アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(五十九)

――宮城警部補よ、君は自分の人生を懸けて私との対話を臨んだ。その勇気と覚悟に対して、私も相応の敬意を払わなければならないだろう。君がこの数日にどんな言葉を見つけたのか私も非常に興味がある。ただ、このことを忘れてはならない。私が欲しているのは、君自身の声だ、君が君たるゆえんの声だ。だから、もし君の言葉に真実が無いと感じたならば、私はすぐに闇の中に消えるつもりだ。そして、もはや二度と君たちの呼びかけに応じるつもりはない――

 ツァラトゥストラからの投稿を確認すると、浩平はゆっくりとキーボードに指を動かし、一文字一文字確かめるようにキーを叩き始めた。こうして、ツァラトゥストラと浩平の二度目の戦いが始まった。

――ツァラトゥストラよ、俺は今から自分が正しいと信じることだけを語るつもりだ。だから、お前は俺の話を聞いていて欲しい。そこに嘘やごまかしがあれば、いつでも消えて構わない。だが俺の言葉に真実を感じたならば、最後に一言だけお前の答えを聞きたい。お前の答えに満足すれば、俺は自身の敗北を認める――

 浩平はそう投稿すると、すぐまたキーボードを叩き始めた。

――お前の言う通りだ。この社会はお前の言う通り、ごみ溜めのように腐敗し、汚臭を放っている。人間は自分の利益しか考えず、平気で他人を踏みにじる。金が全ての価値となり、この地球を蝕んでいる――

――俺はこの文明の行く先に明るい希望があるのか、いつも疑問に思っていた。ただひたすら奪い取るだけの文明、生命の価値を重んじない我々の文明は、いつか崩壊するのではと考えていた――

――この世には、人を蹴落としてわが身の欲望を満足させようとするものたち、自分より弱いものに対して居丈高にふるまうものたち、自分の子供たちにすら愛情をかけられないものたち、そんな人間とは言えないようなやつらがあふれている――

――生活の利便性という美名のために自然を根こそぎ破壊し、そこに住む生命のことなどなんとも思わない。そんなことが平気でまかり通っている。その結果、この地球とそこに住む生命はもはや死にかけの状態になって喘いでいる――

――お前の言う通り金が全ての価値の基準となり、金を生み出さないものはすべて無価値と表された。人間は金の多寡以外に人を量る術を忘れ、餓鬼のように金集めに血眼になっている。そして現代の金持ちたちは、古代のどんな皇帝よりも富を独占し、その一方で世界の半数以上の人間が奴隷とさして変わらない極貧の中で暮らすことを余儀なくされている。しかも最悪なことに現代の皇帝たちは、自分たちの富は自由と民主的な活動の成果として蓄えられた全く正当なものであると言い張ることができる。世の中に最も救いがたい悪がある。それは偽善と呼ばれるものだ。自分たちは正しいことをしてきたのだと臆面もなく語るが、彼らが作ったこの世界の仕組みは、過去のどんな残虐な帝国よりも酷薄で容赦なく搾り続けている――

――資源が有限だと知っているくせに、資源を奪い合い、いまのうちとばかりにエネルギーを浪費している。宇宙からもはっきりと見えるほど、ギラギラした光が夜ごとこの空を覆い、その下で人間の欲望が蠢いている。便利な社会をという掛け声で人間の欲望を煽り立てた結果、今の人間たちは欲望を抑える術を知らず、公園の池の中の鯉のように不気味に口を開けて餌をよこせと喚いている。――

――お前の言う通りだ、ツァラトゥストラよ。こんな社会の中で一体、何の希望を持ち得るだろう。愛情とか正義とか、そんな言葉をどうして信じることができよう、一体誰がそんなことを語る資格があるというのだ――

――この世の中で、唯一まだ一切の穢れをしらない子供たちがなんの罪もないのに自分勝手な人間たちによって、その魂が壊されていく。想像するだけで体が震えるような悲しみを抱いて、今、この瞬間にも地獄の中で喘いでいる。俺はお前に同意する。そんなことがあってはならない。そんな子供がたった一人でもいてはならない。たった一人の子供の魂を救うことができないような、そんな社会には存在意義などかけらもない――

――この社会は創りかえなければならない。すべての生命が精一杯生き、全ての生命にとって価値がある世界をつくらなければならない。そのためには人間の考え方を改め、自分の力で考え、新しい一歩を踏み出せるような、そんな人間に導いていく必要がある。全く、俺はお前の言葉に完全に同意する――

 会場にいる人間、テレビの前の全ての人間が息を飲んで見つめていた。

 

 浩平の手が少しの間止まり、浩平は天を見上げた。照明の光が空を覆っていたが、ビルの頭上のそのかなたは確かに夜空につながっていた。そこには本当にかすかだが星がまたたいているのが見えた。その光は少しオレンジ色をしていた。よく見ると、その隣にも星があった。そして、その隣にも。こんな明るい東京の夜空にも、よく見ればいろんな星がかすかに光っていた。浩平はそれを見ると小さく頷いた。そして顔をキーボードに戻すと再びキーを叩きつけた。

――だが、俺はたった一つだけお前に同意できないものがある。それはお前が人殺しだということだ。自分の目的のために人を殺して、それは正当化されるなどとほざいていることだ。確かに世の中には子供を虐待して笑っているようなやつもいる。人の犠牲の上に成り立つ果実を当たり前のようにむさぼり喰うやつもいる。だが、だからと言って、俺は人は殺さない。それが法に触れるとか道徳的に悪いとかそんなことはどうだっていい。俺が人を殺さないのは、俺がそういうことを絶対に自分に許さないからだ。それはなぜか。それはどんな屑のような人間であっても、その隣にはその人のために涙を流してくれる人がいるからだ。なぜその人たちは、そんな人間のために涙を流すのか、親身になって考えてくれるのか、自分を犠牲にしてまで愛してくれるのか。その人間が美しかったからか完璧だったからか、いや違う。その人間がその周りの人たちに喜びを与えてくれたからだ。この世に生まれてきてくれたからだ――

――完璧な人間などいない。どんな人間でも、怒り妬み羨み悪を思う。だが一方で泣き笑い喜びそして善をなそうとする。人間は不完全として生まれついた、だからこそお前の言う通り向上できるのだ。だからこそ価値があるんだ。だがお前は人間を簡単に切り分けて、お前の言うところの超人に値しないものの存在価値を認めない。そういう人間は死んでも構わないと考えている――

 浩平はそこまで打ち込むと突然立ち上がった。そしてステージの前に進むと大声で話し始めた。浩平の声は芳賀が事前に浩平の胸にさしていたピンマイクを通して会場中に響き渡った。

「お前から見れば俺たちは社会のごみかもしれない。だがな、社会の中で生きるってのは、大変なんだよ。理想通りにはいかないんだ。自分が目指した理想と違う現実を見せつけられて苦悩するやつもいる。自分の才能をはるかに超えるものに出会ってしまい、自分の力量の無さに茫然とするものもいる。社会から評価されずに考えもしなかったところに足を踏み入れてしまった奴だっている。だがそんな奴らだって、どこかで自分の夢を大事にして一生懸命歯を食いしばって生きているんだ。そういう人間たちをお前は社会の汚物と罵った。この社会は確かに不潔で不完全なしろものだ。だけど、だからと言って不完全な人間が不完全な人間を殺す権利なんてないんだ」

 会場はベールを覆われたように静まり返っていた。その中でステージ上の浩平一人だけが、まるで炎を放っているかのような熱気を漂わせていた。

 

ステージに立つ一人の男のシルエット

 

「お前は宮澤拓己を殺した。お前と宮澤との間に何があったかは知らない。だがお前は自分の思想を広げるために、こんな茶番を考え出し、人を集める餌として宮澤の命を奪った。なあ、お前にとって宮澤の命はただ己を高めるための道具にしか過ぎなかったっていうのか。教えてくれ、お前にとって、宮澤の命はそんな程度の価値しかなかったっていうのか」

 浩平は観衆に向かって叫んだ。だが、浩平の眼差しの向こうには、たった一人の男の顔だけが浮かんでいた。

「人間にとって一番大事なものはなんだ、それは人を愛する心だ、人のために尽くす心だ。俺には仲間がたくさんいる。こんな俺を必死になって支えてくれる仲間がたくさんいる。俺はそいつらを守るためなら、俺の人生を捧げてもいい。ところがお前はどうだ。自分の目的を果たすために人の命を奪い、人を己の道具として利用した。俺はそんなお前の行動を許さない。もしお前の思想が正しいとしても、俺はお前の思想を認めない。真理というものが、もしお前の言うようなものだとしたら、俺たちはそんな真理には絶対に従わない。お前は超人なんて大それたもんじゃない、真理の導き手でもない。ただ姿を隠して、自分勝手なことをいいふらしている大馬鹿だ! お前が騒がれているのは、お前が顔を出さないからなんだよ。お前が顔だけ隠して下手な踊りを踊っているから面白半分に人が集まるんだよ。俺はこうして日本中に顔を晒して自分の信念を語ったぞ。お前がそんなに自分の信念に命を懸けているなら、お前も正々堂々話してみろよ。俺の前に顔を出して、俺を心底納得させてみろ! ツァラトゥストラ!」

 マイクに向かって絶叫した浩平は二度三度大きく肩で息をした。目の前の聴衆はしんと静まり返ってもの音ひとつしなかった。この結果がどういう結末を迎えるにせよ、言いたいことは全て言い切ったと浩平は思った。俺の打った球がどこまで飛んでいくのか、それは誰かが決めることだ。俺はとにかく思いっきり振り切った。それだけで満足だった。浩平は大きく息を吸って吐くと自分を見つめるたくさんの人を眺めた。

 ステージの下ではたくさんの警察官が浩平を見つめていた。真ん中にたっていた芳賀が拳を上げて親指を突き立てると、周りから自然に拍手が巻き起こった。ずっと会場の監視を続けていた捜査官、観衆が押し寄せないようにずっと持ち場を離れずその場に立ち続けた機動隊、浩平にサンドイッチとお茶を持ってきてくれた婦警警官、浩平の周りで浩平を支え、守ってきたたくさんの警察官が浩平に拍手を捧げた。その拍手は次第に大きくなっていった。会場の至る所で小さな拍手が鳴り始め、それがどんどん広がっていった。そして、いつしか、会場は大きな拍手と歓声に呑み込まれていた。

 浩平は会場を埋めつくした人たちに向かって頭を下げたが、その途端、一層大きな拍手が巻き起こった。浩平は頭を上げると少し照れくさそうに頭を掻いた。その時だった。拍手や歓声とは別なざわめきが会場に広まっていた。ところどころから悲鳴もあがった。ステージに向けてカメラのフラッシュが一斉にたかれた。浩平はあまりのまぶしさにスクリーンの方に顔をそらした。そこにはこれまでと同じ画像が写っているはずだった。だがよく見ると一か所だけ、さきほどまでの画面とは異なっていた。宮澤の死亡写真が写っているはずの場所に一人の男の顔が映っていた。その男は微笑みながら会場をまっすぐに見つめていた。

「――やっぱり、お前だったのか」

 会場内に響いた浩平の声は少し上ずっていた。スクリーンにツァラトゥストラからのメッセ―ジが浮かび上がった。

――宮城さん、あなたと話ができて良かったです。やっぱり、あなたは私たちと同じでした。それを知ることができて本当にうれしいです――

 画面の中の上條は爽やかな顔で微笑んでいた。浩平が何か言おうとして口を開きかけたとき、再びメッセージが現れた。

――どうやら、藤原さんが玄関に来たようです。宮城さん、僕につきあってくれて、本当にありがとう――

 そして、そのメッセージを最後に上條の姿は消えた。携帯電話がポケットの中で振動した。見ると桜からの着信だった。

「先輩、今、上條を確保しました」

「よくやった、桜!」

 ピンマイクを通して会場中に浩平の声が大きく響いた。浩平は慌ててピンマイクを取り外した。会場から笑いが起こった。

「――どうだ、上條の様子は?」浩平は声を潜めて尋ねた。

「大人しくしています。逮捕するときも全く抵抗せず神妙に両手を差し出しました」

「そうか分かった……とりあえず、お疲れさん」

「先輩もお疲れさまでした」桜の声が携帯からやさしく響いた。

 

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