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【小説技法】聖書

 僕は別にキリスト教信者でもないし、聖書に造詣があるわけでもありませんが、意外と僕の書く作品には聖書を題材にしたものが多いです。

 僕が聖書に惹かれるのは神と呼ばれる存在にあまりに理不尽な点が多いことと、それに振り回される人間たちのドラマが物凄く魅力的だからです。

 例えば、アブラハムという人がいます。
 アブラハムはいわばユダヤ人の始祖みたいな人で、神はアブラハムに約束の地を与え、お前の子孫を星の数ほど増やそうと言われた。
 ところがそう言っているにも関わらず、神はアブラハムに試練を与えます。
 ある日、神の声が聞こえて、大事な一人息子のイサクを神への捧げものとして、燔祭(いけにえの動物を祭壇上で焼き殺し、神にささげる)にせよと命じるんです。

 アブラハムの葛藤は聖書には書かれていませんが、それってありですか?
 しかもイサクという息子は100歳近いアブラハムとサラの間に産まれた奇跡の子どもですよ。そんな大事なイサクを焼き殺して神に捧げろという。

 人の親にとってこれほどの試練があるんでしょうか。
 どんな親だって、拒否するに違いありません。
 アブラハムだって相当悩んだとは思いますが、それでもアブラハムは神に従順でした。イサクを連れて山に行きます。
 その途中の親子の会話がまた泣ける。

「火と薪はありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」イサクが父アブラハムに尋ねます。アブラハムは、こう答えます。
「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」

 アブラハムはどんな思いでこう言ったんでしょう。

 この結末ですが、頂上に着いたアブラハムはイサクを縛って薪をくべた祭壇におき、喉を切って殺そうとします、すると突然天使が現れて、お前の信仰が確かなものであることを知ったと言って、神への生贄となる羊が与えられるのです。

 

レンブラント イサクの犠牲

 

 まあ、このくだりは僕にとってはどうでもいです。
 ああそうですかって感じです。

 僕にとって、イサクを殺した殺さないはどうでもいいんです。
 肝心なのは、アブラハムはイサクを確実に殺そうとしたってことです。

 それでいいのかと言いたくなるんです。
 それが神の望む世界なのかと言いたくなるのです。

 ですが、じゃお前は神を否定するのかと問われると答えに窮してしまう。だって、神の心を計れる人間なんていないと思うから。もしかしたら、そこに僕たちがまだ理解できない何かがあるのかもしれないと思うからです。

 そういう理不尽で不条理で、しかしなぜか惹きつけられる世界を書きたいと思っているのです。
 現在執筆中の「リバイアサン」も「神の遺伝子」も、ちょうど今そういう理不尽なシーンに入っていて、非常に書きづらくなってきています。

 僕は神の神意など書けません。
 ですが、神を信じるものと信じないものとの心の葛藤は書けそうな気がします。
 それを支えに書きたいと思うのです。

 

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