以前、ある方から、短編の積み重ねが長編という非常に示唆に富むコメントをいただきました。
これはいろんな意味で重要な要素をたくさん含んでいると思います。
長編を書くとします。
でも長編といっても、結局は場面場面の連続なんです。
ある場面を書くとき僕は考えます。この場面は物語に必要だろうか、この場面を書く中で次の場面を読みたいと思わせる何らかの高まりを作れただろうかと。
それをうまく書けているとは思いませんが、少なくてもそういう思いをもっては書いてます。
で、カクヨムの作品を読んでいると、この場面って必要なのかな? ここで何を言いたいのかな? と疑問に感じることがあります。
そういうのが続くと、なんだか読むのが乱暴になっていき、結局、読むのやめるかという風になってしまいます。
長編であっても、その場面にはしっかりと盛り上がりと意味を作って欲しいと思うし、そうしないとやっぱり読まれなくなるだろうなと思います。
もう一つ思うことは、小説の未来を考えたときにWEBで読むという形はさらに進んでいくと思いますが、そこで求められるのは、漫画的な要素だと思うんです。
つまり、週刊誌で連載される漫画のように一話一話にしっかり起承転結があるってことと規則性を持って投稿されるってことです。
一話で読者を引き込むくらいのパワーが必要であり、そういうことができる作家がWEB小説では生き残っていくんだろうと思います。
カクヨムでいうところの一話、平均的に2000字から3000字。
この中で、しっかりと高まりを作れるか。
実はこれは本当に難しいです。でも、しっかりした短編を書けるようじゃないと、読者が読んでくれる長編を書くのはやっぱり厳しいだろうなと感じます。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。