しの飢えた獣の如くに星熊童子に襲い掛かっていた。血走った眼でその動きを見ていた星熊童子は山腹での戦いの時と同じように、両手で刀を受け止めんとした。だが頼光の速さは星熊童子の予測をはるかに凌駕した。 

 頼光の太刀は星熊童子が両手を伸ばすより早く、星熊童子の顔から胸を一閃していた。吹き出した血が頼光の顔に飛び散ったが、頼光はそんなことで止まらなかった。二の太刀で、星熊童子の腹を薙ぎ、三の太刀で胸を割った。そして、最後の一刀が星熊童子の首筋を切った。虚ろな目つきをした星熊童子がゆらゆらと揺れ、そして倒れた。そこは素戔嗚が崩れ落ちたすぐそばであった。素戔嗚はもはや息が尽きたのか、膝を地面についたまま石像のように固まっていた。頼光はこのまま素戔嗚の首も一閃せんと飛び掛からんとした。そのときだった、星熊童子の黒い手がかすかに動いたと思ったら、絶え入るような声が耳に聞こえてきた。 

「……あなたにいただいた命、ようやくお返しするときがきました……どうか、わたしたちのようなものでも、幸せに暮らせる世の中をおつくりください……リーリア、もうすぐ、僕もそっちに……」

 言葉が途切れたと同時に、星熊童子の手が素戔嗚の膝の上にだらりと落ちた。 
 その瞬間、星熊童子の体からまばゆいばかりの光が放たれ、その光が素戔嗚の体をも覆った。あまりのまばゆさにほんのわずかの間、目をそらした頼光だったが、再び目を開けようとしたとき、意外な声が聞こえてきた。 

「……星熊童子、いやステラよ……遠き異国からこの国に流れ着いたお前にとって、リーリアだけが、この国で生きる唯一の支えであったのだな……ステラ、青い目をした哀しい男よ、お前に預けた命、確かに受け取った。そしてお前の哀しみと願いもまた、この体に刻まれた……茨木童子よ、いままた俺たちの仲間が散っていった。だがお前たちの想いが、この体に渦巻いている。お前たちの叫びがこの体を動かす。とうとう俺一人になってしまったようだ。だが、ただでは死なん。この身と引き換えにしてでも、お前たちの願いはきっとかなえてみせる」 

 まさかと思った。だがその声は確かに先刻まで聞いた声だった。頼光がまぶたを開いた先には星熊童子の骸は既に消え去り、一人の男が強い光をもった眼で頼光を見据えていた。その体には傷一つついておらず、その皮膚は一層黒さを増して怪しく光っていた。綱の一命をもってして、やっと仕留めた最強の鬼の王、素戔嗚が再び命を取り戻した。 

 
 綱は死に、貞光も半死半生の体でぴくりともしなかった。星熊童子がここに現れたということは季武も金時も敗れ去ったということを意味していた。それすなわち目の前にたつ古の武神は、頼光一人で倒さねばならんということであった。だがやるしかなかった。それがここに来るまでに散っていった男たちに報いる唯一の道であった。頼光は愛刀膝丸を構えた。素戔嗚もまた頼光に対峙したが、その目には慢心の色は全くなかった。人と鬼、立場は違えど、ともに大きなものを背負ったもの同志、勝負を決する最後の時、己の力の限り戦う、二人の心にあるのはただそれだけであった。 

 素戔嗚が動いた。一発、二発、三発、拳の連打が雨あられと頼光の顔目がけて飛んでくる。しかもただの拳ではない、一撃一撃がとてつもなく重く、唸りを上げる。かすっただけで骨が砕ける一撃の連続。だが、かわす、かわす、かわす、流れる水のごとくにかわす。無駄な動きを削ぎ落した間髪の見切り。頼光とて傷を負い、体力を消耗しているはずであった。だが気力は充実し、力が滾々と湧いていた。最強の相手と対峙し、頼光の業もまた、至高の領域に到達していた。 

 だが受けるだけでは勝てない。攻めなければこの武神を倒すことはできない。右の拳、左の拳、右の拳、三度の拳を交わしきった瞬間、膝丸が稲妻のように旋回した。その刃先は、素戔嗚の右腕にめり込んでいた。だがやはり傷一つつけることができない。再び、右腕、左腕、右腕の三連の拳が放たれた。頼光は今度も交わした。そして、さきほどと同じように膝丸を振りぬいた。再び、素戔嗚の右腕に刃が刺さった。だがさきほどと同じく断ち切ることはできない。三度、素戔嗚が右、左と拳を繰り出した。
頼光は狙っていた。綱が死を賭して教えてくれた唯一の道。鉄壁の黒い肌に傷を負わせる唯一の方法、それは寸分の狂いなく、一点に集中して攻撃を与え続けるということであった。頼光は二度、素戔嗚の右腕に刃を立てた。その場所はまさに二度続けて膝丸が切りつけた個所だった。顔面に喰らえば一発で頭蓋が粉砕される拳の連打を前にして、頼光は恐れを捨て去り、冷静に攻撃の刃を放っていた。右、左と続く、右の拳。その拳を交わしつつ、三度同じ個所を切りつける。それを狙った。だが、来るはずの右の拳がこなかった。素戔嗚は頼光の狙いを読んでいた。右拳を放つと見せかけ、左拳を振りぬいた勢いそのままにくるりと回転し蹴りを放った。

 意表をつかれ、さしもの頼光もその一撃を交わすことができなかった。巨大な丸太でぶっ叩かれたような凄まじい衝撃が頼光を襲い、そのまま洞窟の壁までふっ飛ばされた。鎧が岩にぶつかる激しい音とともに、肋骨が折れる嫌な音がした。すでに何本か折られていたが、その折られた骨が内臓をさらに傷つけたようであった。はりつめた気力のおかげで感じなかった痛みが、全身を襲ってきた。疲労も限界であった。息を吐くのもやっとの頼光の前には、傷一つなく、全身から濛々と気を立ち込める素戔嗚の姿があった。 

 

 

 

 

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