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素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

『罪と罰』

「(省略)ぼくはただ自分の根本思想を信じているだけです。それはつまり、人間は自然の法則によって二つの層に大別されるということです。つまり低い層(凡人)と、これは自分と同じような子供を生むことだけをしごとにしているいわば材料であり、それから本来の人間、つまり自分の環境の中で《新しい言葉》を発言する天分か才能をもっている人々です。それを更に細分すれば、むろんきりがありませんが、二つの層の特徴はかなりはっきりしています。第一の層、つまり生殖材料は、一般的に言うと、保守的で、行儀がよく、言われるままに生活し、服従するのが好きな人々です。ぼくに言わせれば、彼らは服従するのが義務なのです、だってそれが彼らの使命ですし、服従することがすこしも恥ずかしいことじゃないのです。第二の層は、みな法律をおかしています、その能力から判断して、破壊者か、もしくはその傾向をもつ人々です。これらの人々の犯罪は、むろん、相対的であり、千差万別です。彼らの大多数は、実にさまざまな形において、よりよきもののために現在あるものの破壊を要求しています。そして自分の思想のために、たとえ血を見、死骸をふみこえても進まねばならぬとなると、ぼくに言わせれば、ひそかに、良心の声にしたがって、血をふみこえる許可を自分にあたえるでしょう(省略)」

引用:『罪と罰』(著:ドストエフスキー 訳:工藤精一郎)

 
 このテーマは、作家一人につき一回にしようと思ったのだが、どうしてもドストエフスキーだけは、もう一つ取り上げざるをえない。
 なぜなら、上のラスコーリニコフが唱えた凡人・非凡人論こそ、僕が小説を書くにあたって、非常に大きな影響を受けた言葉だからである。

 この思想は随分僕に大きなインパクトを与えたが、それじゃお前はこの思想を容認するのかと問われれば、少し惑うところもあるが、容認しないと答えるだろう。

 なぜなら、僕はあらゆる人間が鬼であり悪魔になりえると思っているし、また神であり仏にもなりえると信じるからだ。誰でも革命者にもなるし、命をつなぐものにもなれるだろうと思うからだ。

 選ばれた、ある特殊な人間だけが優れているのではない。
 自分の中にある小さな種を伸ばすことができるものが優れているのだ。
 僕はそう信じている。

 

ドストエフスキー

 

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