僕が物語を書く理由の一つが、内面から湧き上がる怒りだということは、先日話したかもしれない。
不条理な社会や自分勝手な人間に対する凄まじいまでの怒りだ。
だが、物語を書く理由はそれだけではない。
もし、僕がそれだけを理由に書いたとしたら、僕の書く物語は、ただの暴力賛美小説か、それこそ今流行りのざまあみろ的な妄想小説となんら変わらないかもしれない。
でも僕はそんなものを書きたいとは思わない。
そんなものが本屋に堂々と並べられていることに嫌悪すら感じる。
日本人って、こんなに下劣になったんだろうかと感じる。
こんなものをこれからの日本を背負う若者たちが読んでいるのかと思うと悲しくてしょうがない。
僕が物語を書くもう一つの理由、それは僕自身の信条の中にある。
前に僕の人生に大きな影響を与えた言葉を紹介したことがあるが、あえて紹介しなかった言葉がある。
実はその言葉は漫画由来だ。
僕が好きな漫画はいくつかあるが、その中に「ジョジョの奇妙な冒険」というものがある。
これは物語の設定は異なれど、現在に至るまで30年以上続いているもはや国民的な漫画であるが、第二部にその言葉がある。
第二部では、石仮面という人間を吸血鬼にする不思議な仮面を作った最強の生物たちとジョジョたちとの戦いが描かれているのだが、ジョジョのライバルであり、また親友であるシーザー・ツェペリが、ワムウというまさに最強の敵と戦う場面がある。
シーザーはワムウをあと一歩というところまで追いつめるが、あと一歩、望み果たすことなく倒れてしまう。
だが、シーザーはジョジョのために残された力を振り絞り、最後の波紋を放つ。
その時に叫んだ言葉がこれだ。
「おれが最後にみせるのは、代代うけついだ未来にたくすツェペリ魂だ! 人間の魂だ!」
本当は、この言葉は漫画の原本で見て欲しい。それほどこのシーンは強烈だった。
僕はこれを見て思わず号泣してしまった記憶がある。
未来にたくそうとする人間の魂。
それこそ、生命体である人間が持つ根源的な意思であり、生きる証である。
それがあるからこそ、人間は人間と呼べるのだと思う。
夢、希望、愛情、理想、そして常に向上しようとする人間の精神。
そうしたものが全てこの言葉に凝縮している。
僕が書きたいのは、そういう人間の姿なのだ。
人間を讃える物語、人間賛歌をこそ書きたいのだ。
エロでも妄想でもざまあでも、そりゃどんな物語を書いたっていい。
でも少なくてもそんなものが、文学の潮流になどなって欲しくない。
だから僕は人間賛歌を書く。
ただのアマチュアがそんなもん書いたからどうなるんだ、そんなことをしてもエネルギーの無駄だろうと思うかもしれない。
それでも、僕は書きたい。
それは、わずかでも読んでもらい、人間の善性の向上に寄与したいという思いも確かにあることはある。
でもそればかりじゃない。
まず僕自身が、そういう風潮に戦いを挑みたいと思っているからだ。
読まれるだろうかとか、そんなことを考えるよりも、まず僕自身が一歩踏み出したいからだ。
口ばっかりで、結局なんにもしない奴らと同じに思われたくないからだ。
だから、僕は書くのだ。