いくら物価の安いときだって熊の毛皮二枚で二円はあんまり安いと誰でも思う。実に安いしあんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎はそんな町の荒物屋なんかへでなしにほかの人へどしどし売れないか。それはなぜか大ていの人にはわからない。けれども日本では狐けんというものもあって狐は猟師に負け猟師は旦那に負けるときまっている。ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。
引用:『なめとこ山の熊』(著:宮沢賢治)
僕が大好きな宮沢賢治。
心に残る言葉はたくさんありすぎて、逆に何を選んだらよいかと迷ったが、あえてこれを選んだ。
何がいいって、最後の宮沢賢治の吐き捨てるような言葉がいい。
もし賢治が生きていたら、全くそのとおりだ、よく言ってくれたと声を大にして叫び、心からの拍手を送りたいところだ。
だが人間の善性を信じる賢治の願いとは裏腹に、世界が進歩するに従って、こんなずるいやつらは消えてなくなるどころか、うじゃうじゃと増えてしまっている。
今じゃテレビ、新聞、雑誌、そしてネットでも投資だ、運用だと、そんな情報ばかり溢れかえって、本当にうざったい。
お金は確かに大事だと思うが、必要以上に金をため込んでいったいどうしようというのか。死ぬときには無一文であの世へ旅立たなければならないというのに。
僕が書いた物語の一つに、この糞駄目みたいな社会をぶち壊し、金の亡者みたいなやからを一匹残らず駆逐して、清冽な風が薫る、希望と喜びに満ち溢れた新しい世界を作らんと誓うある男の物語があるが、そんな物語を書いた理由の一つは、この宮沢賢治の吐き捨てるような言葉に触発されたのかもしれない。
そして僕の中には、その方がましじゃないかと思う心が確かに存在するのだ。
ここから先は、頂戴したコメントとそれらに対する僕の一言です。
「模範となるべき立場の者がモラルそのものを破壊してますからねぇ……。政治家や企業の責任者は尽く責任を取らない。金と権力で批判さえも潰してしまう。まずもって政治家はあらゆる法を破っている。選挙を公平というのならば政治基盤は禁止せねば平等ではない。金さえない一般人が金にモノを言わせる政治家と平等な勝負になる訳がないのは誰が見ても明らかだ。そうして政治が腐り、癒着している企業が腐り、関係している者達が腐る。今回のコロナ騒動でそれが良く分かった筈ですが……戦後の『ことなかれ教育』のせいで国民は行動しない」(Aさん)
「残念ながら現状世界をぶち壊してゼロから再構築することは現実的に無理でしょう。私が現状実際に不思議に思うのは、親も学校も人としていちばん大事なことを何故教えないのか?ということですね。それは自分の「倫理観」を身に付けるってことです。勉強や学習によって様々な知識を身に付け、多くの人と出会い、人間関係の中で友情や善悪を習い、そうして自分としての「倫理観」を身に付けていくことが人としての成長、大人になるということだと私は思っています。成人して結婚して子供が出来たなら、子育てはその「倫理観」に基づいて行うべきと思います。倫理観に基づいたものでないと、言動が場当たり的となり、損得に流され、虚飾にまみれたものになってしまいます。人はそうした「倫理観」無き奴らの言動に苦しめられることが多いのに、自らの「倫理観」をしっかりと構築しようとする者が少ないのは何故なんでしょうか? たぶんそういうことを誰にも言われたことが無いから考えたことも無いんだなと私は思っています」(Bさん)
「社会をぶち壊したい……お気持ちは分かりますが、私は止めた方が良いと思います。私も革命や何かは、ヤル気満々だったのですが、色々な事を調べる内にそれが無意味である事を知りました。それに、私は中国人の革命家とも話をした事がありますが、彼には革命を止める様に諭しました。結局……金持ち、権力者、不埒者、これ等を倒しても、次は自分が悪人になるだけなのです。現実は、お伽噺やラノベの勇者が魔王を倒す様にはいかないのです。フランス革命、アラブの春、これ等の戦いで誰が勝っても、結局は民衆は報われませんでしたから。それと、今の世界は腐ってるかも知れないのですが、腐ってる連中は直ぐに死にますので御安心を。日本の議員や役人も腐っている部分は有ります。しかし、彼等は必要不可欠な存在です。問題は彼等以上に腐ってる、無能議員や売国役人に加え、マスコミ等ですが。日本だけではなく、世界中のですが。武漢肺炎によるパンデミック、これの被害は凄まじいものになりますが、これは同時に経済的な大損失も生むからです。上記の通り、今回の肺炎で医療体制の不備や難民の事で、彼等は責任を取らされ、政治的な権力を失うでしょう」(Cさん)
「宮沢賢治は自分にとって「毒と透明感を備えた稀有な人」であり、人間的な目標の一つでも有ります。有名な「雨ニモ負ケズ」が遺書と知った時は、どうしようもなく切ない反面希望を以って旅に出た事にしばらく放心したほどです。夭逝の天才とはあまりにも惜しく悲しい存在ですが、そんな人間が表現者だからこそその死生観には学ばされる思いです。しかし現実は、社会は、人間は―――感動からさえそうそう学ばない。それに絶望・失望した者達の声高な『革命!』さえも、今有る自分だけの興奮でしかないのが自分には悲しい。興奮と感動は似て非なるものです………ゆえに現代は、「感動」が足りないのではないか、と思われます。今社会に必要なのは、紛れも無く興奮以上の『感動』です―――そしてそれを経て大衆に『敬意』を成すのが、現在必要な『革命』ではないでしょうか。それが恐らく小十郎の心を救い、輪廻を経てこの世界に帰って来た賢治をほっとさせると、此処に一人は愚考します」(Gさん)
「は!?……なに考えているんだ国!! 政治家!! 役人!! と思うことは多々あります。ありすぎます!! 自身のことでも、友人のことでも、親類のことでも、なんと言う理不尽!! さすがに理不尽すぎやしないか💢(私も含め、皆、死活問題に直結する理不尽ばかりなので💢)と思うことが多々あります。田舎ですので、大企業のサラリーマンには知り合いはおりませんが……やはり、全員が全員ではないでしょうが……マウントとった気になる人はいるんでしょうねえ……。コメンテーターは昔っから言いっぱなしですね。でも、最近は気をつけないとすぐ炎上しますからねえ。私は……下手なこと言ったコメンテーターは炎上しろー! とおもいますね」(Dさん)
「嘘偽りない『本音』としてみれば、誰もが多かれ少なかれ持っている感情だと想います。ワタシだって『挿絵頼み』の今の〇れた「ラノベ業界」をブッ潰してやりたいですからねw もしぶんちくさんが『デスノート』を手に入れたら、どう使うか興味がありますね。ワタシも消されるかもしれませんがw」(Sさん)
宮沢賢治。一番好きな作家と聞かれたら、僕はこの方の名を言うだろう。
宮沢賢治は子どもに親しまれる作品をたくさん書いたが、そのどれもが賢治の物凄い叫び込められている。
今まで僕が紹介した作家たちは、みんなそうだった。
自分の作品に自分の魂の叫びを込めた。
オーストリアの美術史家であるゼーデルマイヤーという人は現代を「中心の喪失」と説いた。
本当に言いえて妙だと感じる。
ある文芸批評家は、三島由紀夫の自決でもって、日本の文壇は終わったと言った。
まさに然りだと思う。
何か無色透明で冷たい時代。
政治も思想にも背を向けて、人は人、自分は自分。それぞれが勝手に生きている。
僕が抱く現代の姿はそんな感じだ。
イデオロギーと聞くと資本主義や共産主義を思い起こし身震いする人も多いと思う。
でも、その原意は、人間の行動を左右する根本的な物の考え方のことだ。
つまり、イデオロギーがないというのは、人間の中にそういう軸のようなものがないということに他ならない。
イデオロギーを忌避し、なるべくそうしたものから離れていった日本人は本来持っていた大事なものまで失ってしまった。
僕は今の文壇で無条件に読みたいと思える作家はほとんどいない。
それは今の時代の最先端を知らないということで、ものを書くには物凄く不利なような気がするが、読みたいと思わないのだからしょうがない。
僕は三島由紀夫たちのように深い思想を説いた過去の文豪たちの系譜に連なる書き手になりたい。宮沢賢治のように深い心の叫びを作品に込められる書き手になりたい。今の文壇の潮流に挑戦するようなものを書きたい。
僕は読者に媚びたくないし、時代にも媚びたくない。
僕が書きたいものはただ一つ、過去の文豪たちと同じように自身の中にある声を書く。僕の思いは、ただそれだけです。