アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【小説投稿サイトが読まれない】面白い小説を書くには

初めに

 小説を書くということは、自分自身の中にあるものを絞り出すことだと思う。だから、自分の中にないものは書けない。誰かの真似をして書き始めても、絶対に途中で筆が止まる。

 自分の中にあるもの、だが決してそれは特別なものである必要はない。特別な体験など何も必要ない。肝心なことは、自分が何を感じ、どう伝えるかだ。

 そうは言っても、小説という枠組みの中で表現する以上、小説を書くための一定の作法は知らなければならない。

 視点や人称、言葉の重なりの回避、個性的な比喩表現、句読点や段落の使い方など、小説を書く上では様々な決まり事があるが、それらについては、もっと詳しいサイトがネット上に山のようにあるので、それらを見ていただければと思う。

 僕はそういうことよりも、面白い小説というものについて、独自の視点で少し踏み込んで語ってみたい。

 ちなみに僕はプロの作家でもなんでもないし、文章関係の仕事をしているわけでもない。物語を読むことと書くことが好きなただのアマチュア作家だ。

 だが、そんな僕だからこそ言えることがある。

 物語は面白くなくてはいけないということだ。自分の時間を費やす価値がそこになくてはならないということだ。

 文学の潮流であったり、文学的な価値なんていうような高尚なお話は書評家や学者先生に任せておいて、僕は純粋に面白い物語とはどういうものか、面白い物語を書くにはどうしたらよいか、ただそれだけにフォーカスして、この連載を始めてみたい。

 

面白い小説とは

 

オチ

 面白い小説、読み応えのある小説にはいくつか共通する要素がありますが、その中に僕が大事だと思う要素としてオチというのがあります。
 オチ? と思われる方のために、僕のいうオチを少し説明したいと思いますが、昔書いたエッセイにその部分を語ったものがありますので、それを紹介したいと思います。

 

 どんな小説にもオチが必要だ。
 そう言うことを言うと、いや、純文学にオチなんて必要ないという人がいるかもしれない。そういう方のために、こう言い換えてもいい。オチとは意外性のことである。

 えっ、そうだったの! とか、こんな展開あり! とかそういうもの全てをさす。意外性がない小説は純文学だろうがエンタメだろうが単調になって面白くない。


 でも、それって漫才やパロディだけじゃないのと皆さんいうかもしれません。
 いやいや、恋愛だって同じです。
 最後に男女が結ばれる結末が待っているとして、どういうパターンでそこまでもっていきます?
 やっぱりそこにはドラマチックな展開が欲しいですよね。

 ミステリーなんてその最たるもので、謎解きがひどいと金返せって言いたくなります。

 ということで、オチはとっても大事だと僕は思っているのです。
 でも、オチをどう作るか、オチが効いた小説をどう作ったらいいのか?
 ……ごめんなさい、僕も知りません。
 まあ、ひたすら訓練するしかないと思います。ということで、僕も訓練してみたいと思います。

 202X年、世界は核の炎に包まれた。
 空気中に飛散した放射線は雨となって一週間大地に降り注ぎ、農作物に致命的な影響を与えた。
 その結果、人類は大きな代償を払うことになった。
 なんと、男全員がハゲとデブのどちらかになってしまったのである。
 いや、正確に言うなら、ハゲと、デブと、ハゲでデブの3パターンに分類されてしまったのだ。
 これは深刻な問題であった。つまり、女性は全て、ハゲとデブとハゲでデブの中から男を選択しなければならなくなってしまったのである。
 これは、そんな究極の選択を迫られた、婚活パーティに参加したある女性の物語である。

 

 例えば、こんな設定を作ってみました。
 この後、トークタイムでハゲとデブが互いに互いをディスる展開が続くとして、最後には、告白タイムが待っています。
 まあ、いくつかオチが考えられますが、僕はハゲの方にもデブの方にも希望を持って欲しい。なぜなら、最近、頭が薄くなってきたような、しかもデブってきてないと家族にドン引きされているからです。
 なんで、こんなオチにしてみました。

「僕とつきあってください」ハゲでデブの男が花を捧げた。
「ちょっと待ったあ!!」ハゲが叫んで、走ってきた。
「ちょっと待ったあ!!」デブも叫んで、走ってきた。
「今のリーブ21の技術は芸術作品です。植毛さえすれば、それは、ハゲではない! よろしくお願いします!」ハゲが花を捧げた。
「デブは、運動すればやせられるかもしれない! デブはハゲと違い、未来への可能性を持っている! よろしくお願いします!」デブが花を捧げた。

 女は、迷うことなく、ハゲでデブの花を受け取った。
 祝福するレポーターがさっそくインタヴュー。
「予想外の結果でしたが、決め手は、なんでしたか?」
「だって、この人が一番、話が面白くて、優しかったからです」
 人生にハゲもデブも関係ない、面白ければいい。面白ければ、明るい未来が待っている。


 ほんと、くだらないオチですいません。
 たぶん、皆さんならもっとマシなオチを考えると思いますが、まあ、勘弁してやってください。
 とにかく、言いたいことはオチは大事ですよってことでした。
 それでは今日はこの辺で。

 

キャラクターの重要性

 今回はキャラクターについて考えてみたい。
 物語を作るにあたって、魅力あるキャラクターができると、それだけでその物語は輝きを増します。
 極端な話、面白いストーリーだけどキャラがイマイチというのと、ストーリーは平凡だけどキャラが立ってるとなれば、断然後者の方が読まれると思う。
 それじゃ、魅力あるキャラクターとはどんなものだということになるが、まずは個性があるということが第一条件になるでしょう。
 つまり、読者の頭にありありと想像できるくらい、分かりやすいキャラということです。

 ここで勘違いしないで欲しいのが、例えば、学園一の美少女とか、イケメン高校生などというのは全く個性にはならないということです。それは抽象的な個性であって、そのキャラだけの唯一無二の個性とは言えません。ゲイやレズなどのLGBT的特質も文芸の世界では、あまり珍しくなくなりました。
 じゃあ、何が個性だと言うのでしょう。
 
 それを考えるヒントは、現実世界にあります。 
 例えば、僕はあまり芸能には興味がないので、例えば○○坂48と言われても誰が誰やらさっぱり分かりません。
 まあ、みんなそれなりに可愛いなあくらいにしか思いません。
 でも、僕の仕事の同僚や友人となると違います。みんなそれぞれ個性があるなと思ってしまいます。
 なんででしょうか?
 それは、その人たちが自分の身近にいて、その人の語る声がしっかり耳に聞こえてくるからです。その人の考え方や性格がよく分かるからです。
 
 僕は個性を感じさせる最も大きな要因はその人間が生み出す言葉だと思っています。
 その人間に何を語らせるか、それが強烈な個性を生み出すんだと思います。
  
 自分の作品で恐縮ですが、僕が今書いている長編作品にリュウという少年が出てきます。
 このリュウは相当強烈な個性を持っていて、カクヨムという小説投稿サイトで活動していた時に、読んでいただいた多くの方から、たくさんのコメントをいただきました。

 僕の考えるキャラクターづくりの一つの喩えとしてリュウの登場シーンの一部を紹介したいと思います。

 

リバイアサン ~リュウという少年~

「……あ、ありがとう、リュウくん」
 さきほどまで四つん這いになって金髪の少年の靴を舐めていた貧相な少年は、すかさず立ち上がるとリュウに近づいて媚びるような笑み浮かべた。
 その笑みを見た瞬間、リュウは少年を殴り倒していた。そして尻もちをついてびっくりしたような顔つきでこちらを見ている少年にずいと近寄ると、その顔を思いっきり蹴り上げ、何度も何度も踏みつけた。その顔はさきほどまでの無表情な顔とは違い、憎悪ともいえる感情が迸っていた。
「俺はお前みたいなのが、一番嫌いなんだよ!」
「お前のその卑屈な面見てるだけで反吐が出るんだ!」
「お前、自分が恥ずかしくねえのか!」
「なんだ、あの様はよ!」
 一言叫ぶごとに、悪鬼のような顔で蹲った少年の顔を蹴りつけた。少年の顔はもう血まみれだった。

 荒い息をしながら、リュウはその姿を見下ろした。その時、少年がブツブツと何かつぶやいているのが聞こえた。
「……俺だって、俺だって、あんなことしたくないよ……だけど、こうでもしなきゃ、生けていけないだろ……俺たちは負け犬なんだ……だったら、なんでも言うこと聞くしかないだろ……」
 少年の目にはいつの間にか涙がこぼれていた。リュウはそんな少年の姿をじっと見つめた。
「――どうしても、生きてえんなら、その口はあいつの足を噛み切るのに使え――あいつの足を噛み切って、あの御大層な靴を売って生き延びろ。それができねえんなら、生きる価値なんてねえ、家族みんなで仲良く死んだ方がましだ――」

 一人の読み手としての目で読んでも、このリュウという少年が異常な、ある意味凄まじいばかりの激情をもっていることが分かります。
 そして、なんとなくキャラが浮かんできます。
 たぶん、蹴られた少年と同じように貧相な身なりをしているんでしょう。ですが、その体からは何か禍々しいほどの気が立ち上り、常に何かに不満を抱いているんだろうなと感じます。

 

 

 僕はキャラを作るときに、そのキャラがどんなことを思っているのかを第一に考えます。そして、その思いがなるたけ読者に伝わりやすいようなセリフを考える――いや、考えるというのは少し違う。僕は、そのキャラになりきる。そうすると、そのキャラの思いが自然と言葉になって出てくる。
 ある意味では、僕が作るキャラというのは、僕の内面にいるもう一人の自分なのかもしれません。

 つまり個性あるキャラを作りたいんなら、そのキャラにあなたがどこまでなり切れるか、どこまで感情移入できるかどうかが問われるんだと思います。
 もし、そのキャラになりきれたとしたら、そのキャラの声はあなたの声です。
 あなたはこの世界で唯一の個性を持っています。
 だからこそ、あなたの声を語るそのキャラクターにも個性がにじみ出てきます。

 あなたは自分のキャラに感情移入できていますか。
 そのキャラクターを本当に理解していますか。
 全てはそこから始まるような気がします。

 

一話目の重要性

 小説投稿サイトで連載作品を投稿すると、絶対面白いのにと自信があるのに、最初のつかみが悪くて、読んでもらえないことがままあります。

 これはWeb小説全般に言えるんじゃないかと思うんですが、一話目でその作品を読むかどうか決める人って結構いるんじゃないでしょうか。

 新人賞の一次選考でも、最初の10枚でだいたい合否が決まるらしいです。原稿用紙10枚と言えば3000から3500字程度。WEB小説ではだいたい一話分に相当します。

 実はWEB小説では、このくらいの長さが大きな意味を持っています。なぜなら、WEB小説を読む大半の人は、通勤時間の合間に、ランチ後のひと時に、授業で先生の目を盗んで(おいおい……)、いずれ、そういうわずかな時間を使って読んでいるんじゃないかと思うのです。
 そうであれば、はっきり言って、一話の分量が1万字を超えるようなものは、ファンならまだしも、様子見感覚で読むのであれば、明らかに長すぎると思うのです。

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ストーリーとテーマ

 僕が考える面白い小説の要素の一つは、起伏のあるしっかりとしたストーリー構成です。

 ただ、これはいろいろな書き方があると思います。人によっては全部の場面をあらかじめ考えてから書く人もいるし、とにかく書き始めて筆の勢いに任せていく人もいるらしい。そういう人はラストもよく分かってないこともあるそうです。純文学だと後者でもよさそうな気もしますが、エンタメではそれはかなり危ないでしょう。

 僕はエンタメ系の作品が多いので、一応は、ある程度のプロットを決めてから書きます。
 でも、それはかなりアバウトです。本当にアバウト。
 前回、キャラになり切ると書きましたが、キャラがプロットの方に進んでいかないこともままあります。
 まして、ストーリーなどは、本当にその場その場で考えます。

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風景描写

 小説を書く上で風景描写は大事な要素ですが、実は僕は風景描写が大の苦手です。
 そんなことも旧エッセイに書いたので、ちょっと拝借します。

 

 自分でいうのもなんですが、僕は会話文は結構、サクサク書けます。反面、物凄い苦労するのが風景描写です。

 全く詩的センスがなく、風景描写を二、三行書くだけで、一時間以上かかることがあります。

 なので時折トレーニングのつもりで、目の前の風景を口に出して表現することがありますが、さっぱり上手になりません。
 ほんと、詩や俳句を上手に書ける方がうらやましいです。
 
 そんなふうなので、最近では風景描写は諦めて、ドストエフスキー流に心理描写メインで書こうかななどと不埒なことを考えてます。

 

 今でも風景描写を美しくかける人は凄いなと思いますし、憧れます。
 例えば、ノーベル賞作家の川端康成の代表作『雪国』の出だしなんか凄いですよね、なんか詩的な美さえ感じてしまいます。到底凡人には及びもつかない境地です。
 また、僕が大好きな宮沢賢治の作品はどれも、その美しい自然が目に見えるように迫ってきますし、『銀河鉄道の夜』などは、銀河を巡る旅が静かにそして、美しく描かれています。

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ハッピーエンドとバッドエンド

 僕は基本的にはハッピーエンドの物語が好きです。
 特に心が弱ると、エネルギーを補充するかのようにハッピーエンドの物語を求めてしまいます。

 だからではありませんが、僕はジブリシリーズの大ファンです。
 特に初期の作品は何十回見たか数えきれません。

 疲れているときは、「となりのトトロ」か「魔女の宅急便」
 力をもらいたいときは、「天空の城 ラピュタ」か「もののけ姫」
 のんびりしたいときは、「紅の豚」か「耳をすませば」

 

 

 あと、純粋なジブリではありませんが、宮崎駿作品のルパン三世の「カリオストロの城」も大のお気に入りです。

 でも僕が求める、いいハッピーエンドの物語って、主人公が苦しまないとダメなんですよね。単にふんわりとした小説はその時はいいなと思うけど心には残らない。
 じゃあ、苦しむってどういうことかというと、例えば「魔女の宅急便」で言えば、キキが途中で魔法を使えなくなりますよね。
 あれは少女が大人の女性になる過程を意味しているのかなと思いますが、それは女性、いや男性であっても共感できる苦しさだと思うんですよね。
 だからこそ、キキが自分を信じて再び空を飛び、トンボを助けるシーンが涙が出るくらい感動してしまうんですよね。

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感動

 僕は物凄く涙もろいです。
 感動すると、すぐに目頭が熱くなってしまいます。
 一度泣いた映画は、何度見ても同じ場面で涙が溢れそうになります。
 
 そんな僕は、自分の書いた物語でも泣いてしまうのです。
 その場面を読み返すと、自分が書いたはずなのに涙が出てくるのです。
 そういう場面は、実は書いてる最中から目頭が熱くなって、思わず涙が出ることが多々あるのです。
 今執筆中の長編があるんですが、書いていたら思わず涙が出てしまい、ティッシュで目頭を拭う羽目になってしまいました。
 なにやってんだと笑われそうですが、実は僕にはどうしても譲れない一つの信念があるんです。
 そんなことを旧エッセイに書いたので、ご紹介します。

 

 自分の書いた作品はどれも愛着があるのですが、その中でも今一番気に入っているのが、「42.195キロ」という作品です。
 数日で書いたので、推敲も何もあったもんじゃないですが、まさに走りながら書いたって感じで、思いついたことをそのまま書いていきました。

 その中で、諦めかけた主人公が親父さんと会うシーンがあるのですが、恥ずかしながらボロボロ涙を流して書いてました。
 今でもそこの部分を読むと目が熱くなります。

 だから応援していただいた方々のコメントで、感動したと言ってもらったときは、物凄いうれしかったです。

 自分が感動しないものに、人が感動するわけない。
 それは、僕が書くことにおいて、とても大事にしている信念です。


 今読んでも、最後のところの思いは何一つ変わっていません。

 僕は人間ドラマが好きです。
 それは、たった一言でいえば感動するからです。
 僕は感動するものを読みたいのです。
 心が震えるような物語を読みたいのです。
 だからそういう物語を自分でも書いてみたいと思っているのです。

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B6ノート

 僕はいつもB6のノートを持ち歩いています。
 リング綴で、しかもリングの輪の中に三色ボールペンをつっこめるくらいリングが大きな奴です。

 そこに、小説のアイデアやら場面やら思いついたことをぐちゃぐちゃと書いています。

 なんですが、とても他の人が読めるような代物ではありません。個人的な話で恐縮ですが、僕は左利きであまり字が上手じゃありません。しかも、速記するので、何が書いてあるのか自分でも読めないときがあります。

 ただ、大事なところはぐるぐると丸をつけたり、赤字で書いたりしているので、おぼろげながら、ああそうだったなと思い出せます。

 

 いま、書いている長編も、そんなB6ノートから生まれました。
 ちらっと最初のアイデアを書いたページを見たらほんと滑稽でした。
 子どもの落書きのような感じで、地球と月を表すつもりで大きな丸と小さな丸を書いて、小さな丸からロケットが発射して、地球に向かう絵が描かれてました。
 横に英語で、selection(意味は選択とかそんなのです)とか、evaluation(意味は評価とかそんな感じ)とか書いてますが、今見ると、なんのことやらさっぱり分かりません。

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魅力的な世界観

 僕がお金払って小説買うかどうかを決める大きな要素の一つに、その作品又は作者に魅力的な世界観があるかどうかということがあります。

 魅力的な世界観?
 首を傾げる人もいるかもしれないし、これは僕しか思ってないかもしれないので、少し説明が必要かもしれません。

 小説とはいわば作者が創造する世界です。
 つまり作者と言うのはその小説を支配する神であり創造主でもあります。
 だから小説には、その作者のこれまで培ってきた経験、知識、そして信念や想いが凝縮されているはずだと思うのです。
 そうしたものが全て注ぎ込まれているのが小説だと思うのです。
 当然そこには作者の個性が滲み出てきます。

 成就されない恋愛を好む作者。若者の成長を好む作者。密室ミステリーを好む作者。緻密で壮大なファンタジーを好む作者。心理的、哲学的な話を好む作者。

 そうした中でも、とりわけ際立ったまさにこれはこの人しか書けないだろうというくらい強烈な個性を持つ作家、その作家の個性がいかんなく発揮されたものを魅力的な世界観があると僕は呼び、そういう魅力的な世界観がある作家や作品が大好きなのです。


 例えば、横溝正史のあの田舎の因習と殺人を組み合わせた神技的なミステリー。司馬史観とさえ言われるほど歴史に対する深い洞察をもって書かれる司馬遼太郎の歴史小説。ある意味、宗教書にも匹敵するんじゃないかと感じさせる宮沢賢治の童話群。その名のとおり僕の中では伝説となっている田中芳樹の『銀河英雄伝説』。江戸時代の人情機微を描いた小説を書かせたら右にでるものはいないんじゃないかと思う池波正太郎。

 

 

 漫画もありますよ。
 あの時代によくこれほど奥の詰まった世界を描けたのかと今でもびっくりする、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』(映画じゃないですよ!)。
 エヴァンゲリオンは、完全に『風の谷のナウシカ』の巨神兵からアイデアをもってきたんだと思うし、『進撃の巨人』の超大型巨人だって、もしかしたら巨神兵にインスピレーションを得たのかもと思っています。

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時代

 本が売れるか売れないかというのは、作品の出来よりも時代のニーズに沿ったものかどうかということが往々にあります。
 ある意味、生前は全然売れなかったけど、死後に評価されるなんてことは文学だけでなく、あらゆる分野でざらにあることでしょう。
 あのゴッホが書いた絵だって、生前中に売れたのはたった一枚ですよ!

 

『赤いブドウ畑』(作:ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ)

 近代文学の歴史でも、写実主義、ロマン派、私小説、戦後派など、時代時代によっていろいろな文学が一世を風靡してきました。
 結局、そういう流行ってのは今でもあって、時代を反映したものがやっぱり売れるんですよね。

 そういう意味では、現代の異世界転生やハーレム系ラブコメの人気なんてのは、現代の流行ということなのかもしれません。
 でも、そこをもう少し分析してみると、僕が感じる現代のキーワードは、「閉塞感」と「不透明」ということなんじゃないかと思うんですね。

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謎の提起

 面白い小説、読まれる小説に欠かせない要素に「謎」があります。

 ミステリーにとどまらず、現代ドラマであれ、ファンタジーであれ、恋愛であれ、謎がなくては面白くありません。
 僕たちが小説を読む理由はいろいろあると思いますが、知的好奇心を満たしてくれるという要素は非常に大きいと感じます。
 知的好奇心を満たす小説――つまり謎が解き明かされていく面白さを持った小説ということです。

 たとえば恋愛で考えてみましょう。
 ある女性と男性がいたとして、その女性には何か謎めいたところがある。そんな女性に男性は惹かれていく。でも、どうしてもその女性は、男性の想いを受け取ってくれない。
 いったい、彼女が抱えているものは何なんだろう。
 その謎を解くことが、二人の距離を縮め、最後に結び付けさせることにつながるのかもしれません。

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モチベーション

 僕は、常に何かにはまってないとだめなタイプで、しかも、はまった以上は結構突き詰めるまで頑張るタイプなんです。
 学生時代はギター、麻雀、そして狂ったようにビリヤードにはまりましたし、仕事についてからは、サッカー、マラソン、そして今はまっているのが小説を書くことなんです。

 そして、自分がはまったこと全てに共通するのは、自分が納得するまでとことんやるってことなんです。負けたからとか、上手くできないとか、そういう理由では辞めない。とにかく、頑張って練習する。
 そうしているうちに、自分の器が見えてくるんですよね。
 自分はこのくらいかなと。
 そこまでたどり着いて、ようやく納得するんです。まあ、このくらいでいいかなと。そして続けたり、続けなかったりする。

 そういう意味では、小説を書くことについては自分の器がまだ見えていないんですよね。だから必死に書く。いろいろ勉強して、どんどん書く。そういう過程にいる僕にとっては、自分の書いた成長途上の作品が読まれるか読まれないかなんて、どうでもいいことなんですよね。

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読者層

 皆さんは、どういう方に読んでもらおうとして書いているでしょうか。
 これは意識してない人もいるかもしれませんが、実は、うっすらとは心の中にあるはずだと思うのです。
 女性、男性、学生、中年、エロい人、妄想好きなWeb住民……

 僕が最初想定していたのは若者でした。
 僕が書くのはほとんどが人生ドラマであり、その中で一番言いたいのは、夢や希望を持って欲しい、困難なことであっても挑戦する気概を忘れて欲しくない、生きることはやっぱり素晴らしいんだということをまさに現代の若者たちにぶつけたいと思っているからです。
 
 ただ、カクヨムで書き始めてから感じてきたのは、意外と女性の方が読んでくれているような気がするのです。
 これも旧エッセイの一番最後のエピソードで書いたので、ちょっと紹介します。

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女性キャラの書き方

 昨日女性のことを書いたので、関連して、女性キャラの書き方について考えてみたいと思います。

 僕は男です。
 当然、女性の心理などはまったく分かりません。
 女性の心理が分かっていたら、あんなにふられることもなかったろうな……そんなことはどうでもいい。

 とにかく、僕は男なので女性キャラを書くのにいつも難しさを感じます。
 長編では、だいたいヒロイン的なキャラを配置することが多いのですが、それは、人生において男と女の関係というものは切っても切れないし、それが抜け落ちたものは人間ドラマとして完全ではないと思っているからです。
 まあ、常に恋愛に発展させるわけではありませんが、男として、女としての感情はなるべくいれるようにしています。

 なんですが、男はまあ書ける。
 そりゃ、自分も男ですからね。こんなことも思うだろうし、こんな男がかっこいいというのも分かる。
 でも、女は本当に難しい。
 魅力的なヒロインにしたいと思っているのですが、どういう書き方をすれば魅力的になるのか、イマイチ分からないのです。
 分からないので、どうしても主人公を支えるような役回りになってしまう。
 本当はもっと個性を生かしたキャラを作りたいのですが、ここで、前に言った感情移入という問題が出てきてしまうのです。
 つまり分からないので感情移入できないのです。
 なので、男の視点から見た素敵な女性という形しか書けない。

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魅力的な脇役

 昨日女性キャラのことを書いたので、今日は魅力的な脇役について考えてみます。

 面白いエンタメ小説の鉄則として、主人公と同じくらい、いや、それ以上に魅力的な脇役が存在するというのがあります。

 漫画の方が分かりやすいので適当に並べてみますが、

『機動戦士ガンダム』の赤い彗星のシャア
『北斗の拳』の世紀末覇者ラオウ
『ジョジョの奇妙な冒険』の悪の帝王ディオ
『進撃の巨人』の人類最強の兵士リヴァイ

 

 

 ちょっと思いついただけでもこれだけ出てきますが、皆さんの中にも、いやあいつだ! こいつもいるぞ! と百家争鳴、山のように出てくるでしょう。

 ルパン三世などはルパンの魅力もさることながら、次元大介、石川五右衛門、峰不二子、銭形警部と、それぞれのキャラが完全に確立されて、それぞれを主役にしたストーリーも数多く放送されています。
 だからこそ国民的なアニメとしてこれだけ長く愛されているのでしょう。

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公募用の書き方

 小説を書くときにWeb向けと紙向けとでは全然違います。
 特に横書きと縦書きの差というのは歴然としてあります。

 このことについても少し旧エッセイに書いたのでご紹介します。

 

 最近、書き方を紙向けの仕様に戻している。
 一時、WEBで読みやすいように敢えて間隔をあけたり、段落を早めに変えたりしたが、やめた。

 なので皆さんが僕の作品を見たときに、うわっ、字いっぱいで見ずらいっていう方もいるだろう。でもまあ、それは勘弁してくださいという言うほかはない。
 
 いずれどこかの新人賞に出そうするならば、やはり縦書きの作品として形になるような体裁を取りたいと思うし、そういう表現にしたいと思っているからだ。

 もちろんWEB用の書き方の方が全然見やすい作品もある。
 最近、僕が読んでいいなと思ったカクコン5の応募作はあえて一編を短くして、しかも会話と心の声を適度にいれながら、まるで会話しているような感じで一気に読めて素晴らしいなと思った。
  
 WEBと書籍とでは、うける要素が結構異なると思う。
 WEBでは人気あったけど、書籍化したら全然売れないって実は結構あるんじゃないかと思う。もしかすると、これからの主流はWEBのような気もするのだけど、やっぱり僕は縦書きの紙の本を読むことをやめないだろうと思うし、紙の本がなくなることが想像できない。そして自分はやっぱり紙の本の方がいいなと思っている。

 Webというのはとにもかくにもとっつきやすいし、読まれやすいと思います。
 だが人はどうか知りませんが、僕はどうしてもじっくり読もうという気持ちが紙の本に比べれば少なくなるような気がするのです。一言一言を堪能したいという風には思わないのです。だから、さあっと速読するような感じで読んでしまう。そうなると、一文一文が短い方が、段落が空いていた方が、読みやすいことは読みやすい。

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推敲

 今、書き終わった作品の推敲に時間をかけているのですが本当に難しいです。改めて見ると、だめなところがたくさんありすぎて嫌になります。
 今日はどういうところが駄目なのか、少し一般化してご紹介したいと思います。

 その一 接続詞が多すぎる
 これはついつい使っちゃんですが、文芸作品として見たときにほんと余計。「そして」なんて、相当省きました。
 結局、話し言葉の感覚で地の文で書いちゃうから、なんとなく書いちゃうんですが、改めて見ると邪魔な感じが物凄くあります。

 その二 意味の分からない喩えを使っている
 作家マニュアルには陳腐な形容詞を使うななどとありますけど、それを真に受けて、意味不明な喩えをすると読みにくいし、文章の格ががくんと落ちます。
 そういう喩えはここぞってときに使えばいいので、毎度毎度変な喩えをするのは逆効果じゃないかと思ってしまいます。

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聖書 その1

 僕は別にキリスト教信者でもないし、聖書に造詣があるわけでもありませんが、意外と僕の書く作品には聖書を題材にしたものが多いです。

 僕が聖書に惹かれるのは神と呼ばれる存在にあまりに理不尽な点が多いことと、それに振り回される人間たちのドラマが物凄く魅力的だからです。

 例えば、アブラハムという人がいます。
 アブラハムはいわばユダヤ人の始祖みたいな人で、神はアブラハムに約束の地を与え、お前の子孫を星の数ほど増やそうと言われた。
 ところがそう言っているにも関わらず、神はアブラハムに試練を与えます。
 ある日、神の声が聞こえて、大事な一人息子のイサクを神への捧げものとして、燔祭(いけにえの動物を祭壇上で焼き殺し、神にささげる)にせよと命じるんです。

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聖書 その2

 聖書は面白い話の宝庫なので、今日も少し取り上げてみたいと思います。

 創世記にカインとアベルという兄弟が出てきます。この二人はエデンを追放されたアダムとイブが生んだ最初の子どもたちです。

 このうちカインは畑を耕し、アベルは羊を飼うものとなります。ところが神はアベルの捧げものは受け取ったのにカインの捧げものには見向きもしません。これに腹を立てたカインは野原にアベルを呼び出して、殺してしまいます。
 そして神が「アベルはどこにいるか?」とカインに尋ねると、カインは「知りません。私は弟の見張り番なのですか」と神に対して嘘をつきます。
 神はこの罪に対して、カインを荒れ野に追放するのです。

 

 

 つまりカインは人類最初の殺人者であり、嘘をついた最初の人間なのです。

 でもこれもよくよく考えると理不尽なことがあります。なんで神はカインの捧げものに見向きもしなかったのでしょうか? いろんな説がありますが、それは結局、そうじゃないかという推測です。肝心なことは聖書ではそのことについて一切書かれていないってことです。つまり理由もないまま、カインは神に拒否されたのです。

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聖書 その3

 今日も聖書ネタから。
 
 僕が聖書に興味を持ち始めた最初のきっかけは、たぶん20世紀の終わりのころだったと思います。その頃、世界が滅びるとかそんな本がたくさん出てましたが(ノストラダムスの大予言とか日本沈没とか)、その中に聖書の黙示録があったのです。

 僕は黙示録の世界に引き込まれました。
 七つのラッパを吹く天使、四人の騎士、龍(サタン)、666の獣、バビロンの大淫婦、新しい天と地……

 最初は、こうした謎めいた言葉や世界観に引き込まれましたが、今は、まさに現代と黙示録の世界との対比という視点で関心が深まっています。

 四人の騎士がというものがいます。
 黙示録には、こう書かれています。

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ネタづくり

 小説のネタというのは至る所に転がっているが、やはり自分が経験したことが一番リアルに書きやすい。
 でも、そんな小説のネタになるような体験なんてしてないしなあという人がいるかもしれないが、それは物事を表層的にしか見ないからそういう発想になるんだと思う。

 以前、自分の恋愛体験をもとに女は謎だというテーマのエッセイを書いたが、意外と好評だったようで、男は謎だという逆パターンを書かれた書き手さんもいた。やはり恋愛ものは多かれ少なかれ万人が興味を持つテーマだと思うし、男と女が織りなす最高の駆け引きであり、人間ドラマの縮図だと思う。どんな恋愛だって、そこには人と人との心の交錯があり、ネタにならないはずがないと僕は思う。

 今、僕は熱帯魚を飼っているが、それをネタにしたら面白そうかなと思っている。
 アクエリウムの世界にのめりこんでしまい精神が破綻する男の話だ。
 真っ暗な部屋の中で水槽の明りだけが光っている。
 その中を色とりどりの魚たちが楽しそうに泳ぎ回っている。
 流木や水槽が完璧にセットされ、それはあたかも一枚の絵であるかのようである。
 その絵を朝から晩まで陶酔したように眺める男。
 仕事もいかず、食事を取ることも忘れ、無精ひげがのび、頬はやせこけているが、目だけ爛々と輝いている。
 なかなか凄惨な光景だが、何か引き込まれそうな力も感じる。

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群像劇

 今、僕が書いている物語は群像劇的な性格を持たせている。
 メインキャラは確かにいるのだが、そのキャラの視点だけでない別なキャラの視点での世界観を描きたいと思っているからだ。
 だがそういう群像劇を成立させるためには、主人公以外のキャラにもメインキャラに匹敵するくらいの存在感と存在理由を与える必要がある。

 そういう書き方はある意味でかなり難しい作法であることは確かだと思う。
 一人の人生を書くのですら大変なのに、複数の人間のドラマを並行的に書かなければならないのだから。だが上手くいけば、それぞれのキャラが一つの楽器のように音を奏ではじめ、まさにオーケストラのような重奏的な調べを生み出し始める。

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長編の終わらせ方

 長編をどこで終わらせるかということは、いろいろ議論があるだろう。
 ちゃんと終わりを見据えているのであれば何も問題ないが、マンネリになってしまうことも少なくない。

 たとえば、北斗の拳という漫画がある。
 あくまでも僕個人の意見だが、あれはやっぱりラオウの死で終わった方が良かったのではないかと思う。
 カイオウ編がだめだと言うのではない。ただ、ラオウの死までがあまりに完璧すぎて、そこで終わればまさに伝説となっただろうなと思うのだ。
 だがそんなことを思いつつ、カイオウ編が始まったとき、まだ続くんだと喜んだ記憶も自分の中には確かにあったのだ。
 つまり僕の言っていることは、全部終わったあとにあそこで終わってれば最高だったのにといういわゆる結果論にすぎない。
 カイオウ編が僕にとって凄いと感じられたら、こんなことを思いもしなかっただろう。

 

 

 ただそうは言っても、やっぱりカイオウ編は新しい物語であり、おそらく作者は当初はあそこまで想定して書いてはいなかったんだろうとも思うのだ。もしかするとあの頃の圧倒的な人気の中で、やめるにやめられなかったんじゃないか、そのために物語を追加したんじゃないかとさえ勘繰ってしまうのだ。

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個性の書き分け

 今、執筆中の長編で僕の中で課題にしていることがある。それはキャラの個性を書き分けられるかということだ。

 人にはいろいろな個性がある。
 勇敢、賢い、優しい、元気、そういういわゆる誰からも好かれるような性格もあるが、頑固、臆病、ずる賢い、自分勝手、傲慢というようなどちらかと言えばマイナスの性格もある。
 僕はこの長編で6人の少年少女をメインキャラとして扱っているが、この6人にも当然性格の違いがあり、その違いをしっかりと書き分けたいと思っているのだ。

 さらに付け加えていけば、主人公と敵役というポジションすら無くしてしまいたい。どちらが正しくて、どちらが悪かということすら固定せずそれぞれのキャラたちを書き分けたいと思っているのだ。
 そういうことをすると読者の方が混乱するかもしれないということはよく分かっている。だが、それでもそういう書き方をしてみたいと思っているのだ。
 単純な正義と悪というくくりの中で書くのではなく、人間の中にある複雑にうごめく感情を表現してみたいと思っているのだ。

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書きたい時代

 書きたい時代というのがある。
 でも、それは好きな時代とは少し違う。
 どういうことかというと、例えば僕は例にもれず戦国時代が好きだ。
 特に信長に憧れる。
 幕末も好きだ。
 新選組、特に土方歳三の大ファンだ。

 

 

 でも、その時代を舞台に書きたいとはあまり思わない。
 まあ、その時代はすでにたくさんの作家が書いていて名作も多いし、いまさら僕が書いてもなという気が起こってしまう。

 というわけではないが、僕が書きたい時代として一番にあがるのは奈良飛鳥、平安時代だ。
 どういうわけかこの時代に憧れる。
 なんというか、豪奢な平安貴族がいる一方で道端に腐った死体が転がっているような妙なアンバランス。統治能力がまったく感じられない公家衆がなぜか実権を握り、その下で武士や庶民が喘いでいるという理不尽。至る所に闇があって、そこから異形のものたちが今にも出てくるんじゃないかと思ってしまほどのファンタジー性。

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お笑い芸人から学ぶもの

 最近、お笑いにはまっている。
 一時、内輪ネタばっかりで盛り上がる風潮に飽き飽きして全く見なくなっていたが、嫁さんと娘が「有吉の壁」という番組が好きで、毎回見せられるたびにはまってしまった。

 

 

 この番組の何がいいって、よくある順繰りに出てきてコントや漫才披露っていうのではなく、毎回ロケ場所を変えてそこにあるもので笑わせるという芸人の臨機応変さがみられるところや、コンビ間のコラボにより新しい魅力が出てくるところ、いろんな企画があってその芸人の意外な面白さを感じられるところだ。

 みんな面白いけど、とりわけチョコレートプラネットやシソンヌ、ジャングルポケット、パンサー、友近さんなどは本当に面白い。

 こういう面白い方々のコントを見てると、面白いってだけでなく、創作しているものの端くれとして完成度の高さに感動してしまうときもある。

 こんなシチュエーション考えつく!
 こういう展開あり!
 最後こう来たか!

 まさに手を叩いて、唸ってしまう。

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いつまでも心の中に残り続けるもの

「ぐりとぐら」という絵本がある。
 その中で、ぐりとぐらがリュックを背負い、大きなフライパンを持って森の中でパンケーキをつくるという話がある。
 大きなボールに卵と牛乳と小麦粉を入れて、持ってきた大きなフライパンで焼き上げるのだ。
 そうするといい匂いが森中に漂ってきて動物たちが集まってくる。
 みんな、どんな美味しい食べ物ができるのかと期待しながら待っている。

 ようやく出来上がったパンケーキ。
 まっ黄色くて、フライパンからあふれんばかりにふっくらして。

 僕は今でもその絵を鮮明に覚えている。
 大人になって、美味しいパンケーキやホットケーキもたくさん食べたが、やっぱり僕の中では、あのパンケーキ以上のものはないのだ。あのパンケーキはもっと美味しいに違いないと今でも思っている。

 

 

 高校時代、吉川英治の「三国志」にはまった。
 中原に覇を唱える男たちの血沸き肉躍る物語に興奮して、夜更けまで読みふけった。
 同じように、山岡荘八の「織田信長」にも夢中になり、織田信長のかっこよさに憧れた。

 それ以来、光栄というゲーム会社が出している「三国志」と「信長の野望」というシュミレーションゲームにドはまりし、新しいシリーズが出るたびに発売日当日、お金を握り締めて買いに行き、帰ってくるとわくわくしながらパソコンにインストールし、気づけば10時間以上、飯も食べずにのめり込んだものだった。

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ファンタジーとリアリティ

 僕はファンタジー作品が好きだが、好きなファンタジー作品には共通点がある。
 それは、深い知識とその作者ならではの新しい要素がきちんと折り合って、奥深い世界観が構築されているかということである。

 例えばファンタジーと言えば魔法であり、火の魔法、雷の魔法、水の魔法、いろいろある。
 でも単にそういう魔法があるというのではなく、例えばそこに陰陽五行説の考え方を組み入れると、その魔法体系がいっきにリアルに感じられる。
 火は水に弱い、水は土に弱い、土は木に弱いと、まあ、そんな感じだが、そうした考え方はおそらく世界中に共通するんじゃないかと思う。

 熱に関しても物理法則に基づけば、

 「龍が吐いた真っ赤な炎は周囲の街を焼き尽くした」

 「龍が吐いた青い炎は周囲の街を一瞬にして蒸発させた」

 という似たような二つの文も、龍の吐く息の色によってその威力が違うが、至極理に適っている。

 

 

 光には波長というものがある。
 虹を見ればすぐに分かるが、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫という風に分かれる。
 これは波長の違いによって屈折率に差があり、大気中の水滴にぶつかったときに光が波長ごとに分かれるために、こうした色合いとなるからである。

 波長の違いというのは、言い換えれば、エネルギーの強弱と言い換えてもいい。
 上の例でいえば、赤が弱く、青が強いということになる。ところが実は青よりも紫よりも強い波長の電磁波がある。
 それを紫外線という。紫外線は細菌を殺し、人間の肌も容赦なく焼く。
 さらに波長が強い電磁波としてX線があり、医療機関で厳重な管理のもとに使われてることは誰でも知っている。つまり物理法則を正しく理解することによって、魔法にリアリティを味付けすることができる。

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終わりに

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 ここまで読んで、小説を書くっていろいろ大変そうだなと思った方もいるかもしれません。ですが、そんなことはありません。

 皆さんの中には、日記やブログを書いている方もいますよね、日記やブログが書けるなら、小説だって書けるんです。だって、そこに書いてあるのは、皆さんが日常の中で感じたことであり、周りの人に伝えたいことですよね。小説も同じなんです。

 最近、小説が売れない、小説が読まれないという話を聞きます。確かに紙の本の売れ行きは先細りです。100年後には小説というのはなくなっているかもしれません。

 でも、もし小説はなくなったとしても、物語は絶対になくなりません。

 なぜなら人間には創造したいという欲求があるからです、人間は一人で生きていられるほど強くないからです。自分の想いを吐き出したいと願うからです。誰かと感情を共有したいと願うからです。

 人間がこの世にある限り、物語はなくならない。

 僕はそう信じています。

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