アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【カクヨム】カクヨムコンテスト

 ロイヤリティプログラムから始まった変化に対して、幾ばくかの不信感は生まれつつありましたが、それでも僕はまだカクヨムが好きでした。それはひとえに、仲良くしてもらっている人たちとの交流によるものでした。ある意味それはSNS的といってもいいかもしれません。
 そのときの気持ちを書いたものも旧エッセイにありますので、ご紹介します。

 カクヨムって、ある意味SNS的だと思う。

 それを良いと思う人もいれば、面倒だと思う人もいるだろう。
 単に、小説を読んで欲しいだけなんだ!
 と言う人もたくさんいると思う。
 それは、全然否定しない。僕も最初そうだった。

 だけど、このカクヨムのシステムで、ある程度読まれるためには一定の固定読者が必要で、そうした人たちがレビューをつけてくれたり、応援してくれて始めて、自分の書いた作品を商品棚に載せることができる。逆をいえば、そういう人がいないと、せっかく書いても表に置いてもらえず、倉庫の中で埋もれてしまうことも多い。

 じゃ、そういう固定読者をどう作ればいいのかといえば、やはり、他人の作品を読んだりコメントしたりすることが大事になる。そういう打算的なことが嫌だという気持ちはよく分かる。
 でも一度、自分の作品のためにという欲を捨てて、純粋にその人の作品を見て、感じることを素直にコメントしてみてほしい。たぶんきっと、相手から返事があるだろう。
 そういうことを繰り返していくと別な関係が見えてくる。

 そこにいるのは、三度の飯より小説が大好きな、ある意味でクレイジーな自分と似たような人たちの集まりである。
 そういう人たちと繋がって、互いの作品を批評したり、執筆の苦労を分かち合ったりするのって楽しくない?

 楽しくなってくると、相手のイメージが勝手にできあがってくる。特にもこのエッセイにいつも応援マークをくれる人は、僕の頭の中では相当イメージが固まっている。Aさんは、20代くらいの既婚女性だろうなとか、Bさんは、40代くらいの会社員なのかなとか、Cさんは、30代くらいのすごい綺麗な人なんじゃないかとか、そんなイメージができあがっている。


 僕はいつしかそういうつながりが楽しくなっていました。
 だから、エッセイを毎日のように書き、そのエッセイにコメントが来るのが楽しくてしょうがありませんでした。
 そんなころ、カクヨムの一大イベント、カクヨムコンテストが始まったのでした。

 祭り好きな僕は、ある意味祭りに参加するような感覚で、このイベントに参加することにしました。仲良くしてもらってるみんなと一緒に盛り上がってみたいなと思ったんです。
 そこで、規定に合致していた長編2本と短編4本を応募することにしたんです。でも、既存作だけってのもなんとなく味気ないし、その頃、聖書にヒントを得た、ある長編の種があったので、それをカクヨムコンテストにぶつけてみる気になったのです。
 その作品の名前は、『リバイアサン』というものでした。
 そして、僕は『リバイアサン』を書きつつ、カクヨムコンテストに突入することになったのです。

 さすがに一年に一度の大イベント。
 毎日のように新作が生まれ、トップページは全てカクヨムコンテストのジャンル別のランキングが並ぶという特別仕様に変わっていました。
 僕は基本的に異世界や恋愛ものは書けないし、今までの作品も全て人間ドラマだと思っていたので、長編は全てキャラクター文芸というジャンルに応募していました。
 だから、他の人がどんな作品を書いているのか気になって、たくさんの応募作を覗いてみて、これはと思うものはフォローして読み続けました。

 そんなことが影響したのか、それとも既に★をたくさんもらっていたからなのか、僕の作品も毎日のように★がつきました。
 特にも、書き始めたばかりの『リバイアサン』は、自分でも信じられないようなペースで★を積み重ねていきました。
 
 ですが、そうして書いていくうちに、僕は違和感を感じ始めました。
 カクヨムランキングに応募した作品は、注目の作品にはピックアップされません(※その後、レギュレーションが変わって、注目の作品にもピックアップされるようになりました)、つまり、一般の読者(作者ではない、読む専門のユーザー)からの導線は、トップページにでかでかと掲載されるジャンル別の上位3作品しかないのです。

 そして、僕が応募したキャラクター文芸というジャンルの上位3作品は、初めから終わりまでずっと同じメンツでした。ですが、僕にはそれがキャラクター文芸に該当する作品とはどうしても思えませんでした。
 でも中身はどうあれどのジャンルに応募してもシステム上、問題がないため、それは何の指摘を受けることもなく、どうどうと居座り続け、中には、そこで評価を集めてから、自分が当初から狙っていたジャンルへと移行するものさえいました。(※ジャンルの変更についてもコンテスト後半に運営から、意図的なものは適正に対処する旨の通達が出ました)
 
 そういうシステム上の不満とともに、僕はカクヨムコンテストに応募した作者の一部の方々と僕との間にある、ある種の心持の差に気づき始めていました。
 僕は基本的に完結してから★をつけるタイプです。そこまで読ませてもらえば、感謝の意を込めてだいたい付けます。
 ですが、途中まで読んでいたら、ある方から、ここまで読んでくれたのなら★くださいみたいなコメントが来ました。
 ある方は、僕の作品を読んで★をつけたこと、そして、お返しに僕の作品も読んでくださいみたいなコメントを近況ノートに寄こしました。
 相手の作品が完結したので僕が★をつけたら、それ以降、僕の作品にハートを付けることがなくなる人もいました。おそらく目的は果たしたと思って、読まなくなったんでしょう。

 確かにこのコンテストは、選考期間中の★とフォロワーの数で全てが決まります。必死になるのも分かります。
 でもそれは、果たして正常なことなんでしょうか。
 確かにそれで★をたくさんもらえば、中間選考は通過するかもしれません。
 でも、その後は?
 そうやって義理でもらった★が連なった作品が、編集者の目にどう映るんでしょうか?

 僕は作者が★を付けるのを否定しません。
 作者だって読者です。いいものは★をつけたい、レビューしたい。そんなのは当たり前です。
 でも、そんな★の付け合いに、僕は心底うんざりしました。
 僕は1月の半ば頃、『リバイアサン』を書くのを中断しました。
 なんか、こんな風潮の中で情熱を持って書くのが馬鹿臭くなってきたのです。
 字数が多ければ、評価に有利かもしれないとは思いましたが、もう、そんなことはどうでもよかった。早くこの泥沼みたいなコンテストから抜け出したかったんです。

 2月の初週。カクヨムコンテストがようやく終わりました。
 『リバイアサン』の★は240を超えていました。
 でも、僕はその数字にうれしさを感じませんでした。
 この作品には本当はそんな価値などなかったのです。この★の数は、カクヨムコンテストだから、たまたまついただけなのです。いろんな思惑の上に積み重なった蜃気楼のような評価だったんです。
 
 僕は、この後、しばらく何も書きませんでした。
 また、あの憂鬱な気分に襲われていたのでした。
 でも、そこを救ってくれたのもやっぱり読者の方でした、僕の『リバイアサン』を心待ちにしているというたくさんのコメントが僕を救ってくれました。
 少なくても全部が嘘じゃない。僕の作品を読んでいいと思ってくれた人もいるんだ。
 それが僕を救ってくれたのでした。

 僕は今ではこう考えています。
 僕は読者選考で決まるようなイベントには金輪際、参加もしないし、そういうイベントに参加している作品は読むのを遠慮しようと。そして、フォローしているから、フォローされているからと言って、なんでもかんでも読むこともしない、読んだとしても、自分に合わなければ途中でフォローを外そうと。自分がいいと思った、頑張ったねと思える作品にだけ、★をつけようと。

 だから、このエッセイを読んでくれている方の中で、もし仮に、お返しが目当ての方がいたら、どうぞフォローを外してください。そういう僕に愛想が尽きたと言うなら、今まで僕の作品につけた★は全部消してください。

 僕はもうそういうもののためには書きませんし、今では★に一喜一憂することもあまりなくなりました。
 幸い、僕には僕の作品が大好きだと言ってくれる人がいます。
 僕はその人たちのために書くつもりです。
 そして、今ようやく、カクヨムに対して対等の立場というか、穏やかな気持ちでカクヨムを楽しむことができています。

 

「カクヨム」に関するまとめ記事はこちら

※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動して際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。

TOP