「ぐりとぐら」という絵本がある。
その中で、ぐりとぐらがリュックを背負い、大きなフライパンを持って森の中でパンケーキをつくるという話がある。
大きなボールに卵と牛乳と小麦粉を入れて、持ってきた大きなフライパンで焼き上げるのだ。
そうするといい匂いが森中に漂ってきて動物たちが集まってくる。
みんな、どんな美味しい食べ物ができるのかと期待しながら待っている。
ようやく出来上がったパンケーキ。
まっ黄色くて、フライパンからあふれんばかりにふっくらして。
僕は今でもその絵を鮮明に覚えている。
大人になって、美味しいパンケーキやホットケーキもたくさん食べたが、やっぱり僕の中では、あのパンケーキ以上のものはないのだ。あのパンケーキはもっと美味しいに違いないと今でも思っている。
高校時代、吉川英治の「三国志」にはまった。
中原に覇を唱える男たちの血沸き肉躍る物語に興奮して、夜更けまで読みふけった。
同じように、山岡荘八の「織田信長」にも夢中になり、織田信長のかっこよさに憧れた。
それ以来、光栄というゲーム会社が出している「三国志」と「信長の野望」というシュミレーションゲームにドはまりし、新しいシリーズが出るたびに発売日当日、お金を握り締めて買いに行き、帰ってくるとわくわくしながらパソコンにインストールし、気づけば10時間以上、飯も食べずにのめり込んだものだった。
荒俣宏の「帝都物語」の和洋混沌とした世界に引き込まれた。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で日本人という民族の素晴らしさを初めて知った。
そうした本たちは手垢べっとりでぼろぼろになっているが、今でも僕の本棚に大事に並んでいる。
そんな風に若い時に読みふけった物語は今でも心に残っている。
今でもそれを思うと心が熱くなる。
ところがここ10年ほど、本を読んで感動することなど久しくなくなった。
どんな本を読んだかすら、あまりよく覚えていない。
以前、読まれる小説を書くためには時代性を考慮することも必要だと言った。
もしかしたら、今の時代、少しでも売れる本を書こうと言うのなら、団塊世代向けのものを書いた方がいいのかもしれない。
だけど、僕はやっぱり若者の心に響くものを書きたい。
子どもたちや若者の魂をガンガン響かせるような物語を書きたい。
どんなに今の若者が本離れ、読者離れしていると言われても、やっぱり僕は今の若者たち、子どもたちに向けた物語を書きたい。
新しい時代は、老人の中からは生まれない。
新しい時代は、常に若い人たちによって創られていく。
僕は新しい時代を創る人たちの心に残る物語を書きたい。