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【小説技法】血肉が通う

 お前、毎日こんなエッセイもどきのブログで適当なこと言ってるけど、肝心の小説の方はちゃんと書いてんだろうな!

 そう思われる方がいるかもしれないがご安心ください。
 今、「鎮魂の唄」という時代ファンタジーを書いているが、ほぼすべての登場人物が出そろい、そのどれにも血肉が通い始めた。
 物語もラストの章に入ったので、後は最後まで一気に書けると思う。

 キャラに血肉が通い始める。
 僕的には、ここが一番肝心なところなのだ。
 つまり、そのキャラが完全に僕の中で一人の人間として確立してきたということだ。
 そうなれば、そのキャラが何を思い、何をしゃべるのかなんていちいち考えるまでもない。
 勝手に行動し、勝手にしゃべっていく。
 僕はそれをただ紙に写すようなものだ。

 僕の書いている長編は、どれもそうだ。
 キャラに血肉が通っている。
 だから、少々間があいても、すぐに書ける。
 逆に、彼らに早く書けと催促されているようにすら感じる。

 自分の書くキャラってイマイチ弱いんですという人がいたら、それはおそらく、その書き手がまだそのキャラを掴み切れていないということだと思うが、僕としては、もっと単純に、そのキャラを愛していないんじゃないのかなって思う。

 僕は自分の書くキャラたちが大好きだ。
 いつかそいつらと一緒にキャンプにでもいき、大いに飲んで食って、盛り上がりたい。そういうやつらなので、当然、そいつらの歩む姿は大事に書きたい。そいつらの魂の叫びをあますところなく伝えたい。

 本当にそのキャラが好きなら、そいつの声が聞こえてる。そいつの姿が浮かんでくる。そいつが何をしようとしているのか考えなくても分かる。
 つまり一人の人間と同じだ。一人の友達であり、両親であり、子であり、恋人と同じだ。
 そういう人たちを書けないとしたら、それはもう、物語を書くことに向いていないと思う。

 僕はそこまでキャラが確立されてくると、逆に、こいつらと別れたくないとすら思ってしまう。
 完結させたくないと思ってしまう。いつまでも書いていたいとすら思う。
 まあ、そうも言ってられないので涙をこらえて完結させようと思うが、いつかスピンオフ的な作品でそいつらをまた書きたいとも思っている。

 

~初夏の夜、青龍寺の縁側にて~
「おい三蔵、龍樹兄りゅうじゅあにが亡くなってからもう3か月も過ぎたじゃねえか! いったい、仏の十の力ってなんなんだよ!」
制托迦せいたか、そんなに焦るな。見ろ、あの月を。なんともいい月じゃないか、こうして月を見ながら酒を飲めるとは、なんともいいもんだ」
「こら、三蔵! もう終わりっていったでしょう! 黙ってるとあんたは一升でも二升でもあけちゃうんだから。うちが貧乏寺なのはわかってるでしょう! もう明日からは、酒は一号だけにします!」
「楓、それはちょっと、せめて、一升……」
「なんか言った!」
「……」

月見酒

 

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