アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その4~

 さて、プロットもできたことだし、続いてはキャラ作りということになる。

 キャラづくりにおいては、履歴書というかプロフィールを作ってキャラの性格やら来歴を細かく考えていくというやり方もあるが、僕はこのキャラ作りをあまり細かくやらない。やった方がいいかなと思う時はあるが、どうもその気にならない。なぜなのかと自分でも考えるが、どうもうまい答えがでてこない。

 ただなんとなく思うのは、僕はキャラになりきって書くことが多い。
 だから完全に机上で作り上げたキャラに感情移入しにくいからなのかもしれない。
 書き始めたときは僕の中ですら、そいつがどんな奴だか深くは分かっていない。だが会話の一つ一つ、行動の一つ一つを書いていくにしたがって、僕の中で徐々にそのキャラの輪郭ができあがっていく。
 そして、ある段階でそのキャラが僕と一体となっている瞬間を感じる。
 その時、初めて僕はそのキャラを完全に理解したと感じるのだ。
 そうなると、そのキャラがどんなやつかというのは履歴書がなくても完全に分かる。というか、履歴書に書いてないことでも、こいつはこれが好きだとか、これが嫌いだとか、考えなくても答えることができる。こいつはそういうやつだという姿が僕の中に固まっているのだ。

 

 

 だが僕はそこまで分かっているキャラであっても、あえてミステリアスな部分を残しておくようにしている。それは僕ですらまだ探りえていないそのキャラの秘密だ。
 意味不明な言葉。妙な間。
 後々何の意味があるのか自分でもよく分からないような、そんなものを文中に入れる時がある。そのキャラの秘密を物語の裏に潜むもう一つの謎としていることがよくある。
 それが大きな謎になるのか、ささいな謎になるのか自分ですら分かっていない。
 だが、自分でも完全には理解できないところがあることによって、そのキャラに対する興味と愛着が増すのだ。

 自分の書くキャラが弱いんですと言う書き手の方も多いと思うが、僕が感じることとして、書き手がそのキャラに対して心底からの愛情を注いでいるのかという風に思う。
 書き手の愛情が注がれているキャラは、明らかに書きぶりが違う。それが立っているかどうかは別だが、あきらかに目立つことは目立っている。
 それはキャラが立つという一つの特徴だと思う。

 もう一つが、そのキャラが持っている魅力のようなもの、何か引きつけられるようなものがそのキャラにあるかということなんだと思う。その惹きつけられる一つの要素は、やはりそのキャラが内包している隠されたものなんじゃないかと思う。神秘的なキャラ、何か過去がありそうなキャラ、そういうキャラは全てがあけっぴろげなキャラよりも明らかに読者をひきつける。

 立っているキャラを書くことは、物語の魅力を左右する物凄く重要な要素だ。
 まだまだ言い足りないのだが、それを書きだすとこの倍以上書かなきゃいけないことになりそうなので、それは明日に取っておくことにする。

 

「小説の書き方」に関するまとめ記事はこちら

 

【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その3~

 さて、今日はプロットの話をしたいと思うが、そもそも僕はプロットとは何か正確に理解していないので、ウィキペディアで調べてみた。

 

 プロット (英語: plot) とは、ストーリーの要約である。プロットはストーリー上の重要な出来事のまとまりであり、重要な出来事とは、後の展開に大きな影響を与える出来事である。すなわち、プロットは出来事の原因と結果を抜き出したものである。ここでいう原因と結果とは、例えば「犬が歩く。棒にあたる。動物病院に運ばれる。治療を受ける。回復する」といったことである。
 プロットはストーリーとは異なる。プロットは因果関係であり、ストーリーは単なる前後関係である。「王女は雪山に逃げた女王を追う。だから、王女は雪山で女王を見つける」はプロットである。一方で、ストーリーは、出来事を起こる時間の順序どおり、省略せずに並べた文章であり、プロットとは区別される。「王女は雪山に逃げた女王を追う。それから、女王は魔法で氷の城を造る」はストーリーである。このように、「だから」で出来事のつながるものがプロットであり、ただ単に「それから」でつながるものがストーリーである。

 引用:Wikipedia

 

 なるほど非常に分かりやすい。
 まあ、でも僕がイメージしていたものと近くて良かった。
 つまり、物語に大きな影響を与える出来事の連なりだということのようだ。

 今日はこれでいいんじゃないと思うがそれではあんまりなので、僕のプロットづくりでいつも念頭に置いていることを書こうと思う。
 それは物語に仕掛けた謎を物語を進めるスイッチにしているということだ。

 僕は物語における謎の存在を非常に重視している。
 これは以前も書いたが、僕はどんなジャンルの物語でも謎の存在が不可欠だと思っていて、謎がある作品は読者の集中を切らさず、しかも物語に緊張感とメリハリを与える。

 毎度自分が書いた物語を持ち出すのは恐縮だが、密教と曼荼羅世界をベースにした「鎮魂の唄」という長編を書いている。この中で僕は仏だけが身に備える十の力というものを考え、物語の核心、まさに謎に据えた。そう言う意味ではこの作品のテーマは、主人公が仏の十の力を探し求める物語ともいえる。だからプロットもその力が一つずつ明らかになっていく構成をとっている。

 

曼荼羅

 

 1 Aという力をもつ主人公が、様々な力をもつ霊が集まる地にやってくる。

 2 主人公の出現がBという力を持つ存在を呼び寄せる

 まあこんな風に、C,D,E…の力をもった存在がどんどん表れて、仏の十の力が次第に明らかになるという形をとっている。そう言う意味ではこの物語は僕にとっては書きやすい形だった。ストーリーを書くのも非常に楽で、自分の好きなように好きな人物を出してその力を明らかにすることができた。

 ただしそれは単なる物語を進める手順に過ぎす、この物語で一番書きたいのは何かというと、前回のテーマである世界観の構築に関わってくる。僕はこの物語を書くにあたって密教世界と曼荼羅世界というキーワードから入っていき、そこを掘り下げていくうちに鎮魂というものに思い至った。恨み、無念、そういったものたちの魂を鎮める物語を書いてみたいと思ったのだ、だから一見、密教を使った呪術合戦かと思いきや、その底辺には常に鎮魂というテーマを貫かせている。

 そう言う意味でもやっぱり世界観の構築がプロット作りにおいても重要なのだ。物語の世界観、そしてみそというかオチというか謎というべきか、とにかくそういうものがはっきりしていれば、それを最大限読者に訴えることができる重要なインシデントを効率よく考えることができる。

 すぐにプロットを作りたい人もいるかもしれないが、上に書いた通りプロットは単なる因果関係であり手順に過ぎないので、実は僕はそれほど重視していない。
 極端な話、書いている途中で変わることさえよくある。
 プロットの話をしているのにこんなことを言っては身も蓋もないが、まあ僕はプロットをその程度にしか考えていないということだ。

 何を書きたいのか、それを最大限生かすために、どういう出来事を用意すればいいか。そう考えるとやっぱり一番肝心なのは、何が書きたいのかということなのだ、何を伝えたいのかということなのだ。それがしっかりと決まらないうちはプロットなど決めようがない。

 主人公の成長を主軸に据えたファンタジーなら、当然、主人公は挫折も苦悩もするに違いない。であれば敵に負けることもあろう。自分の歩みに疑問を持つこともあろう。だったら、そういう強い敵との戦いをどこかに挟む必要があろう。世界を救うことに疑問をもつインシデント、敵と思っていた存在にも戦う理由があることを知るインシデントが必要だろう。

 書きたいことが決まっていれば、プロットはおのずから出来上がる。
 あとは、そこに如何に自分なりのオリジナリティを入れ込めるかだ。
 僕が考えるプロットづくりとはそんなものである。

 

「小説の書き方」に関するまとめ記事はこちら

 

【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その2~

 前回は、書こうとする長編の世界観をイメージできるものを見つけようみたいな話で終わりました。

 となると、次はプロットを作るということになるのですが、僕の場合は、そこがちと微妙なんです。なんというか、その世界観を考える時にプロットみたいなものを一緒に考えてしまうんですよね。

 どういうことかというと、前回紹介した「リバイアサン」という僕の書いている長編で例えると、リバイアサンという聖書に描かれる怪物をイメージしたと昨日書きました。
 でもそれだけじゃ、ただの怖い怪獣に過ぎません。
 だから、リバイアサンというものをどう物語に生かそうかと考えていたら、他にもいろいろとキーワードがぽつぽつ浮かんできたんですよね。
 腐臭漂う現代の姿、宗教に翻弄される人間、世界を破滅に追いやるアンチクライスト(獣)。特にアンチクライストは人であるという聖書の一文が、かなり自分の中で大きかった。
 リバイアサンという存在を神が世を滅ぼすためにこの世に送り込まれた人であるしたらどうだろう。そして、その世界をまさに現代の鏡として書けば、まさに現代に生きる僕たちの苦悩や叫びも書けるんじゃないか。

 

666の獣

『666の数字の獣』(作:ウィリアム・ブレイク

 

 リバイアサンという赤子がこの世に生を受け、この世界を滅ぼす。
 それは、人間を滅ぼすために神が遣わした破壊者。
 だが、当然、ただ滅ぼされるわけにはいかない。
 そこに立ち向かう存在が必要だろう。
 その存在を主人公として、リバイアサンとは何者であるか、神がリバイアサンを放った理由は何なのか、そういうものを人間の視点から解き明かす。そうすることで神という存在に対して人間が抱いている叫びすらぶつけることができる。
 そこまで思った時が、僕の中で「リバイアサン」の世界観とぼんやりとしたプロットが完成した瞬間でした。そこで僕はこの「リバイアサン」という物語を書ける気がした。

 僕の手順を聞いて、普通そこまでが物語の世界観を作るってことだろうって思う人がいるかもしれません。だが、僕が言いたいのは、その世界観を作るという作業はそんな一瞬に閃くというのではなく、熟成させる必要があるということなんです。
 物語の全貌がフラッシュのように一瞬に浮かぶような才能あふれる方なら、そんな面倒なことはしなくてもいいかもしれない。
 ただ人間の想像力というものは、順を追っていくにしたがって膨らんでいくものだと僕は思います。
 ある言葉から、違う言葉がうまれ、その言葉がまた別な世界を作っていく。
 これは違うという言葉もある。こっちの方がいいということもある。
 だが、その繰り返しが、物語の精度とオリジナリティを高めていく。

 ゆっくりでいいから、考え抜いてみることが大事だと思う。
 これだっていうキーワードを見つけ、それを膨らませてみればいい。
 そしてある程度できた段階で、自分に問いかけてみればいい。
 これは自分が本当に書きたい物語かと。
 自分が本当に書きたいテーマがそこに入っているかと。
 そこで、書けると感じたときこそが、その物語に初めて命が吹き込まれた瞬間だ。

 長編を書くというのは本当に大変な作業だ。
 大抵、途中で書けなくなる。
 その時に、歯を食いしばって書き続けられるか。
 それは全て、この最初の手順の中で生まれた思いに依存する。
 それが弱い時は、おそらく書けなくなるだろう。
 自分の貴重な時間を費やす価値が、この物語にあるか。
 そこをしっかりと見極めることが長編を書く上では、とても大事だと僕は思います。

 

「小説の書き方」に関するまとめ記事はこちら

 

TOP