アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

聖書を読む理由とは

 僕は聖書を愛読している。
 そう書くと、僕がキリスト教を信仰しているのかと思うかもしれないが、別にそんなことはない。聖書を読む理由は、聖書がまさに人間ドラマの縮図であるからだ。

 一つ例を出せば、聖書の一番最初の物語である「創世記」の第4章にカインとアベルの兄弟の話がある。

 

 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。時を経て、カインは土の実りを主のもとに捧げものとして持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主は、アベルとその捧げ物には目を留められたが、カインとその捧げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。主はカインに言われた。

「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」

 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。

 主はカインに言われた。

「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」

カインは答えた。

「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」

主は言われた。

「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を生み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

 

 

 なんと人間臭い物語だと思う。
 初めての兄弟の中にすら、既に争いがある。嫉妬や妬みがある。嘘や欺瞞がある。罪と罰がある。
 僕はこの物語に物凄く触発され、一つの物語を書いている。30万字が迫ってきたが、とても終わりそうにない。おそらく百万字を超える物語になるだろう。

 聖書は創作のネタの宝庫だと思う。
 ネタに困ったとき、行き詰ったとき、聖書を開けば、何かしら得るものがあるような気がする。

 聖書を読む理由はもう一つある。
 それは聖書が人類史上最も読まれている本だからだ。すなわち、信者であるかを問わず、聖書は人間のマインドに大きな影響を与えている。物語とは何かしらのメッセージが込められているものだと思うが、それに神話的世界観が加わると物語の深みが一層増す。そういったことから、聖書を読むことは創作者にとって、大いに役立つと僕は思っている。 

 最後に、僕が一番好きな聖書の言葉をあげて今日は終いにする。

初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。初めに神と共にあった。万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

『ヨハネによる福音書』

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