「つまりは、人間というもの、生きて行くにもっとも大事なことは……たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、好きな食物でも食べ、ぼんやりと酒など酌みながら……さて、今日の夕餉には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、夜は一合の寝酒をのんびりとのみ、疲れた躰を床に伸ばして、無心にねむりこける。このことにつきるな」
引用:『鬼平犯科帳(七 寒月六間掘)』(著:池波正太郎)
ドラマでもお馴染みの鬼平犯科帳。
大抵、小説を映像化すると矮小化する傾向が強いが、このドラマは原作の良さを余すことなく伝えて、さらに新規な面白しみを加えた傑作だと思う。
まあ、ドラマの方の宣伝はさておいて――鬼平犯科帳は捕物帳だが、その実は人間ドラマだ。なのでそこには多くの身に染みる言葉がある。
その中で、僕はこの言葉に限りない愛着を覚える。
こんなことが、実は生きるってことの一つの答えだと思うからだ。
理想に生きる、目標に向かって走る、正義のために戦う。
それはとても大切なことだ。
でもそれだけでは疲れてしまう。
どこかで息を抜いて、のんびりと生を楽しむ。
それもまた、生きるということの醍醐味だと思う。
人生は、ずっと走り続けなければならないというほど辛いコースではない。
たまには立ち止まり、風景を見たり、喉を潤して全然いいと思う。
それは悪でも怠惰でもなんでもない。
生きることを楽しむこと。
それもとても大事なことだと思うのだ。
ここから先は、頂戴したコメントとそれらに対する僕の一言です。
「中村吉右衛門がハマり役過ぎて後の人は演じられない気がしますね。世が平和なら細やかな楽しみが日々の幸せとなる訳ですが……今の日本はそんな余裕すらないというのが正直なところでしょう。これも全て雇用形態の崩壊から始まってる訳ですけどね……コロナ以前からの問題です」(Aさん)
「「一握りの憩いは二握りの骨折りと風を追うことに勝る」……ソロモンの言葉を思い出します」(Hさん)
「そうですよねえ。息抜きも大事。どうしても辛かったら休んでも良いと思うんですけどねえ。
最近はその息抜きの方法すら、規制されているような……(・・;)
でも、息抜きしないと、走りっぱなし、歩きっぱなしでは、ゴールまでたどりつけずに力つきてしまいますものねえ。休んで、楽しまないと! 息抜き、休むことは本当に大事です」(Bさん)
「怠惰ではなく休息を―――効率主義の世の中にこそ、傷を癒す時間が必要なのです。ほんの一日・二日で良い、型に嵌まり切ってあちこち軋む自分を緩くするのが何より大事と思われます。社会は言わば複雑な機関です………其処にそれぞれが部品となり動かし、維持します。しかし部品を務めるのは、部品ならぬ人間です。だからこそ『人間に戻る時間』が絶対に求められます。「人間は、社会に於ける家畜だ」と、とある作品で見た事が有ります。高度な社会では人間は自らをブロイラー化し、消費物になる運命だ……とその作品では言っていました。それもまた真理―――なれど人間である事もまた真理。其処に目を背けたら社会は終わりだ、と鬼平の言葉は示してくれます。して話は逸れますが、中村吉右衛門の鬼平はぶっちゃけ国宝級だと思います。ではかしこ」(Gさん)
「生きることを、楽しむ。沁みます……」(Pさん)
池波正太郎の書く時代小説はとにかく面白い。読み始めるうちに、どんどん世界に引き込まれる。その中に出てくる言葉がなんとも身に染みるのだ。そして読み終わる頃には、次の話、次の巻と手が伸びてしまう。
江戸を舞台とした、ただの人情噺だろうと思う人も多いかもしれないが、実はそれだけではない。
例えば、池波正太郎の書くシリーズにはよく食べる場面が出てくるのだが、それがまた、なんともうまそうなのだ、蕎麦一つ食べてるだけなのに、読んでるうちにこちらまで食べたくなってしまう。ネットで検索すれば、それだけでいろいろなブログやら、サイトが出てくるほどだ。
続いて、鬼平犯科帳の中で語られる、いわゆる盗人の手口、「急ぎ働き」、「なめ役」、「盗人の三箇条」これらなど池波正太郎の創作なのだが、まことによく練られて作りこまれている。
あまりにも自然すぎて、僕はもはやそれは真実だと思い込んでいる節すらある。
さらに魅力あるキャラクターの数々。主人公の長谷川平蔵が魅力的なのは当たり前なのだが、同心や密偵、いや盗人たちですら、物凄く立っているのである。
少し助平な同心木村忠吾、平蔵に思慕の思いを持っている密偵おまさ、若き日の平蔵をよく知る密偵相模の彦十……いや多すぎてとても書ききれない。
と、これだけでも鬼平犯科帳がある意味、ファンタジーに匹敵するほど自分の世界を構築していることが分かる。
そう言う意味では、ファンタジーの書き手なんかもこの作品を見てキャラづくりや、世界観を研究した方がいいんじゃないかとすら思う。
書き出しの見事さ、情緒風物の描写、きちっと短くまとめ、しっかりと締める力。
池波正太郎を読むと、自分の作品のレベルの低さに愕然とさせられます。でも、だからこそ、なんとか、そこに及ばずとも、少しくらいは近づきたいと思うようになる。
低い山しか見ていない人はどんなに登っても低い山にしかたどり着けない。
高い山を仰ぎ見ることによって、登れるかどうかは努力次第だが、その頂に立つ可能性が生まれる。
まずは、名作を読んで、自分の書くものがどれほど下手か知ってみてください。
全てはそこから始まります。