アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その7~

 ストーリーとプロットは違う。
 物語を変化させる事象。そういうものは、プロットとして予め埋め込まれておくべきものだ。
 これはプロットの説明の時に書いておくべきことだったのかもしれないが、物語にメリハリが感じられないとしたら、それは明らかに、プロットが練られていないのが原因だと思う。

 プロットがしっかり定まってないので、だらだらと書かざるをえない。
 だから、意味不明なエピソードやストーリーをつなげてしまう。
 そうなると、読んでいる方は明らかに退屈に感じてくる。

 これは僕たちみたいなアマチュアがよく陥る落とし穴だと思う。
 つまりストーリーで起承転結を作ってはだめだということだ。
 起承転結はプロットで練っておけということだ。

 まあ、今日はストーリーの話なので、そうやってある程度プロットが練られていたと仮定する。であれば後は書くだけなのだが、せっかく頑張って書いて投稿しても、冗長だとか描写不足だとか、いろいろ言われてしまう。

 ただこれはカクヨムみたいな投稿サイトで投稿している作品については、しょうがない一面もある。
 僕たちは、完成稿を投稿しているのではない。そういう人もいるかもしれないが、おそらくは書きながら投稿しているのだと思う。
 そうなるとどうしても、とにかく書くということが一番になり、全体像を見据えながら書くということがどうしてもやりずらい。最期まで書き終わらないと全体像が見えず、どこが余分でどこが足りないかということが分からない。
 もちろん、プロならそういうことも踏まえてしっかりとプロットを作り、このくらいの文量でという目算を立てて書いているんだと思うが、そこが僕たちアマチュアとの決定的な差なんだと思う。

 でも僕はアマチュアのうちはあまりそういうことを気にしない方がいいと思っている。
 とにかく書くことが大事だと思っている。
 全体の推敲は、物語を書いてからゆっくりやればいい。
 勢いを殺すくらいなら、多少の傷はあっても書くことに集中した方がいい。

 その時に、ある意味逆説的だが、あまり全体にとらわれすぎないことが大事だと思っている。
 ストーリーとは要は場面場面がつながっていくことである。
 場面が変化する時には、次の場面への自然な流れがある。だがそこで書く勢いが途切れてしまうと、その場面が持っていた雰囲気なり、うねりみたいなものをすっかり忘れてしまって、その時だったら考えつく、必然的な次の場面を思い浮かべることができなくなる。勢いがあるときは自然に場面が展開していく。少々書きすぎる傾向になってしまうが、それはそれでいいと僕が思っている。
 余分な描写は後でカットすればいい。とにかく、自然な流れを断ち切らないことを重視すべきだと思う。
 だから、僕は勢いを大事にするし、少し間が開いたとしてもいいように、少なくても次の次の場面をイメージしながら書くことに留意している。

 ストーリーとはそんなものかなと思う。
 自然な流れ。そこが不自然でぶつぶつ切れていると、物語に入り込めなくなる。
 とにかく勢いを大事にすること。その勢いが自然な流れを作り、いいストーリーにつながっていくと僕は思う。

 

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【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その6~

 キャラづくりについては、前回までで十分かと思う。
 テクニックとしては、いくつかないでもないが、結局それは小手先のことであり、前回言ったことが全てであり、そこがなければいくら技術でカバーしようとしてもどうにもならないと思うからだ。

 いずれにせよ、魂が入らない限り、キャラは紙の中のアイコンに過ぎない。
 そのキャラに魂を吹き込めるのはあなた自身なのだ。
 あなたはそのキャラにどういう魂を吹き込めるのか。
 それができたときに初めてそのキャラは自分の力で起き上がり、物語の中を動き出す。
 それがキャラが立つということの本当の意味だと思う。

 ということで、キャラの話はここまでにして、そろそろ次のステップに入っていきたい。つまりストーリーを組み立てて、書き始めるということだが、ストーリーについてはあまりこうだというのを僕自身もっていないので、思っていることだけをピックアップして書いてみる。

 まず、一話目をどうするかということだ。
 このことについては、以前も書いたことがあるが、とにかく一話目は非常に重要だ。
 一話目の出来で読まれるか読まれないか決まるとさえいえる。
 ファンタジーでは、その世界の設定から語り始めることも多い。
 重厚なファンタジーではそうせざるを得ない気もするし、そうしないとその世界を十分に理解できない。ただそうはいっても、最初からだらだらと説明が続くのではやっぱり読者は飽きてしまう。

 僕は物語には必ず謎を用意するといったが、僕は常にその謎に関する話を一発目に持ってくる。
 この手法は、ホラーなんかだとよくある。
 ホラーの名作「リング」は、まさに作品のテーマである貞子のビデオのシーンから始まり、貞子の恐怖を一発目で出してくる。殺人ミステリーなんかでは、最初に事件そのものの描写から始めることも多い。

 

貞子

 

 別なパターンとして会話から入るという手法もあり、これもよく使われると思う。
 会話から始まると、読者はすんなりと物語に入っていきやすい。
 ただその場面はしっかりと考えないといけないとは思う。会話から始めるのであれば、そのキャラを印象付ける場面と内容にしないといけないと思う。

 純文学では、その物語のテーマとなるものを最初にだすことも多い気がする。
 夏目漱石の名作『吾輩は猫である』の最初の文は、そのまんま「吾輩は猫である。名前はまだ無い」である。
 太宰治の名作『人間失格』では、実質的な本文である大庭葉蔵の手記の最初は、「恥の多い人生を送ってきました」となっている。

 まあ、どんな風に書いてもいいのだが、物語の最初というのは読者をその世界に引き込まなければいけない。であれば、読者にいらぬストレスを与えることだけはやめた方がいい。
 いらぬストレスとは、いちいち説明しないといけないことを最初から出すことである。

 その一つは名前である。
 名前ははっきり言って、その世界に入るか入らないか決めかねている読者にとって、どうでもいい要素だと思う。
 例えば、上の『人間失格』では、葉蔵の名前が出てくるのは6千字以上書いたあとに、父から言われた「葉蔵は?」という言葉でようやく知れる。
 出だしから、僕はAで、友達がBで、母がCで、父がDなんて言われても思いっきりストレスがたまる。

 ストレスと言えば、すんなり入り込める文章には特徴があって、それは声に出していて、引っかからないということだ。
 読んでいて思うのだが、すんなり入っていけない人の文章は、たいてい引っかかる。
 いちいち読み返さないと意味がよく分からない。
 そういう時、この人、これ書いたはいいけど、声に出して読んでみてるのかなと思う。実際に声に出さなくてもいいが、読者の視点で読み返ししているのかなと思う。

 読書の大事さは、こういうところに顕著に出てくる。
 読書していない人の文章は、自分勝手で読み手のことを考えていない。
 だからこそ、もっといい本を読んだ方がいいよと思うのである。
 名作を読んでいれば、どういう文章がいい文章か自然に分かってくる。
 めくらめっぽう本を読むんじゃなくて、名作と呼ばれる作品をしっかり読むべきだと僕は思う。

 

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【小説の書き方について考える】小説技法 ~長編の書き方 その5~

 キャラを立たせる。
 これは本当に難しい問題です。
 こう書けばキャラが立つなんて答えはたぶんない。
 だけど僕的に、こういう書き方はイマイチだなというのはあるので、今日はそれをテーマに書いてみたいと思います。

 例えば、学園一の美少女キャラを登場させようとします。
 そのキャラを登場させようとするときに、どう書きますか?

 ドアをとんとんと叩く音がした。
「空いてますよ」教授はそういって振り返った。
 すると学園一の美少女、花咲麗が入ってきた。

 まあ、こんな書き方もあるんでしょうね。
 この女性が単なる端役ならこれでもまあいいでしょうけど、これがメイン級のキャラだとしたらキャラの説明としては弱すぎでしょうね。

 ドアをとんとん叩く音がした。
「空いてますよ」教授はそういって振り返ったが、入ってきた少女を見た途端、思わず息を飲んだ。そして呟くように言った
「……もしかして君があの……」
 博士の視線を感じ、体の置き場所がないように身をそぼめていた少女は、その言葉を聞いて顔を赤らめた。
 博士はそんな少女の仕草を見てごくっと唾を飲み込んだ。
「……君の……君の名は」
「……麗……花咲麗です」少女は消え入るような声で囁いた。

 

 

 まあ僕の書き方にもだいぶ問題はありますが、伝えたかった一番のポイントは、学園一の美少女という言葉はそのままでは絶対に使いたくないということです。
 人を形容する言葉はたくさんあります。
 美しい、可愛い、優しい、かっこいい、男らしいetc

 よく陳腐な形容詞を使うなという言葉がありますが、僕が思うにメインキャラを説明する際にこんな形容詞を使ったとしたら、それこそ陳腐な形容だといわざるをえない。なんでもかんでも特別な形容詞を使う必要はないが、やはりメイン級のキャラを形容する場合は、その書き手のオリジナリティあふれる筆致で書いて欲しいと思うのです。

 美少女なんて言葉ははっきり言って、読んでいるこっちの方が恥ずかしくなる。そんな言葉が乱発され、タイトルにまでつけられたとしたら、僕はとてもそんな本は買えないし、買わない。

 しかし現実はそういう言葉がどんどん溢れている。
 なぜか?
 僕が思うに、それは書き手の怠慢に他ならないからだと思う。
 実際、確かにお手軽なんです。
 美少女、美青年、なんかそれだけで勝手に読者がイメージしてくれる。
 でもそれって、もの凄くテンプレ化した言葉なんですよね。

 なんの個性も特徴もない言葉。
 学園一の美少女。
 これ聞いて読者の頭に浮かぶキャラ像は千差万別。具体的な何の共通項もない。
 私はそんな言葉は使わないという方がいるかもしれません。
 でも実は美しい、可愛い、優しい、かっこいい、男らしいというこんなごく普通の形容詞すらも、結局は同じことなんですよね。美しい、かっこいいなんて書かれても、読者の頭に浮かぶのは、やっぱり人それぞれ。そういう言葉はキャラの特徴をなんら反映していない。

 キャラを立たせようと思うんなら、誰の頭にもこんな奴だろうというのが、ありありとイメージできるようでないとだめだと思う。

 でもほんとのことを言うと、キャラの本当の個性とは外見や容姿などではなく、そのキャラのもつ内面性にこそその源泉があると僕は思っています。

 かっこいいキャラをどうやって書くか。
 実は、その答えはあなた自身の中にあります。
 あなた自身の中に、かっこいいと思う人間像がなければ、かっこいいキャラなど書けはしない。みんなが感動できるようなキャラなどかけようはずがない。

 恋愛で苦しんだからこそ、恋愛に対して溢れるような想いが込み上げる。
 辛い体験をしたからこそ、人の辛さを理解できる。
 自分もかっこよくあろうとしたからこそ、かっこよい生き方に共感できる。

 書き手は自分の体験を切り売りして書いているようなものです。
 必ずしもかっこいい体験ばかりではない。犯罪まがいの、人に聞かれたら恥ずかしくて顔も上げられなくなるような、そんなことだってしたかもしれない。
 でも、そこにはリアルな人生がある。
 書き手に必要なものは、そのリアルな体験の中から何かをくみ上げること。

 キャラが立ってない一つの理由は、そのキャラに押し込めようとした内面性をあなたが十分に咀嚼できていないからに他ならない。
 勇気、誇り、怒り、優しさ、狂気、憎悪……
 そうしたものがあなた自身の中にありますか。
 あなたは何を叫ぶことができますか。
 魂に何の叫びも持っていない人は、そういうキャラだって書けるはずがないんです。

 年は関係ない、人生経験が少なくても、叫びをもつ人間はたくさんいる。
 いや、若い人の方が日々心の中で叫んでいるだろうと思う。

 ということで、また最初に戻ってしまうが、やっぱりキャラを作るにあたってもこれが一番肝心なことだと思う。
 すなわち、あなたは何を書きたいのかってことです。
 あなたが書きたいものの中にあなたの叫びが入っていれば、その中に出てくるキャラの中に自然とあなたの叫びが入ってくるでしょう。
 それがキャラクターに、この世に一つしかない個性を与えることになるんです。
 テンプレやアニメに頼っているうちは、キャラにオリジナリティなんか出すことはできません。
 キャラのオリジナリティとは、あなた自身の中にあるのだから。

 

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