アマチュア作家の成り上がり執筆録

素人作家がどこまで高みに昇ることができるのか

【心に残る言葉】『隠された十字架 -法隆寺論-』

私はこの原稿を書きながら、恐ろしい気がする。人間というものが恐ろしいのである。仏様の頭に釘を刺し、しかもそれを何らかの技術的必要のように見せかけて、けろりとしている人間の心が恐ろしいのである。このような恐ろしいことなしに、政治は可能ではなかったのか。このような恐ろしいことなしに、日本の国造りは可能ではなかったのか。

引用:『隠された十字架 -法隆寺論-』(著:梅原猛)

 

 この著者のことを知らない人は多いかもしれない。
 この人は作家ではない。哲学者であり仏教学者だ。
 だがこの人は歴史に対する多くの仮説を打ち立てて、日本の歴史学界に波紋を呼んだ。
 そのうちの一つがこの著書で、おおまかにいえば法隆寺は聖徳太子を讃える寺ではなく、聖徳太子が怨霊として祟らぬよう鎮めるために時の権力者が作らせた寺ではないかという仮説を述べた本だ。

 そして上にあげた部分は、法隆寺の夢殿に安置してある救世観音が実は聖徳太子を模して造られたのではないか、それなのにその仏像の頭にわざわざ釘を刺して光背を掲げさせている。それは恐るべきことだ、本当に恐ろしいことだと著者が恐れおののいているところなのである。

 僕は基本的にこの仮説を信じている。
 だからこそ、この文章に著者と同じ恐ろしさを感じるのだ。
 仏像の頭に釘を刺す。
 普通、そんなことをするだろうか。
 しかもこの救世観音は作られて以来、布でぐるぐる巻きにされ、ずっと秘仏とされてきた。
 明治の世が始まり、フェロノサが明治政府の役人とともに法隆寺を訪れ、嫌がる僧たちに無理やり開かせたのがこの仏像なのだ。

 この後この仏像は鑑賞対象となったが、詩人であり彫刻家でもあったある芸術家もこの仏像に強烈な違和感を感じた。
 それは少し前に紹介した高村光太郎である。
 高村光太郎がこの仏像について書いた言葉も大変印象的でなので、せっかくなのでここで紹介しておく。

「(省略)あの御像は確かに聖徳太子をお作りするつもりで拵えた作だと思う。長く考えながら拵えた作ではない。夢中になって拵え、かかりきりで一気呵成に仕上げた作だ。あの難しい時代を心配されて亡くなられた杖とも柱とも頼む聖徳太子を慕って、何だって亡くなられたろうと思う痛恨な悲憤な気持ちで居ても立ってもいられない思いに憑かれたようになって拵え、結果がどうなろうともそれを眼中にいれないで作られたものであろう。それは非常にあらたかなものである。自分で彫って拵えたろうけれども、その作者ですらそこに置いては拝めないように怖い仏であったろうと思う。御身躯は従来通りに作ったけれども、お頭は聖徳太子を思いながら拵えたのであろう。……普通の仏像と違って生物の感じがあり、何か化身のような気が漂っている(省略)」
 

 

 僕もこの本を読んだのちに、一度、法隆寺の夢殿でこの仏像を見たことがあるが、そういうことを読んだからなのか、少し気味が悪いような感じがしたのを思い出す。

 少し話が飛んだが、著者はこれを時の権力者が聖徳太子の怨霊を封じるためにつくりあげたものだと説く。
 二度とこの世に出てこないように、死んだ聖徳太子に模した仏像を作らせ、その頭に釘を打って、ぐるぐる巻きにして暗闇に閉じ込めたのだと。
 もしそうだとしたら、それはなんとも恐ろしいと思う。
 そんなことをしておきながら、権力者たちはけろりとして和歌を詠んだり、気に入った女と日々の逢瀬を楽しんでいたのだろうか。それが政治というものなのだろうか。 

 だが僕が恐れるのはそのことだけではない。
 もしかしてそれは今の時代にいたっても、変わっていないのではないかと思うからだ。
 国民の平和を守るため、安心して暮らせる社会をつくるため、そんな御大層なお題目を掲げた今の政治の中にも、奈良・平安の頃のような陰湿で恐ろしいものがあるのではないかと思ってしまうのだ。
 そして、それは実在すると僕は感じている。 

 

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