戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。
引用:『堕落論』(著:坂口安吾)
この言葉は勇気づけられたというのではないかもしれないが、心に残る言葉だ。
坂口安吾は、戦争に負けて精神的に堕落する日本人に警鐘を鳴らすつもりで書いたのかもしれないが、僕はこの中に人間というものの本質が潜んでいると思う。
そして、この思想は今の僕の中で大きな意味を持ってる。
僕は、人の心に正義や良心があると信じている。
だが人は、正義や良心を知るには、まず不正と悪を知らなければならないのではと思う。
放蕩を尽くし、汚辱を愛し、ごみだめのようなところで魂を無為に過ごす。
恐ろしいことだ。
だがその先に美しい蓮の花が咲いているような気がするのだ。
深淵を覗き込んだからこそ、蒼天にたどり着こうとする意志が生まれるんじゃないかと思うのだ。
この世界が不条理で不公平で汚濁にまみれていると悟ったとき、この世界を変えんとするエネルギーが生まれるんじゃないかと思うのだ。
歴史上の偉大な指導者たちは、もし生まれたときから何不自由なく幸せだったら、後世に名を残す偉業を成し遂げただろうか。
僕はそう思わない。
不正や貧困、人の悪意の中で偉大な思想を生み、それを実現していったんだろうと思う。
いま、この世の中にも目をそむけたくなるようなことが存在する。
僕はそうしたものに限りない怒りを覚える。
その怒りは、その現実をリアルに知っているから生まれる。