アマチュア作家の成り上がり小説ブログ

素人作家がどこまで高みに昇りつめることができるか

【社会に対して好き勝手に放言します】総集編

 日本という国は素晴らしい文化、歴史、精神性を持っている国だと思う。海外に行って、外から日本を見るとそのことが本当によく分かる。だが残念なことに最近どんどん日本の良いところが失われているように感じる。

 経済大国日本、平和で豊かな日本。
 確かに外面だけみたら、そうなのかもしれない。だけど一枚皮を剥いだら、そこにあるのは薄汚く、利己的で、欺瞞に満ちた日本の社会。こんなんで本当に良いんですか?
 僕は日本が好きだし、 日本に生まれてよかったと思うし、この日本という素晴らしい国をしっかり自分の子供たちの世代につないでいきたい。

 だから、社会に対して好き放題言わせてもらいます。やっぱり今の社会はおかしいってことを。ということで、お読みになる方によっては、そりゃ違うだろと思う方もいるかもしれませんが、あくまでも僕個人の心の叫びだということで、ご容赦願います。

 

 

 

 

僕の中に棲む鬼

 僕の中には鬼がいる。
 その鬼は普段は出てこないが、自分勝手なやつや、理不尽なものを見ると腹の底からじわじわ昇ってきて、僕を凶暴なまでに一変させる。

 そういう心に巣くう鬼が、自分に物語を書かせているような気がする。

 おかしいだろ!
 こんなんで本当にいいのかよ!
 こんな腐った社会、ぶち壊した方がましだろ!

 振り返ってみると僕の書いた物語の根底には、こういう思いが必ずある。

 せっかくなのではっきり言うが、僕は努力もしないで甘え切ってる奴が大嫌いだ。
 人の悪口や愚痴ばかり言って、自分の力で前に進もうとしない奴も大嫌いだ。
 現実を無視して、理想ばかり語る政治家や批評家もどきも大嫌いだ。
 いろんな国の人と話すのは好きだが、理不尽な国、自分勝手な国は大嫌いだ。

 

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僕が書く理由 その一

 僕が物語を書く理由の一つが、内面から湧き上がる怒りだということは、先日話したかもしれない。
 不条理な社会や自分勝手な人間に対する凄まじいまでの怒りだ。

 だが、物語を書く理由はそれだけではない。
 もし、僕がそれだけを理由に書いたとしたら、僕の書く物語は、ただの暴力賛美小説か、それこそ今流行りのざまあみろ的な妄想小説となんら変わらないかもしれない。

 でも僕はそんなものを書きたいとは思わない。
 そんなものが本屋に堂々と並べられていることに嫌悪すら感じる。
 日本人って、こんなに下劣になったんだろうかと感じる。
 こんなものをこれからの日本を背負う若者たちが読んでいるのかと思うと悲しくてしょうがない。

 僕が物語を書くもう一つの理由、それは僕自身の信条の中にある。
 前に僕の人生に大きな影響を与えた言葉を紹介したことがあるが、あえて紹介しなかった言葉がある。

 

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僕が書く理由 その二

 昨日書いたテーマですが、ちょっと言葉足らずだったような気がするので、少し補足したいと思います。

 昨日の文章の最後の方で、僕はこう書きました。

 エロでも妄想でもざまあでも、そりゃどんな物語を書いたっていい。
 でも少なくてもそんなものが、文学の潮流になどなって欲しくない。
 だから僕は人間賛歌を書く。

 ただのアマチュアがそんなもん書いたからどうなるんだ、そんなことをしてもエネルギーの無駄だろうと思うかもしれない。
 それでも、僕は書きたい。
 それは、わずかでも読んでもらい、人間の善性の向上に寄与したいという思いも確かにあることはある。 

 でもそればかりじゃない。
 まず僕自身が、そういう風潮に戦いを挑みたいと思っているからだ。
 読まれるだろうかとか、そんなことを考えるよりも、まず僕自身が一歩踏み出したいからだ。
 口ばっかりで、結局なんにもしない奴らと同じに思われたくないからだ。
 だから、僕は書くのだ。

 改めて読むと、何か現代に戦いを挑むことが一番の目的で書いていると言う風に捉えられかねないなと思い、そこは少し言葉を添える必要があるなと感じたからです。

 なにより大きいのは、僕が人間を讃える物語が好きだということです。
 そういう本、ドラマ、映画が大好きだし。僕自身、そういう生き方をしたいと思っています。でもそれとは真逆な世界がやっぱりあって、しかもそうした世界の風潮が現代を覆っているように感じるのです。そこに悲しみと怒りを覚えるのです。心の中でそれは違う、もっと大切なことがあるんだと叫んでいるのです。
 その叫びが、何かのはずみであふれてしまい、僕は書きたいと思うようになったんだと思います。

 

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ドラマの質の低下

「犬神家の一族」、皆さんも見たことはなくても聞いたことはあるでしょう。
 この作品は何回もリメイクされていますが、もし見るなら、1976年の市川崑監督の作品が断トツでトップです。

 自分でも小説まがいのものを書いていると、絶世の美女とか貫禄がある女性というのをイメージするときがありますが、絶世の美女は「犬神家の一族」の野々宮珠代こと島田陽子さん、貫禄ある女性は犬神松子こと高峰三枝子さんが真っ先に頭に浮かんできます。
 それくらい、この映画のこの二人の存在感は圧倒的で、主人公の石坂浩二さんがかすんでしまうくらい素晴らしい演技だと思います。
 島田陽子さんの美しさと言ったら、ほとんど空前絶後です。こんな人が目の前にいたら、僕は一言もしゃべれないと思います。

 ま、そんなことはさておいて、この映画を見て思うことは、現代で恋愛とかヒューマンドラマというテーマで物語を書く人は物凄く辛いんだろうなということです。
 なぜかと言えば、現代は恋愛や人間関係があまりに軽いあるいは希薄になりすぎて、それだけでは小説のテーマになりえないんじゃないかと思うからです。

 出会いも、駆け引きも、終わりもネットで至極簡単にすませられる現代。
 二股なんて当たり前、不倫や離婚なんて話題にもならない、エッチした人の数が自慢になる。

 

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本屋大賞と芥川賞

 文芸ニュースを読んでいたら、芥川賞や直木賞作品よりも、本屋大賞受賞作品の方が圧倒的に売れるというような記事があって興味深く読んだ。

 そもそも本屋大賞が創設されたきっかけの一つは、2002年に横山秀夫さんの書いた「半落ち」という作品が、圧倒的な読者支持を得ていたにも関わらず、直木賞を受賞することができなかったことらしい。横山さんは、この選考結果に納得がいかず、今後直木賞とは決別するとして大きな話題になったようだ。そして、同じくこの結果に納得できなかった書店員さんたちの思いが、本屋大賞を創ったそうだ。

 本屋大賞が売れる理由は、自分たちが選んだ本だということで、当然、販売コーナーも目を引くところに作られるし、また、受賞作決定から発表まで一か月のタイムラグを置くことで、版元から本を確保する時間もとり、発表と同時に本が切れると言うようなことがないようにしていることもあるらしい。
 確かに、近所の本屋に行くと、本屋大賞というコーナーがずっとあり、候補作や受賞作がどかんと並べられている。

 この記事を見て思ったのは、結局、本を買う人は名もない市民であり、その市民が本を手にするのは書店であり、その本をこれは面白いよとPOPを立てて推薦しているのは書店員さんであり、そうして買って読んだ人たちの熱いレビューがネットにのっていき、そういうことの積み重ねによって本の売れ行きが決まっていくんだろうということだ。

 

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僕と娘の夢

 娘はアニメーターになりたいそうだ。
 僕は、やってみればいいさと答えた。
 子どもの頃はたくさん夢があっていい。僕だって、外交官になって世界を旅したり、キャプテン翼のようなサッカー選手になりたかった。

 でも実際は、成長するにしたがって、どこかで自分の限界をしったり、別な方向に興味をもったり、外的な影響のためだったりして、その夢は叶うことはなかった。

 ところが、今、僕の中には再び夢ができた。
 それは、自分の書いた物語を世に出したいという夢だ。

 作家を目指すのかと問われればそうではない。こんなことを言うと矛盾するようだが、僕は小説を書くことだけに縛られたくない。自分の性格的に常に新しいことに挑戦してみたいという思いがある。
 それに僕は今、それなりの肩書を背負って社会と向き合っているので、そう簡単に仕事を放り投げるわけにはいかない。
 だけど、このまま定年まで今の仕事をしたいかと言われると、そうは思っていない。
 やっぱり自分がやりたいことをしながら、人生を生きてみたい。
 それは当然、リスクがある。でもリスクのない人生なんて、そもそもありえるのだろうか。

 

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エロとエロス

 小説投稿サイトを眺めていると、ここって実はエロサイトなのかって思わずいいたくなります。
 いつも不思議に思ってるんですが、女性はこういうの好きなんですかね?
 美少女だの、幼馴染だの、ハーレムだの、〇〇だの、△△だの……

 僕はエロスは好きだけど下品なエロは勘弁してほしい。 
 エロスとエロと何が違うんだというかもしれませんが、僕が考えるエロスとは隠されたもの、自分にないものを求めんとする人間の行動であり欲求なんですよね。
 隠されたものというのが大事で、それが女性に向けられた場合は、女性の秘めたる場所を見たいと言う欲求にもつながる。
 なんか七面倒くさい話をしましたが、要は、隠された、秘めた、だからこそ淫靡なものであって欲しいってことです。

 

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ボディタッチ攻撃

 男に対して、ごく自然にボディタッチをしてくる女性がいます。
 男の肩を叩いたり、腕を引っ張ったり、胸を体にあててきたり、物凄い至近距離で顔を覗き込んできたり。

 こういうことをする人に対しては、女性の中でも賛否両論あるでしょう。
 だが、この攻撃はとてつもなく強力です。
 まず大半の男は平常心ではいられません。
 例え、男の心に秘めた女性がいたとしても、いつ食えるか分からないキャビアより、牛丼でいいやとばかりに、バクっと食いついてしまいます。
 ところが、いざ食いつこうとすると、するりと逃げられる。
 えっ、俺に気があるんじゃなかったの! と男は夜な夜な煩悶することになります。

 

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やさしさ攻撃

 昨日、ちょっと風邪気味で病院に行って薬をもらってきましたが、看護師さんや薬剤師さんが優しい言葉をかけてくれて、思わず天使のように見えてしまいました。

 ということで、今日は優しさということについて書いてみます。

 女性に好きな男のタイプはと聞くと、十中八九「やさしいひと」と答えが返ってきます。
 しかし、この「やさしいひと」というタイプの男。
 僕からすれば、ただの悪人です。
 一応、二種類に分類されます。

 一つ目のパターンは、いかに女を口説くかを熟知している男が使うやさしさ。

 

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小悪魔

 小悪魔みたいな女性がいる。
 男は、弄ばれていると分かっていても、どうしてもそういう人に惹きつけられてしまう。

 体を擦り寄せてきて、ねえ、ねえ、あれ欲しい、とねだる。
 僕は一瞬ためらうが、その子の顔を見ると自然に笑顔になり、しょうがないなと買ってしまう。

 私のこと好き? とつぶらな瞳で聞いてくる。
 もちろんと答える。

 一番好き? とさらに聞いてくる。
 当たり前だよと答える。

 すると、じゃあ、二番目は? と聞いてくる。
 そうだなと言葉を濁すと、急に怒って僕を責め立ててくる。

 

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