今、書き終わった作品の推敲に時間をかけているのですが本当に難しいです。改めて見ると、だめなところがたくさんありすぎて嫌になります。
今日はどういうところが駄目なのか、少し一般化してご紹介したいと思います。
その一 接続詞が多すぎる
これはついつい使っちゃんですが、文芸作品として見たときにほんと余計。「そして」なんて、相当省きました。
話し言葉の感覚で地の文を書いちゃうから、なんとなく使っちゃんうんですが、改めて見ると邪魔な感じが物凄くあります。
その二 意味の分からない喩えを使っている
作家マニュアルには陳腐な形容詞を使うななどとありますけど、それを真に受けて、意味不明な喩えをすると読みにくいし、文章の格ががくんと落ちます。
そういう喩えはここぞってときに使えばいいので、毎度毎度変な喩えをするのは逆効果じゃないかと思ってしまいます。
その三 余計な言葉が多すぎる
その一、その二と同じことですが、とにかく余計な言葉が多すぎるんですよね。句読点や助詞ひとつとってもくどいものが結構ある。だからブラッシュアップすると、相当、削ることになってしまいます。
僕は意外と物語とはあまり関係がないことは書かない方なんですが、それでもガンガン削除してます。
この会話必要ある? このエピソード関係ある? って感じです。
その四 説明不足
その三とは逆ですが、エンドに至るまでの論理の構成として、エピソードがあきらかに不足してるところが結構あります。読者視点でまっさらな気持ちで読んでいるとどうしてこのキャラはこんな行動に出たんだろうと疑問に思うところが出てきます。それは結局、作者が思い込みで書いているけど、読者には全然その行動の原因が伝わっていないから生まれる。
だから、そういうところは新たなエピソードを組み込みます。
でもそれが結構難しい。今までなかったところに突っ込むので、結局、その前後、いや全体を微調整することになってしまいます。
「閻魔の裁定」という作品では、主人公が死んだ友達と死刑談義をするところがあるのですが、そこは相当手を加えました。そこは最後の閻魔との問答につながる重要なエピソードなのですが、明らかに説明不足、論理不足で全然つながっていないからです。
まだまだありますが、一般化するとこんなところですかね。
こういうところをしっかり頭に入れながら書いていれば、後から苦労することもないんですが、やっぱり連載中は勢いが大事だし、最後まで完璧に見据えているわけではないので、とにかく書くことに重きを置いています。
そういう意味では、Web投稿の小説って、まだ全然未完成なんですよね。でもそれでいいと思うし、読者もそんな感覚で読めばいいと思うんですよね。だから、ダメなところをあら捜しするより、いいところを指摘してあげると作者はほんとうれしいと思います。
毎度毎度、堅い話もなんなんで別な話も。
僕は走るのが趣味で、昨日も30キロほど走ってきましたが、走っているといろんな景色が見えるんですよね。川とか山とか路傍に咲く花とか。
これは雛菊かな? これはシロツメクサだっけか? とかほとんど知らない知識を総動員して思い出します。
でも、そういうことって結構大事なことだと思うんですよね。
自然の中に身を置くことで感性を高める。結局、人は自分がじかにみたものや感じたことしか書けないんですよね。ネットやテレビでみたところで、そこには深い感動も洞察もない。
だから小説書いてて詰まった時は、外に散歩にでも行くことをお勧めします。ノートもってスケッチなんかしてもいいかもですね。
なんて、そんなかっこいいこと書きましたが、後半、登りで死にそうになりまして草花を見る余裕もなかったです。なにごともほどほどに。