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【ダークファンタジー小説】『リバイアサン』(六十六) 処刑

 広場は静まり返っていた。マッテオの壮絶な死は、まるで祭りを楽しむかのように浮かれ騒いでいたウルクの民の心に深刻な打撃を与えた。誰も彼も、自分たちがマッテオにしたことに言い知れぬ後味の悪さを感じていた。

 ジュダは、人の心の機微を測ることに長けていた。ジュダはこの雰囲気の中でさらにレインハルトに向かって石を投げさせれば、ウルクの民衆はそのことに嫌悪を感じ、その嫌悪の念がそれを命じる自分たちに反感として跳ね返ってくることを一瞬にして悟った。ジュダは利口であった。ジュダは民に向かって、こう語り始めた。

「背教者レインハルトの仲間であった人殺しのマッテオは今まさに神の手によって、罰せられた。ウルクの諸君、諸君の心の中には、後悔の念を覚えているものもいるのかもしれない。だが、それは当然のことなのだ。なぜなら、諸君の中に、悪に対してさえも慈悲を与えんとする気高い心があるからなのだ。諸君、諸君がなしたことを気に病む必要はない。これは全て神の御意思によるものなのだ。神は諸君の手を通じて、あの殺人者に罰を与え、諸君の手を通じて、あの殺人者に対して慈悲を与えたのだ――ウルクの諸君よ、諸君の心に清らかな慈悲の念が沸き上がった今、再び諸君の手を通じて悪を罰することもあるまい。レインハルトの断罪については、諸君らによる石投げは取りやめ、我らの職分である鋸引きの刑のみ執り行うものとする」

 ジュダの言葉は、ウルクの民に安堵の念を与えた。だが、その安堵の念は、今の今まで神を恐れていた心を霧消させ、自分たちの手が神の手であり、自分たちの意志が神の意志であるかのような錯覚を与えた。ウルクの民の心に卑しいのぞき見根性が入り込み始めていた。あのレインハルトがどんな顔で鋸で挽かれるのか、それを一目見たいという卑しい心がウルクの民衆の中に生まれていた。結局、誰一人、広場から去る者はおらず、皆、互いに妙な期待感を持って、この次に起こることを待ち望んでいるのであった。

 それもまたジュダの思惑どおりであった。人がもつ醜悪な欲望、卑しい心、密かに悪を喜ぶ心、それをジュダは完全に知り尽くしていた。ジュダはシオンの民衆が自分の合図を心待ちにしているのを全身で感じながら、高らかに右手を上げた。

 それを見ると、レインハルトが磔にされている十字架の脇に待機していた二人の男が立ち上がった。男たちは黒いローブをすっぽりと被り、まるで死神のようであったが、血走った目だけがそこから覗いていた。男たちは脇に置いてあった馬の肉を切るような巨大な鋸を手に取ると、レインハルトの右腿にその歯をあてた。群衆は皆、固唾をのんでその様子を見守った。

 

ローブを被った処刑人

 

 その様子を唯一、恐れと絶望をもって見つめていたのはリオラだった。マッテオの死をまざまざと見せつけられたリオラは、その時、一瞬気が遠のいたが、レインハルトのことを思い、必死に耐えた。そして誰かがレインハルトを救い出してくれることを必死に祈り続けていた。だがそんなリオラの願いも空しく、ジュダは無情にも手を振り下ろした。処刑人たちはそれを合図に鋸を曳き始めた。その瞬間、リオラは絶叫した。その声は初めて、この広場に響き渡った。

 

 レインハルトはマッテオの死を見届けると、あとはじっと目を閉じて、来るべきものを待ち受けていた。恐れは何もなかった。唯一心残りであったリオラの姿を見ることもできた。 リオラが本当に解放されるのかどうか何一つ確証はなかった。だが、レインハルトは自分が死ねばリオラは生きられると信じていた。あのジュダを信頼していたわけではなかった。レインハルトは神を信じていたのだ。これは全て神がお決めになった大きな歯車の一つなのだと。

『その少年がリバイアサンを倒すためには、そなたは死なねばならぬ。そなたは、その少年の刃により命を絶たれることになろう。自らを殺すものを育てるために愛を注がねばならぬ』

 エトは最後にこう書き残した。その言葉どおりリュウは必ずこの場に来るだろう。それが自分とリュウに与えられた宿命であり、神の意志なのだから。

 リュウは深刻なショックを受けるだろう。だがそれを糧に彼はまた一つ成長するであろう。そして近い将来リュウはリバイアサンと対峙する。その時、リュウは何を思うか、この世を救いたいと思うか、それともリバイアサンがこの世を滅ぼすさまをただ眺めるか。それは全て、リュウという男の心にかかっている。そのリュウの心の成長のために、自分の死が必要なのだ。そして、これからさらにリュウが成長するためにはリオラもまた必要なのだ。それをレインハルトはリュウとリオラと旅した日々の中で感じ始めていた。だから、リオラは必ず救われる。レインハルトはそのことを信じていた。いや、知っていた。

 鋸が腿の肉をほんの少しづつ切っていった。できる限り痛みを長引かせるため、死ぬのを遅らせるためであった。恐ろしいほどの痛みだった。処刑人が交互に鋸を引きあい、そのたびに信じがたい激痛が脳天を貫いた。レインハルトは必死に耐えた。うめき声をこらえ、ぎりぎりと歯を食いしばった。だが、それも限界であった。うめき声がもれ始めた。そして、鋸が骨にあたった。鋸はまるで木を切るように、ごりごりと音を立て始めた。あまりの痛みに気を失いそうになるが、レインハルトはその都度自分を励まし、心が逃げることを許さなかった。

 ふとレインハルトの脳裏にさきほどのマッテオの姿が浮かんだ。

……マッテオよ、俺もお前と同じだ……俺もあまたの人を殺してきた……この痛みは、私がその者たちに与えた痛み……おまえは立派だった。お前は立派に耐えた。その勇気を私にもくれ……マッテオ……

……そうか、俺なら耐えられると言うのか……マッテオよ、お前の言う通りだ、命は痛いものだな……だから、命は重いのだな……だから、命は尊いのだな……

 マッテオの顔がいつの間にか、エトに変わっていた。

……エトよ、私は務めを果たすことができたでしょうか……あなたの期待に、神の期待に応えることができたでしょうか……エトよ、今こそ、あなたの苦しみ、悲しみが分かります……あなたも辛かったんですね……たった一人で神の期待に応えられてきた。常人では耐えられぬほどの苦しみを背負ってこられた……エリザの死を誰よりも悲しく思ったのはあなたでした……わたしは、そんなあなたの心も分からず、あなたから離れてしまった……エト、許してください……どうか、この愚かな私を許してください……

 エトはにこりと笑ったかと思うと、その姿はあの山小屋の父の顔に変わっていた。そして、その隣には母が笑って立っていた。

……父さん、母さん、俺も少しは立派になったかな……父さんや母さんが望んだような男になったかな……父さんたちも、この痛みに耐えたんだね。だけど、父さんたちはそんな顔一つ見せずに、俺に笑みを残してくれた。言葉を残してくれた……

……父さんは、あなたは俺にこう言った。「神は、私たちの死がお前の成長のためにどうしても必要と考えられたのだよ。それも、神がお前を愛しているからこそなのだよ。そう思えば、お前ためにこの身を捧げられるなんて、こんなに喜ばしいことがあろうか」と。父さん、俺もまた、一人の息子が出来たんだ。その息子のために命を捧げようと思うんだ。父さんたちと同じだ、こんなうれしいことはない……だから父さん、母さん、もう少しだけ、見守っていてほしいんだ……俺が、最後までどう生きるか、もう少しだけ見守っていて欲しいんだ……

 群衆は言葉を失っていた。それはあまりにも壮絶な光景であった。誰もが震え始めていた。自分たちの心に巣くった不純な心持に畏れをいただき始めていた。そして、民衆の畏れに呼応するかのように、天が震え始めた。にわかに黒雲が漂い始め、雨がぼつぼつと降り始めてきた。

 

渦巻く黒雲

 

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