小説のネタというのは至る所に転がっているが、やはり自分が経験したことが一番リアルに書きやすい。
でも、そんな小説のネタになるような体験なんてしてないしなあという人がいるかもしれないが、それは物事を表層的にしか見ないからそういう発想になるんだと思う。
以前、自分の恋愛体験をもとに女は謎だというテーマのエッセイを書いたことがあるが、意外と好評だったようで、男は謎だという逆パターンを書かれた書き手さんもいた。やはり恋愛ものは多かれ少なかれ万人が興味を持つテーマだと思うし、男と女が織りなす最高の駆け引きであり、人間ドラマの縮図だと思う。どんな恋愛だって、そこには人と人との心の交錯があり、ネタにならないはずがないと僕は思う。
今、僕は熱帯魚を飼っているが、それをネタにしたら面白そうかなと思っている。
アクエリウムの世界にのめりこんでしまい精神が破綻する男の話だ。
真っ暗な部屋の中で水槽の明りだけが光っている。
その中を色とりどりの魚たちが楽しそうに泳ぎ回っている。
流木や水槽が完璧にセットされ、それはあたかも一枚の絵であるかのようである。
その絵を朝から晩まで陶酔したように眺める男。
仕事も辞め、食事を取ることも忘れ、無精ひげがのび、頬はやせこけているが、目だけ爛々と輝いている。
なかなか凄惨な光景だが、何か引き込まれそうな力も感じる。
それが面白いかどうかは人それぞれだろうが、少なくても自分は面白く感じる。
ネタ作りというのはそういうことなんじゃないかと思う。
まずは自分が面白そうだと感じるものをつきつめて一心不乱に書く。
作者ができるのはそこまで。あとは読者次第。読まれるか読まれないか。
つまり、自分が面白いと感じることに多くの読者を惹きつける普遍性と奥深さがあれば、その作者の作品は読まれていくだろうし、そうしたものがなければ独りよがりの自己満足作品と評価されるだけだろう。それは自分ではなんともしようがない。
では反対に、多くの読者が興味を持っているテーマをかけば読まれるのかといえば、可能性は高まるだろう。そういうのをいわゆるテンプレ作品というのだろう。
だが、僕はそういうものを書きたいとは全く思わない。
自分が面白いと思うから書くのであって、面白くもなんとも思わない作品を書くなんて、そんな苦行者みたいな真似は絶対にできない。
やっぱり僕は自分の書いたものを一番先に読める嬉しさを保ちながら、書いていきたいと思う。