十一月一日、人をお創りになった神に感謝するために制定された祝日の日、信仰が失われつつあったとは言え、それでもかなりの多くの人々がウルク市内にあるいくつかの教会に足を運び、祈りを捧げていた。その中でも最も由緒と権威がある大聖堂には、千人を超える老若男女が集まり、滅多に顔を出さない大司教が美しい少年で構成された聖歌隊の清らかな歌声を背景に神の教えを説いていたが、その厳かな空気はこの場には相応しくない乱入者たちによって突如破られた。
警官隊が靴音を響かせて無遠慮に入って来るや、なんと国王の次に権威があるとされて いる大司教を取り囲んだ。聖堂内がざわつく中、大司教が自分を取り囲む警官隊に向かって怒鳴り声をあげた。
「いったい、なんの騒ぎだ! お前たちは私が誰か知っているのか。私は、国教会の最高位、大司教アレクサンドルなるぞ!」
「――よく知っていますよ。大司教、アレクサンドル閣下」
その言葉とともに、警官たちの間から一人の騎士がゆっくりとアレクサンドルの前に現れ出た。
「私は、このたび警察庁副官の任を拝命したドラコというものです。今日は閣下に残念なお知らせを伝えるために参りました」
ドラコはそう言うと、何が起こったのかと不安な面持ちでこちらを見つめる人々の方を向いて、とんでもないことを言い始めた。
「ウルクの人々よ、私の言葉をよく聞いて欲しい。ここにいる大司教アレクサンドルは、長年その立場を利用して人々から贈賄を受け、多くの不正を行ってきた。そしてまたあろうことか、ここにいるいたいけな少年たちを淫らな欲望のもとに散々嬲りものにしてきたのだ。神はこの男の悪行を見ぬくこともできず、この男に権力を与え続けてきたが、偉大なるアイン陛下の目を欺くことはできない。大司教アレクサンドルよ、いやもはやその名で語る必要はあるまい、犯罪者アレクサンドルよ、貴様はそれらの罪により、火あぶりの刑に処せられる」
聖堂内の人々は、しわぶき一つ立てず、その言葉を固まったように聞いていた。一方、大司教はその言葉の意味を理解するのにしばらくかかったが、しばらくすると顔を震わせて、いきなり喚きだした。
「これは陰謀だ! とてつもない陰謀だ! 国民とアイン陛下をたぶらかしているのは私ではない、あの男だ! 司法大臣のジュダだ! 私は被害者だ、私は奴に騙されていたのだ! やつが元凶だ! 国民よ、騙されるな! ジュダだ! あの奸智に長けた男、あの仮面の男が、長年、民を欺き、神を欺き、この国を悪に染め上げてきたのだ! 私は無実だ、私は生涯神のために、この身を捧げてきた! 人々よ、信じてくれ、私にはひとかけらも罪はないのだ、私の心と体はすべて神のために捧げて来たのだ!」
すると、まるで示し合わせていたように、それまでずっと後ろに控えていた聖歌隊の中から、少年が数人出てきて、口々に叫び出した。
「人々よ、聞いてください! この男は人の皮をかぶったけだものです。私たちは、この男に散々おもちゃにされてきました。とうてい言葉にできないようなことを強要され、この男の淫らな欲望の犠牲になってきたのです!」
「この男は数えきれないほどの賄賂を受け取り、あらゆる不正に手を貸してきました。私たちは、それらの罪をこの目で見、この耳で聞いてきたのです!」
「ウルクの人々よ、神は私たちがこの男の手で身も心も汚されていくのをただ黙ってみているだけでした、この国が不正に蝕まれていくのに何の関心も示されませんでした。アイン陛下だけが私たちを救ってくれたのです! 私たちはアイン陛下によって、ようやく解放されたのです!」
ドラコは彼らの言葉をまるで歌でも聞くように満足げに聞いていたが、最後の一人が言い終わるとアレクサンドルに言い放った。
「私の手元には、あなたがこれまでなしてきた悪事の数々の詳細を事細かに記した書類があるが、このいたいけな少年たちの証言に勝るものはありますまい。これでも、自分は無実だと言い張るおつもりですか」
アレクサンドルは、その言葉を聞いてがっくりとうなだれたが、しばらくすると狂気じみた目をして、ドラコを睨みつけた。
「確かに、私は悪をなした。その罪で裁かれるというなら、甘んじて受けよう――だが、私よりもっと厳しく罰せられなければならないものがいる。ジュダ、あの男こそ、地獄の火に焼かれるのに相応しい男だ!」
そこまで言うと、アレクサンドルは再び、大声で人々に向かって叫び声をあげた。
「ウルクの会衆よ、今こそ真実を伝えよう! マナセ国王はイラルと手を組んだ咎で処刑されたが、あれは仕組まれた陰謀だったのだ。イラルと裏で手を結んでいたのは、司法大臣のジュダなのだ。聖騎士レインハルトを殺すために、イラルに対し国境付近に兵を出すよう持ち掛けたのだ。そして、それがうまくいかぬとみるや、今度はあらぬ罪を着せて、聖騎士レインハルトまでをも謀をもって殺したのだ。あのジュダは、何の罪もない神の騎士に対してあんな非道な死を与えたのだ。人々よ、やつこそ悪魔だ、やつこそ、この世界を滅ぼすリバイアサンに違いない! エトの予言を忘れるな! 世界はジュダに滅ぼされようとしているのだ!」
ドラコはそんなアレクサンドルの叫びに対して、呆れかえったように頭を振った。
「ああ、なんということだ。自分の悪行を棚に上げて、世の中を正しく導こうとしているものをかくまで卑劣な言葉を弄して陥れるとは。あなたは、その舌で、どれほどの悪を市民に植え付けてきたのでしょう。もはや聞くに堪えません。その舌は私自らの手で斬り取ってしまいましょう」
ドラコがそういうや、警官たちがアレクサンドルの体を抑えた。アレクサンドルは必死になって抵抗したが、多勢に無勢、床に這いつくばわされ、無理やり口を割らされ、金てこをねじ込まれ、そして舌を無理やりひっぱり出された。アレクサンドルはものをいうこともできず、なにやら喚いていたが、ドラコが剣を抜いて近づくと、手を付けられないくらい暴れ出し、さらに数人がアレクサンドルを抑えにかかった。ぴくりとも身動きできないアレクサンドルの言葉にならぬ喚き声が大聖堂に響き渡った。
ドラコは金てこで掴みだされた赤い舌を見て、顔をしかめたが、剣を舌に当てるやそのまま斬り落とした。そして、奇怪な呻き声をあげて獣のように転げまわるアレクサンドルを連行するよう警官隊に指示すると、剣についた赤い血をさも汚らしそうに見つめて、警官の一人が用意した白布で念入りにぬぐい取った。そして、あまりの出来事に静まり返る会衆の前に立つと、まるで演説するように語り始めた。
「人々よ、何も恐れることはない。君たちにはアイン陛下がおられるのだ。神をもしのぐ高潔さと智慧をもたられる比類なき君主が。陛下はこの世界で行われている全ての悪をことごとく知りたまい、滅せられる。人々よ、これで十分わかっただろう、誰が皆の守り手であり、庇護者であるかということを。アイン陛下こそが、私たちが忠誠を誓うべき唯一無二のの御方なのだということを!」
人々は黙ってその言葉を聞いていたが、次第にガヤガヤと話し始めた。
誰かが叫んだ。
「この方のおっしゃるとおりだ! 俺たちを救ってくれるのは、神なんかじゃない、アイン陛下だ! アイン陛下こそが神にかわる俺たちの救い主なんだ!」
するとその言葉を追うように誰かが叫んだ。
「俺たちはずっと神に騙されてきたんだ! 見ただろう、さっきの様を! 神こそ、この世に悪をまき散らした元凶だ! もはや俺たちに神は必要ない! 神などよりはるかに崇高なお方がいる、俺たちが忠誠を誓わなければならないのはアイン陛下だ! アイン陛下こそ、讃えられるべきお方だ!」
その言葉は群衆の上に広がり、至る所から、アインを称える言葉が湧き出てきた。終いには、アイン陛下万歳! の大合唱が大聖堂に響き渡った。
そしてその声に酔ったものたちが、今度は神の祭壇を取り囲み、神の御姿を象った像を壊し始めた。どこからか斧と槌が出てきて、それを持った男たちが、神の御顔に向かって、斧を振り下ろした。神の胸に槌を振り下ろした。
神を象った像は言葉を発することもできず、群衆の暴行を黙って受けるしかなく、顔を割られ、胸を突き破られ、手足は切断され、あっという間にただの残骸になり果てたが、人々はそれだけでは飽き足らず、その残骸を何度も何度も踏みつけ、蹴りつけた。
これらのことは、この大聖堂だけでなく、ウルクの全教会、いやこの国全てで同時に執り行われたのだった。
十一月一日、神を称えるために定められたまさにその日、民の心から神を称える想いは完全に消え失せた。
