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素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

『人間失格』

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)

引用:『人間失格』(著:太宰治)


 太宰治の代表作「人間失格」のワンシーン。
 太宰治は人間の実相をえぐり取り、事も無げにぽいっと読者の前に晒すのがとても上手な作家だと思う。
 この場面でも葉蔵に忠告する堀木の、世間がゆるさないという言葉の本質を見事に言い表している。
 
 人はよく、世間がとか、普通はとか、常識的にとか言う。
 だがそこには何か自分が持つ不満や異論をあたかも人間全体の総意であるかのように見せかける欺瞞が潜んでいる。あるいは自分の方がマジョリティであり、お前などよりはるかに優越しているんだとというような響きを感じることがままある。

 やめろというなら、はっきりそう言えばいい。
 それを世間などという言葉をことさら持ち出して、自分は上手くその世間という言葉の蓑に隠れて人を批判する。
 それも人間の持つ醜悪な部分なんだろう。
 その醜悪な人間の一人であることを拒否したのが、葉蔵であり太宰なんだろう。
 人間失格。
 いったい、どちらが人間として失格だったのだろう。


 ここから先は、頂戴したコメントとそれらに対する僕の一言です。

「ネットの掲示板では度々使われますよね、『大衆の代弁者』気取りは。大抵は誘導や偏向で使用されていますが……。私は基本、あらゆる情報を疑ってかかります。電波に乗っているものは全局信じませんし、紙媒体は勿論ネットも信用していません。では何を元に情報を得ているのか? 答えは簡単な話で、全ての情報を並べて自分が培った常識に近いものを信じるんです。そうしないと嘘に流されてしまう。
 何せマスコミは金に弱い。直ぐに嘘を吐きバレたら申し訳程度の謝罪しかしない。規制する側もそれを利用するくらいだから真実なんて捏造し放題ですよ。
 さすがに今回のコロナ騒動で学んだ方も多いと思いますけどね……。本当にいい加減にしろと言いたい」(Aさん)

 

「あぁ…、こういう経験、私もありますよ。何だコイツ、うざったいなと思う時。そういう場合、私は相手にハッキリ言いますよ。
「それはアンタの倫理観で言ってるの?」
「でも私は私の今までの人生経験から培って来た倫理観で生きてくから」
「アンタと私の倫理観が違うなら、これは話したところで時間のムダだね」
「アンタとは本当に本音の話は出来ないとわかったよ、それを踏まえて付き合おう」
 ひょっとして私も人間失格ぅ?…」(Bさん)

 

「人間の本質は悪である―――あらゆる創作でくどく眼にするセリフですが、自分は半分しか見ていないセリフだと思います。確かに邪悪でこそあるが、それだけで社会を作れるか? たちまち食い合い殺し合いだろ? とそれを胸張る友人に言った所、やはり言葉に詰まったのを憶えています。愛は確かに存在する―――しかし、人は他人に分け与える分をそれぞれの理由で限ってしまう………と言うのが自分の主観です。
『私は、優しく出来る人が限られているの』遠藤浩輝『EDEN』より
と言うセリフが非常に印象的で、つい今回思い出してしまいました。
優しさに限界が有るのは確かに万人共通ですが、だからと言って「世間様」を使って自分の鬱憤を慰めようとするのはけしからぬことです。
おい堀木よ、君は自らを隠さねば胸のうち一つ明かせんのか―――と、葉蔵に代わり言ってみたいものです。ちなみに、僕の握力はリンゴを割れるぞ? とでも言えば怒らないだろうし。
……でもそれが人間の醜さでもあり、魅力でもあるんだろうなぁ……
『剣客商売』の秋山先生も、「揉めん人間ばかりになったら、それはそれできっと世の中やっていけんぞ」と言っていたし」(Gさん)

 

「この作品は、中田 敦彦さんの解説が印象に残ってますね。
https://www.youtube.com/watch?v=9Lmy3cbQlGc
芥川賞作家である又吉さんに言わせると
コレは『聖書』で在るそうです。本当に、タイトルにある通り人間の【業の深さ】ばかりが浮き彫りになり、『現世は贖罪の為の地獄』という箇所もソレとリンクしてますが、やはり心に残るのは最後のセリフでしょうね……
「……神様みたいないい子でした」」(Sさん)

 

 人間失格の主人公は、ある意味、太宰そのものなんでしょうね。
 そして、まさに彼は、そんな風に生き、そんな風に死んでいった。
 そう言う意味では私小説といってもいい。
 でも、太宰はそれを明け透けに語ろうとはしない。
 物凄く冷めた筆致で書いている。
 これは、物語を書く上でとても大事なことだと思っています。

 物凄く、どろどろした内面。
 外に吐き出さなければ、自分が壊れそうになる感覚
 まさに魂の叫び。

 でも、それをそのままには書かない。
 まるでもう一人別の自分がいるように淡々と描いている。
 「富岳百景」のように自伝っぽく書く方法だってあったと思う。
 だが、太宰はこの作品は、そういう手法を取らなかった。
 こう書く方が文学性が増すと思ったんだろう。この方が太宰が胸に抱える叫びを余すことなく伝えることができると思ったんだろう。
 そして、その思惑通り、「人間失格」は日本文学史に刻まれる名作となった。

 

太宰治

 

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