金時の目の前に立つ素戔嗚は金時とさほど背丈も変わらず、その顔も姿も人間のようであった。だが金時は素戔嗚が全身から発せられる尋常ではない気を対峙した瞬間にすでに感じていた。
「あんた強えな。こうしたあんたと対面しているだけで、その強さがびりびり伝わってくるぜ。いったいどんだけ強いのか、しっかり確かめさせてもらうぜ!」
この場にいたっても金時の顔には輝きがあった。強いものと戦う、その喜びだけが今の金時の全てであった。金時の右拳が素戔嗚の顔面目がけて飛んでいった。だがその拳をなんなく左腕で受けるや、今度は俺の番とばかりに素戔嗚が右の拳が金時の顔目がけて放った。
暴風のようなその攻撃を金時はかろうじて交わしたが、かすかに耳に触れたと見えて、耳の半分が千切れ、一瞬に消え失せていた。だが金時はそんなことに構いもせず、逆に前に出て、渾身の力で素戔嗚の下腹に左の拳をぶちあてた。一瞬、屈みこんだ素戔嗚の顎目がけて、今度は右の拳を振り上げた。だが素戔嗚の動きは誘いだったと見えて、背をのけぞらせつつ上に飛んで、金時の拳をかわすと、今度は頭上高く舞いあげた踵を金時の頭に振り下ろした。
頭の上から鉄槌のような踵が振ってきた。金時は必死に首を曲げて、頭に喰らうのはなんとか避けたが、踵は金時の肩にめりこんだ。肩甲骨がみしりと声をあげひびが縦横に走った。あまりの打撃に思わず膝をついた金時の頭上に、素戔嗚の組んだ両手が振り落とされた。喰らえば頭が吹っ飛ぶ。そんな本能にも近い閃きが金時の体を瞬時に動かした。金時は頭を下げつつ、そのままでんぐりをうって素戔嗚の足に組みついた。そして右足を持ち上げ、素戔嗚の体勢を崩して、押し倒さんとした。だが素戔嗚はその瞬間、なんと持ち上げられた右足を支えにして、宙を舞い、左足で蹴りを放ってきた。意表をつかれた金時はすぐに素戔嗚の足を離し、右の上腕でなんとかその蹴りを防いだ。金時の上腕はびりびりと痺れ、内出血で真っ赤になっていた。
「凄え、この世の中にこんな凄えやつがいるなんてな」
「お前の方こそ、さきほど腹に喰らった一撃は効いたぞ。千年ぶりに味わう感触だ」素戔嗚はそう言うと、自分の腹をさすった。
「そうかよ、じゃ、これはどうだ!」
金時はそういうや、再び右の拳を放った。素戔嗚はその拳をひょいと軽くかわしたが、実はそれこそが金時の狙いであった。金時は拳がかわされることを想定し、逆にその動きを利用して体を独楽のように回転させ、回し蹴りを放った。それはかつて、頼光の館で綱と戦った際に綱が繰り出した技であった。右の拳をあまりに容易に交わした素戔嗚に幾分かの油断があったのだろう。それとは比較にならぬ凄まじい蹴りはかわすことができなかった。
とてつもない衝撃が素戔嗚の脳天を襲った。一瞬目がかすんだ。すぐさま視点を戻したが、そこにいるはずの金時が消えていた。気の流れを肌で察知しようにも、まだ脳が痺れていると見えて、周囲の状況を把握できなかった。どこだと思ったその時だった。金時が視界の下から飛び込んできた。金時は頭を素戔嗚の腹に当てて、足を取るや、そのままの勢いで素戔嗚を押し倒した。そしてすかさず素戔嗚の手を取り、自分の両足に挟んで固定し、思いっきりのけぞった。素戔嗚の黒い右腕が伸びきらんとしていたが金時には余裕はなかった。素戔嗚の力が金時の両腕に伝っていた。その力は信じがたいものであった。金時の全体重と渾身の力が加わっているというのに、その腕は徐々に曲がり始めていた。金時の全身は真っ赤になった。金時の肌は既に黒色から人の肌色に戻っていたが全身を駆け巡る熱い血が、金時の体全体を赤く燃え立たせていた。だが素戔嗚もまた必死であった。これほどまで追いつめられたことはかつてなかった。金時、素戔嗚、二人の男の力が振り子のように行き来した。力と力のぶつかり合い。策謀も詐術もそこにはなかった。ただひたすらの力比べだった。
重く鈍い音がした。余りの力に耐え切れず、ついに骨が折れた。交錯していた力が支点をなくして瞬時に消え失せた。だが素戔嗚はそれ幸いと一気に身をひねった。その勢いで腕がひねり千切れた。すかさず素戔嗚は立ち上がった。金時もまた立ち上がった。素戔嗚の右腕は無くなっていた。
「ようやく、あんたから一本取れたようだな。だが腕一本ぐらいでくたばるようなあんたじゃねえ。おりゃ、油断しねえよ」
「そうするがいい。もはや俺もお前を敵とは思わぬ。そんなことを考えていては、お前に勝てんからな」
「そんじゃいくぜ!」
三度、金時が踏み込んだ。右、左、右、左、拳を間断なく浴びせかける。上段、中段、下段、相手の体勢に応じて蹴りを放つ。だが素戔嗚は右腕がないことなど微塵も感じさせぬ動きで流れるように一連の攻撃を間髪の間で見事にかわしていた。流水のようなあまりに滑らかな動きに、金時が次の一手を躊躇したその時だった。急に素戔嗚が中に飛び込んできて、顔面に左拳を放った。まさに神速、金時はぎりぎりでかわそうとしたが、完全にかわしきれず鼻がつぶれた。ふらっと頭が傾く金時の胸目がけて、今度は強烈な蹴りが放たれた。金時がぶっとんで壁にぶち当たった。だが金時は鼻から出る血を縫いながら、すかさず立った。
「まったく、飛んでもねえ野郎だな。そりゃ、まるで殿の動きじゃねえか。いや、いざ攻撃に入るときの速さは荒太郎、そして寸分の狂いなく一点を狙う手際は綱どんの得意技だ。うかうかしてると俺まで丸裸にされてしまいそうだぜ。こりゃ何か、新手を考えねえといけねえかな」
金時は用心深く素戔嗚をみつめた。そしてあるものを見た瞬間、金時の体が動いていた。素戔嗚が身構えた。だが金時は素戔嗚の脇をかすめ、後ろの壁目がけて走った。そこは頼光と貞光が倒れていた場所だった。生きているのか死んでいるのか、二人ともぴくりとも動かなかったが、金時は二人が生きていることを微塵も疑っていなかった。だから二人には目もくれずあるものに向かって突進した。
それは頼光の愛刀膝丸であった。頼光の傍にころがっていた膝丸を拾うと、すかさず素戔嗚に向き直った。素戔嗚は金時が刀を構えるのを見て、かすかに笑った。
「ほう、お前は無手の男と思ったが、刀も使えるというのか」素戔嗚の言葉を聞くと、金時もにやりと笑った。
「俺の流儀は無手は無手でも無手勝流さ、無手でも刀でも勝てるために使えるもんはなんでも使うさ」
「そうか、それは楽しみだ。では、かかってこい!」
「言われなくてもそうするさ!」
言葉とともに金時は刀を振り上げて、素戔嗚におどりかかった。型などとは無縁のめちゃくちゃな乱撃だった。飛び上がり、転がりまわり、めちゃくちゃに剣を振り回した。最初はあまりの太刀振りに戸惑った素戔嗚だったが、わずかの間に金時の剣の技量を見切った。金時が左腕を振り上げて、膝丸を振り下ろした。素戔嗚にとってもはや児戯にも等しかった。左に周りその攻撃をかわそうとした。だが、太刀が振ってくるのが妙に遅く感じた。その瞬間だった、左頬に強烈な一撃を喰らった。頭蓋の中で火花が飛んだ。そしてさらに右、左と連打を顔面に喰らった。金時の手に膝丸は握られていなかった。なんと金時は安綱を振り下ろすとみせかけて、そのまま左手を離して、右から強烈な拳を放ったのだった。
刀をおとりに使って拳で殴りかかるなどありえなかった。素戔嗚は常識を打ち破る金時の思考の新しさに驚き慌てた。その隙をついた怒涛の攻めだった。これほどまで撃ち込まれたのは初めてのことであった。鋼のような黒い肌に守られてはいるが、それは言わば鎧を来ているようなものであった。強烈な打撃を喰らえば、その衝撃は肉体を容赦なく襲う。それは鬼の王といえど無縁ではなかった。強烈な打撃を喰らえば、骨は軋み、肉は悲鳴をあげる。加えて金時の拳の威力は人力を超えていた。千年の間、積もりに積もった怨念の鎧は脱ぎ去ったが、その体には確かに鬼の血が流れていた。素戔嗚の体を流れる血が、金時の体の中にも流れていた。素戔嗚の持つ力が、金時の拳に確かに宿っていた。
勝てる!
金時は自分の拳が確実に相手の力を削いでいるのを感じていた。右の拳が顎を叩き割った。左の拳が鼻梁を折った。右の拳が左目をつぶした。左の拳が頭蓋を撃った。あと一撃だ、渾身の力であと一撃入れれば、素戔嗚は倒せる。そう確信した。力を込めた、腕を思いっきり振りかざした。決着をつけるため、全てを終わらすため、最後の一撃を放とうとした。だがそのわずかの間を最強の武神は見逃がさなかった。
雨のような連打を喰らい、一歩、二歩と後ずさっていた素戔嗚の足が止まり、後ろに流れていた重心が前に移っていた。そして裂帛の気合とともに、残された右腕を突き出した。その拳、いや正確には、指を真っすぐに伸ばした貫手が金時のみぞおち目がけて突き出された。その一撃は金時の体を貫いていた。あと一歩というところまで追いつめた金時は信じられないとばかりに大きく目を見開いていたが、素戔嗚が腕を引き抜くと、そのまま地面に倒れ落ちた。
