僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
引用:『道程』(作:高村高太郎)
日本人でこの詩を知らない人がいるんだろうか。
僕は、この詩を生み出した高村光太郎と同じ日本人であることを誇りに思う。
この詩の一行一行に人間のあるべき姿が刻まれている。
この詩の背後から薫り高い香気のようなものが立ち昇っている。
この詩を読むだけで魂が震えるような感動を覚える。
この詩を見ただけで新たな一歩を踏み出す勇気が湧いている。
この詩はあらゆる人にとって価値があると思うが、とりわけ10代、20代の若い人たちに捧げたい。
若い魂は未踏の道を選択すべきだ。
あえて困難な道を選択すべきだ。
その先にこそ、輝かしい未来と栄光が待っていると僕は信じる。
僕はこれを読んだ大学生の頃、アパートを出て晴れ渡った青空に朝日が昇るのを見ると、よくこの詩が浮かんだものだ。そして山中鹿之助ではないが、我に七難八苦を与えたまえと心の中で叫んだものだ。
天は僕が願ったわけではないと思うが、その後、非常に困難な道を僕に与えた。
僕はそれをなんとか乗り切り、今、こうしてここにいる。
そしてその困難な道を歩いてきたことが僕の人生の大きな糧になっている。
僕は今でも、未踏の道を歩きたいと思っている。
たぶん、死ぬまでそうありたいと願っているような気がする。
ここから先は、頂戴したコメントとそれらに対する僕の一言です。
「残念ながら私はこの詩を知りませんでした。そして残念ながら私の父親はマイペースな好き勝手男で、私に道を説くことをしませんでした。私は不幸なことに私を産んで育ててくれた親を尊敬出来ませんでした。私の前に道は無く、親は道を説くことをしなかったのです。しかし幸いなことに、おじさんおばさんイトコなど親族の人たちは私を優しく扱い、道を考えるヒントをたくさん与えてくれました。そして私は大人になることすなわち成長するということは、人と人とが正しい協調を持つための倫理道筋を考え身に付けることだと思い至ったのです。私の筆力がまだまだ未熟ゆえにこのサイトの私の作品にはそんな隠れたテーマが全く表現されていませんが、理想を言えば皆さんを楽しませる娯楽性の中に、そんなメッセージを感じてもらえるような作品を残して行きたいと思っております」(Aさん)
「高村光太郎さん、好きです。智恵子さんも。高村光太郎さんの人生は激動ですよね。この詩を読んで智恵子さんと重ねてしまいました」(Bさん)
「振り返ったとき、そこに自らが歩んだ道が刻まれている。勇気付けられますね」(Pさん)
「この詩とセットで鯰が……。女の子は智恵子抄が好きです。ぶんちく様の大地を踏みしめるような生き方は、この詩が根底にあるのですね」(Hさん)
詩は厳密には小説とは違う。
だが、違うからこそ別な良さがあり、習うべきことがある。
自分の書くものがどうもパンチが足りない。何かいつも代わり映えのしない人まねのようなものなってしまうという人は詩を読むといいかもしれない。
詩は、余計な文章や言葉を挟まない。その分、一つ一つの言葉に力がある。
詩は、時間や空間軸をあまり気にしていない。だからダイナミックな展開になる。
詩は、書き手の魂が露に聞こえてくる。だからこそ、読者はいい詩を読むと深い感慨に襲われる。
小説をたくさん読めば物語が書けるというものではない。
小説、詩、童話、歌、論説、古文、ノンフィクション……書こうと思ったらいろいろな文章に触れるべきだと思う。
その中で自分の文体を確立していくべきだと思う。
人に読ませる文章を書くと言うのは、実はそれくらい大変なことなんだと僕は思っている。
創作、紙と鉛筆があれば子どもだって書ける。
でも、上達への道のりは長く、険しく、そして終わりがない。
なんとか頑張って一作書いた。
でもPVが伸びてない。読んでもらうために営業しようかな。
そんなくだらないことに時間を費やすくらいなら、さっさと二作目に向かうべきだ。
カクヨムでの評価などなんの意味もないのだから。
だが書き切ったことは大きな意味がある。それは自分の大きな糧になる。次の作品は絶対にもっと良くなる。書いているうちにそういうことを感じ始める。自分の中で評価できるようになる。
カクヨムだって、間をおかずにどんどん書いている人もたくさんいる。
そう言う人の文章はやっぱり上手いと思う。
自分が下手糞だと知れば、評価されないことなど気にもならなくなる。
貪欲に学び、もっとうまくなろうと思う。
あなたは自分の作品を上手だと思っていますか。
もしそんな風に思っているなら、あなたはもう伸びることはありません。
自分の作品は下手で、ひどいものだと思っていますか。
そう思っているあなたは、もっと成長することができます。
僕もうまく書けないと自分が嫌になったり、あまりの下手さに呆れてしまうことがしょっちゅうあります。
だからこそ、もっといいものを書こうと思う。
そのため、もっと学ぼうと思う。
だけど僕は感じている。
一年と少し前に、カクヨムを始めた頃から比べれば、僕の小説ははるかに良くなっている。
それは★の数やPVなんかでは測れない、僕の中にある確固たる自信です。