アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【社会に対して好き勝手に放言します】~僕が書く理由 その2~

 昨日書いたテーマですが、ちょっと言葉足らずだったような気がするので、少し補足したいと思います。

 昨日の文章の最後の方で、僕はこう書きました。

 エロでも妄想でもざまあでも、そりゃどんな物語を書いたっていい。
 でも少なくてもそんなものが、文学の潮流になどなって欲しくない。
 だから僕は人間賛歌を書く。

 ただのアマチュアがそんなもん書いたからどうなるんだ、そんなことをしてもエネルギーの無駄だろうと思うかもしれない。
 それでも、僕は書きたい。
 それは、わずかでも読んでもらい、人間の善性の向上に寄与したいという思いも確かにあることはある。 

 でもそればかりじゃない。
 まず僕自身が、そういう風潮に戦いを挑みたいと思っているからだ。
 読まれるだろうかとか、そんなことを考えるよりも、まず僕自身が一歩踏み出したいからだ。
 口ばっかりで、結局なんにもしない奴らと同じに思われたくないからだ。
 だから、僕は書くのだ。

 改めて読むと、何か現代に戦いを挑むことが一番の目的で書いていると言う風に捉えられかねないなと思い、そこは少し言葉を添える必要があるなと感じたからです。

 なにより大きいのは、僕が人間を讃える物語が好きだということです。
 そういう本、ドラマ、映画が大好きだし。僕自身、そういう生き方をしたいと思っています。でもそれとは真逆な世界がやっぱりあって、しかもそうした世界の風潮が現代を覆っているように感じるのです。そこに悲しみと怒りを覚えるのです。心の中でそれは違う、もっと大切なことがあるんだと叫んでいるのです。
 その叫びが、何かのはずみであふれてしまい、僕は書きたいと思うようになったんだと思います。

 だから僕が書く理由は確かに戦いなのかもしれないけど、その源泉は溢れ出そうになる心の叫びを吐き出したいと言う、その一念なんだと思います。

 僕は創作する人たちは、全て、心の中に叫びを抱えているような気がします。
 ピアノを弾く人、絵を描く人、彫刻をする人、物語を書く人、いや、ごく普通の人だって、心に叫びを抱えているんだと思います。

 

 

 人は心に溜まったものを吐き出したいとき、酒を飲んだり、おしゃべりしたり、買い物したり、とにかく、そんなことでその叫びを解消しています。そうじゃないですか?
 でも、生まれつきその叫びの量が多い人がいます。または叫ばざるを得ない状況に追い込まれた人がいます。
 そう言う人は、もはやそういう形では自分の叫びを消化しきれない。
 だから、創作という形で自分の叫びを外に出すんだと思います。

 だから、叫びたいところをうまく書けると本当にすっとします。
 自分の体の中で蠢いていたものが、昇華していくような感じがします。
 でもほっておくとまた溜まってきて、僕を苦しめ始める。
 もうそんなことの繰り返しです。
 だから僕にとって書くと言うことは、戦いであると同時に僕自身の救いの道でもあるのです。

 苦しくて苦しくて叫びたくなった時は、その想いを言葉にして書いてみることをお勧めします。ブログでも日記でも創作でもなんでもいいんだと思います。
 それは、ある意味、何物にも代えがたい自己解放の道であり、魂の癒しにつながる素晴らしい体験だと思います。

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