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【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 ~国津神編~ 第六話 制托迦

 青龍寺に戻った三人を見て楓は息をのんだ。だが楓もあの死線をくぐりぬけてきた女だった。何事かと三蔵に問いただすこともなく、すぐに二人の怪我の状況を看て血止めの応急処置をすると、制托迦には寝床を敷き、スサノオには土間に毛布を敷いて、そこに休ませた。 二人とも疲れが出たのか、あっという間に眠りに落ちていた。

 二人の寝顔を見て、ほっと一安心した楓は広間の方に戻ってきたが、三蔵がいつものように杯を片手に柱に寄りかかりながら月を眺めていた。

「……何があったの」楓は三蔵の隣に座ると、同じように月を眺めながらつぶやいた。

「――二つ目の封印が解かれ、荒覇吐と呼ばれる古の神が蘇った」三蔵が呟くように言った。

「その、荒覇吐って、危険なものなの」

「荒覇吐はかつてこの地を支配した国津神の一人だったが、大和朝廷によって異教の神とされ、仏の前に跪かせられたものたちだ。相当な恨みを持っているのは間違いない」そう言うと、三蔵は杯を口に含んだ。

「仏の力では抑えられないの?」楓は三蔵の顔を見つめた。

 三蔵は楓の方をちらと向くと、教え諭すように言った。

「いいか楓。仏の力とは敵を打ち倒すためにあるんじゃない。敵を救うためにこそあるんだ。確かに修法を行って、一時は抑えることはできよう。だがそれでは何の解決にもならない。押さえつけられた方は、いつまでもそれを恨みに思い、いつか復讐しようとするだろう。俺たちが本当になすべきはその因果を断つことだ。恨みを消し去り、彼岸の地に彼らを導くことだ」

「……でも、制托迦もスサノオもあんなになって」

「……血を流さねばならないときもある。戦うことでしか救えぬこともあるんだ」三蔵は静かに答えた。

 楓の脳裏に鬼島に何度も踏みつけられ、血まみれになった三蔵の姿が蘇った。恐ろしい光景だった。だが楓の心には恐怖はなかった。楓はにこりと笑った。

「……あの時、あなたをかばって一緒に死のうと思った時、わたし感じたの。なぜだかわからないけど、わたし、あなたのことをずっと昔から知ってるって。そして、あなたを守ることがわたしの役目なんだって――だから、わたしは決してあなたを死なせない――」

 そういうと、楓は三蔵の方に体を寄せた。楓の体温が三蔵の体に伝わってきた。あの時と同じく、三蔵の中に暖かく、なんとも心地よいものが流れ込んでいた。それは一言でいうならば愛と言うのだろう。だがそれは仏に由来する力であった。人を愛し、慈しみ、癒しを与える力、それは観音力と呼ばれる大いなる仏の力だった。

「三蔵、わたしはどんなことがあろうと、あなたから離れない」

 三蔵はそんな楓を見つめ、全てを悟ったかのように微笑んだ。

「駄目だと言っても、お前は言うことを聞くはずもないか」

 青龍寺の外に面した大広間。既に寒さが身に染みる季節になっていたが、二人の心は温かさに包まれていた。

 

縁側に座り庭を見る男と女

 

 翌朝、制托迦が目を覚ますと、体中に包帯が撒かれていた。体を動かすのも難儀だったが、なぜかあまり痛みは感じなかった。水を飲みたくなったので、なんとか立ち上がって庫裡に向かった。と、そこには毛布の上で目を瞑っているスサノオの姿があった。スサノオは制托迦が来たのも気づかぬ様子で苦し気な寝息を立てていた。制托迦同様に至る所に包帯が巻かれていたが、何より目を引くのは背中の傷で、包帯越しにも赤い血が充血しているのがはっきりと見えた。

「だめじゃない、寝てなきゃ」ちょうど庫裡に入ってきた楓が制托迦を咎めた。

「――いや、わたしはもう大丈夫です。それよりスサノオは大丈夫なんですか」

 制托迦はまるで我がことのように尋ねた。

「うん、背中の傷はかなり深くて、出血がだいぶひどかったけど、なんとか血止めの薬が効いたみたいだから、もう心配ないわ。あいつのことだからすぐに元気になるわよ」

「……楓殿は、人語をしゃべるあのスサノオという犬が恐ろしくはないのですか」制托迦がつぶやいた。

 楓はそんな制托迦を見て軽く微笑んだ。

「そりゃ、あんな大きい犬が突然、人の言葉をしゃべるんだもん。最初会った時は足が震えてどうしようもなかった」

「……じゃあ、どうして」

「三蔵が私の手を握ってくれて、わたしのことは絶対に守るからって言ってくれたの」

 楓は少し恥ずかしそうにそう言うと、さらに続けた。

「そしたら、いつの間にか震えが止まって――それにスサノオは私と三蔵を助けるために私たちの身代わりになって、その身に銃弾を負ったこともあった。そんな奴、怖いなんて思うわけないじゃない。私にとっても大事な友達、まあちょっとぶっきらぼうなやつだけどね」楓はそう言って、ふふっと笑った。

 

 庫裡を出た制托迦はその足で広間に行くと書物を見ていた三蔵に向かって大声で言った。

「三蔵! 一つだけ聞くから、正直に答えろ!」

 全身包帯姿にも関わらず、案外元気な様子の制托迦を見ると三蔵は微笑んだ。

「朝から元気な奴だな。いったい、どうした」

 制托迦は三蔵の軽口など意にも介さず、

「お前のやろうとしていることは一体なんだ!」と今にも掴みかからんばかりの勢いで言った。

 三蔵は制托迦の真剣な顔を見るとにっと笑い、「決まっておろう、仏の御心に従い、菩薩行をなさんがまで」と気迫に満ちた声で言った。

「その言葉に嘘はないか!」

「男が天と地に向かった吐いた言葉は取り消すことは一切できん。それが密の奥義であり、言葉が持つ本当の力」

「よしっ! ならば俺もここで誓おう。俺はここでお前がなそうとしていることをしっかりと確かめる。そしてあの化け物どもをお前がどう鎮めるのか、それを見極めたうえで自分の思うところを本山に申し伝えることとする。どうだ!」

「よかろう。お前はお前の信念に従い、自分のなすべきことを決めるがいい」

「そうか、ではもう少し、ここにやっかいになることにする」そう言うと、制托迦は照れを隠すように、どしっと三蔵の前に座った。

「――ところで、さっきから何を熱心に見ているのだ」制托迦が三蔵の前に置いている本を見て言った。

「暦を見ていた」

「暦?」

「ああ、次の新月の日は凶殺を司る金神が北東におられる。荒覇吐を祀った祠は、まさにこの青龍寺の北東に位置する。おそらくこの日に、奴らはここに攻め入ってくるだろう」三蔵が静かに言った。

「そう言えば、あそこで修法を行った時、荒覇吐自身は姿を見せず、カリマという鬼が現れたが、敵は二人ということであろうか」

「さてな——だが国津神とはいわば、大和朝廷に滅ぼされたまつろわぬ民が信仰した神々であり、決して一人ではない。そのカリマという鬼もその中の一人なのであろう。であれば、いったい、どれだけの敵がいるのやら検討もつかぬ」

 あのカリマという悪鬼だけでも大敵だというのに、そんな敵が大挙して襲い掛かってくるなどと言われて制托迦は思わずごくっと生唾を飲んだ。

「制托迦よ、お前がここに残るのであれば頼みがある」三蔵が急に真剣な顔で言った。

「なんだ、俺にできることならなんでもやるぞ」

「今度の新月の晩、ここから一キロほど南にある神社にいって、俺が合図をしたら、そこにある封を断ち切って欲しいのだ」

 制托迦は三蔵のいうことをすぐには理解できなかったが、何度も頭の中で繰り返し、ようやく三蔵が何を言っているのかを理解した。

「おい、三蔵! お前は今、自分が何を言ったのか分かっているのか! 封を解けだと! そんなことをしたら、一体どんなことになると思う! また、新たな化け物が現れて、この地どころか、この世は滅びてしまうぞ!」

「――危険は承知のことだ。だが荒覇吐に勝つためには、どうしてもそのものの力が必要なのだ。いや、そのものの力を借りなくば、国津神たちを鎮めることはできないのだ」

 制托迦は三蔵の顔を見た。その顔は真剣そのもので気圧されそうな圧力すら感じた。

「……それも、仏の世界を守るためなのだな」

「ああ、それ以外に手はないのだ」

「分かった。それが必要だというなら、すればいい……」

 制托迦は重苦しい口調でそう言ったかと思うと急に立ち上がった。そして駄々っ子のように喚き散らした。

「だけど、それは他の奴に頼め! 俺はここに残って、あいつともう一度戦うんだ! お前たちを置いて逃げたなどと言われるくらいなら死んだ方がましだ!」

「制托迦! まだ、分からぬか!」

 三蔵も立ち上がり、憤怒の表情を浮かべて怒声を放った。

「お前にこれを頼むのは、これがどんなことよりも大事なことだからだ! お前以外に、これをなすことができるものはいないからだ! 恥や外聞など捨てろ! 自分を捨て去れ! 人にはそれぞれ天から授けられた大切な役目がある。時とともにそれは変じていくが、その時その時、自分がなさねばならぬことをしていく。それが生きるということであり、仏の道を求める我らが歩むべき道なのだぞ!」

 制托迦はぎりぎりと歯を噛みながら、真っ赤になって三蔵を睨みつけた。

「……わかった……だけど、だけどな! それをしたら、俺はすぐにこの場所に戻ってくるぞ、それでお前と一緒に戦うんだ!」

 三蔵は、そう叫ぶ制托迦をまるで慈父のような優しい面持ちで見つめた。

「――ああ、お前がいなくてはこの戦いには勝てぬからな――制托迦、頼んだぞ」

 

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