アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【小説の書き方について考える】時代

 本が売れるか売れないかは、作品の出来よりも時代のニーズに沿ったものかどうかということが往々にあります。
 ある意味、生前は全然売れなかったけど、死後に評価されるなんてことは文学だけでなく、あらゆる分野でざらにあることでしょう。
 あのゴッホが書いた絵だって、生前に売れたのはたった一枚ですよ!

 

『赤いブドウ畑』(作:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)

 近代文学の歴史でも、写実主義、ロマン派、私小説、戦後派など、時代時代によっていろいろな文学が一世を風靡してきました。
 結局、そういう流行ってのは今でもあって、時代を反映したものがやっぱり売れるんですよね。

 そういう意味では、現代の異世界転生やハーレム系ラブコメの人気なんてのは、現代の流行ということなのかもしれません。
 でも、そこをもう少し分析してみると、僕が感じる現代のキーワードは、「閉塞感」と「不透明」ということなんじゃないかと思うんですね。

 人口減少が続く中、結局、どんなに頑張っても戦後のように右肩上がりにはならないし、社会構造が硬直化している現代では、個人の夢を叶えるのは非常に難しい。だから妄想文学にはまってしまう。つまり「閉塞感」が社会を覆っているんじゃないかなと思うんです。
 もう一つは、先行きが見えない不安のようなもの。世界を覆い始めたナショナリズム、度重なる災害、環境の悪化、未知の感染症。この先、本当に大丈夫なんだろうかという不安や恐れ。それが「不透明」というワードにつながると思うのです。

 そういう時代に求められるのはどちらかというと、現実からの逃避、つまりは上に書いた俺Tueee的な異世界転生やハーレム系ラブコメが一つの答えなんだと思うんですよね。

 ただ、僕はそういうものは書きたくないので、別なアプローチで時代のニーズに沿ったものを書きたいと思うのです。
 例えば、僕が「ツァラトゥストラはかく語りき」という長編ミステリーを書いた理由の一つは、あるアンケートに衝撃を受けたためです。
 そのアンケートによると、現代の若者の半分以上が自分に自信がないという結果でした。
 確かに、今の若者は個性を封じられた社会の中で育てられ、とにかく言われたことをやってきたのに社会はどんどんシュリンクし、自分がやってきたことが全然評価されないと言う非常に厳しいところにおかれています。
 フロンティアはどんどんなくなり、既に富を蓄えた権力者たちが、あらゆる分野でのさばり、がちがちに固めて、新参ものがそこに割り込むことは非常に厳しくなっています。
 挑戦することや夢をもつことなんて、力や能力のあるやつしかできない。そんなのはしょせんドラマや映画の中だけさ。人生なんて、しょせんこんなもんだろう。自分に自信がない若者たちが感じてることって、こういうことかなって思うんですよね。

 でも僕は言いたい。そうじゃない! と、この世界には、まだまだフロンティアが残っている。自分を発揮できる余地は無限に残っている。そして、あなたを必要としている人たちが何十億人もいると。
 若い人には、どんどん挑戦して欲しい、生きることは素晴らしいということを知って欲しい。
 そういうメッセージを伝えたいと思っているのです。
 売れるために時代に媚びて書くようなことはせず、時代につきつけるようなものを書いてみたいのです。

 たかがアマチュアが何を偉そうにと思うかもしれません。だけど、アマチュアだからこそ、その目的のために純粋に書けるんです。だからこそ、一円にもならないことに、こんなに夢中になって書いているんです。

 すいません、最後はなんだか自分の意思表明みたいになってしまいましたが、どんなにあがこうと僕たちはこの時代から逃げられません。
 だから、この時代の中で書くしかない。
 だとすれば、この時代をより理解して書くことって、意外と大事なことなんじゃないかと思うんです。時代の流れには勝てませんが、時代の中でどう生きるかはその人の自由です。
 僕は時代のせいにして、言い訳するような生き方、逃げるような生き方はしたくないんです。
 

 最後に、僕が好きなナポレオンの言葉を載せて終わりにします。

 ――有能の士は、どんな足枷をはめられていようとも飛躍する――

 

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