こつこつと音がした。人の足音であった。意外な音を聞き、素戔嗚と頼光の視線がそちらに向いた。すると暗闇の中からのっそりと一人の男が現れた。頼光は息を飲んだ。それは金時であった。だが何か雰囲気が違っていた。その目は何か別のものをみているようであった。その体は素戔嗚と同じく、全身黒色におおわれていた。金時はそのまま歩き続け、素戔嗚の前に立った。そしてなんと素戔嗚の前に膝を屈した。
素戔嗚はこの場に現れた新たな男の出現に驚いた風もなかったが、金時を一目見ると感に耐えぬとばかりに呟いた。
「お前が熊童子を倒した男か……不思議なことよ、お前の体から茨木童子と同じ匂いがする。どうやらお前の体の中には、我らと同じ古き民の血が流れているのであろう――お前の名は?」
「金時」金時は低い声で言った。
「金時よ、お前に聞こう。お前はどちらの側に立つ」素戔嗚は金時を見定めるように鋭い目を向けた。
「俺は……俺は……鬼の血をひくもの」
頼光はその言葉を信じられぬ思いで聞いた。
「金時! 金時よ! いったいどうしたのだ!」思わず声が出ていた。
「金時、俺を忘れたのか! 俺との約束を忘れたのか! お前は、日本一の男になるんだろう。そして俺と一緒にこの国を変えるんだろう」
だが、その言葉は金時の耳には届いていないようであった。
「金時よ、お前がこちら側に立つというなら、その証を見せよ。お前のかつての主に止めをさせ」素戔嗚の声が洞窟に無常に響いた。
その言葉とともに金時が立ち上がった。そして頼光の前に来ると、もはや立つことすら適わぬ頼光を見くだした。その目は異様に赤く光り、いつも明るく笑いを絶やさぬ、あの金時とはまるで違っていた。金時の目がかっと見開き、頼光の右腕に強烈な蹴りを入れた。あまりの衝撃に後ろの岩盤が崩れ落ちた。砂煙が立ち込める中、頼光の腕はぐんにゃりと曲がっていた。骨も肉も粉砕され、もはや刀を持つことはできぬと思われた。だが頼光は痛みなど感じなかった。全ての力が失われかけていたが、最後の力を振り絞って金時に語りかけた。
「金時よ、確かにお前の中には鬼がいる。だが俺の中にも鬼がいる。綱の中にも、貞光の中にも、季武の中にも五平の中にも鬼がいる。みんな同じなんだ、みんな鬼を抱えて生きているんだ」
聞きたくないとばかりに金時が頼光の腹を蹴った。鎧越しの衝撃が傷ついた肋骨をさらに痛めた。だが頼光は言葉を止めなかった。
「人の心にあるのは鬼だけじゃない。自然を愛でる、友と笑う、人を愛する、それは仏の心だ。お前はそうした心を人一倍もっているはずだ、そうであろう!」
再び、金時の蹴りが頼光の腹を見舞った。もはや頼光は地に倒れ伏していた。だが顔だけは金時を見上げていた。金時の心に届とばかりに声を紡いでいた。
「金時よ、いや、お前の中にいる鬼たちよ! お前たちの望んだものはただ憎むことか、殺すことだけか、そうではなかろう、お前たちが本当に望んだこと、それは、喜びをもって生きることではなかったのか! 愛するものたちと手を携えて、ともに命を紡いでいくことではなかったのか!」
「うるせえ!」
初めて金時が叫んだ。そして二度と口を開かせぬとばかりに、大きく足を振り上げ、頼光の頭を踏みつけんとした。
だが足を上げることができなかった。誰かが足にしがみついていた。貞光であった。貞光が必死に金時の足を抑えていた。
「金時! どうしたってんだ! てめえ、俺と天下一を競い合うんじゃなかったのか!」
「うれせえ! うれせえ!」
叫び声とともに、今度は貞光の腹に蹴りを入れた。貞光もまた満身創痍であった。胸からは血が溢れ、もはや満足に動ける体はなかった。だが貞光もまた声を限りに叫んでいた。
「金時! てめえ、このまま鬼になっていいのかよ!」
「てめえは鬼なんかじゃねえ、てめえは阿呆だ、ただの阿呆だ、だが最高の阿呆だ、おりゃ、そんな阿呆のてめえの方が大好きだ!」
「戻ってこい、てめえには、そんな怖え面は似合わねえ、そうだろ、それにそんな面したてめえを見たら、桔梗がなんて思う、そんな面して、桔梗の顔を見れるのかよ! 桔梗にまでそんなあさましい姿をさらすつもりなのかよ!」
「うるせえ! うるせえ! うるせえ!」
金時が絶叫し貞光を踏みつけんとした。だがそんな金時の中でたくさんの声が渦巻いていた。頼光の声、貞光の声、そしてどこからか、また別な声が聞こえてきた。
――金時どんよ、今、秀郷の殿と一緒に酒を酌み交わしながら、あんたの噂をしていたところじゃ――
――短い間だったが、あんたは優しい心をもった男だ、誰よりも人の心をもったいい男じゃよ――
――あんたにそんな顔は似合わないよ、そうじゃろ金時どん――
また別の声が聞こえてきた。
――金時よ、お前とは一度でいいから本気の力比べをしたかったぞ――
――俺はようやっと分かったよ、鬼も人も結局一緒だったわ――
――お前が本当にしたいことはなんだ、お前の望みとは天下一になることであろう、鬼のままじゃ、天下一になることはできんぞ、俺の友がそういっておったわ――
重なるようにまた言葉が聞こえてきた。
――金時よ、天下一とは果てしないものだな。極めても、極めても、また先に道がある。でも、だからいいのかもしれない――
――超えなければならないものは敵ではない、自分だ、弱い自分だ、昨日までの自分だ
、金時よ、そんなところにとどまるな、そんなところにとどまっていては、到底、天下一になどなれぬぞ――
そしてもう一人、どこか遠くから、なにやら清らかな音曲にのって、金時に向かって話しかけるものがいた。
――金時、私はあんたが誰であろうと、鬼の血が流れていようと気にしない。金時、あんたはあんただ。いつも元気で、人を幸せにするとってもあったかい人だ――
――いつか、あんたが生まれた足柄山にいってみたいんだ。あんたを育てたおっかさんに会ってみたいんだ。あんたをどれほど愛して育てたのか聞いてみたいんだ――
――金時、あんたは私がいなきゃ、だめな男だからさ。だから、だから必ず、私のところに戻ってきて――
貞光を踏みつけんとした貞光の足があがったまま止まっていた。もはや頼光も貞光も気力を使い果たしたと見えて、死んだように動かなかった。
「……どうした」ずっと金時の様子を見ていた素戔嗚の声が響いた。
「やめた……」金時がふっと呟いた。
「……やめただと」
「ああ、俺の中には鬼がいる、俺の中に鬼たちの叫び声が渦巻いている。今でも、そいつらが叫び声をあげてやがる。そりゃ、違いねえ……でも……」
「でも、なんだ」
「そいつらと同じように、別な声も響いてくるんだ。大事なやつらの声がさ――おりゃ、そいつらの声を捨て去ってまで、鬼になりてえとは思わねえよ」
金時の声音が戻っていた。面持ちもいつもの金時に戻っていた。少しばかり稚気を含み、太陽のように明るいあの金時に戻っていた。
「……で、お前はどうする」そんな金時をみつめながら、素戔嗚が聞いた。
「俺は人としてあんたと戦う。でもそれはあんたが憎いからじゃねえ。生きて帰りてえからだ。俺には夢があるからだ……それに、俺みたいな奴でも、心の底から心配して、待っててくれるやつがいるからな」
「憎しみではなく、生きるために戦うとーーならばその結果、俺に殺されて恨みはないというのか」
「ああ、生きるためには命をかけて戦わなきゃなんねえ時だってあるさ。でも恨みや憎しみのために戦うってのは、やっぱり俺には合わねえよ」
金時の言葉を聞いた素戔嗚がかすかに微笑んだ。
「……ふふ……頼光といい、お前たちは本当に不思議な男たちよ。いいだろう、俺はもはや生き方は変えられぬ。俺は俺の信念で戦うまで。俺が勝つか、それともお前が生き残るか、さあ決着をつけようではないか」
人と鬼、千年の長きに渡って続いてきた戦い。その戦いの決着をつける最後の舞台に残ったのは鬼の血をその身に宿した金時と鬼の民の神である素戔嗚の二人であった。
