今日は、この方のコメントです。
「はじめまして。このエッセイ、全てを読ませていただいたわけではないのですが、とても共感いたしました。私は、公募中心に創作していたのですが、そこまで上手くいかず、自分の作品が面白いかどうかわからくなって、ウェブ小説サイトに投稿を始めました。その結果、カクヨムで何名か、私の作品を面白いと言っていただいた方に出会えて、とても幸せな時間を過ごしました。いつかどこかでお会いできたらいいのにと、思うほど素晴らしい方も多数いらっしゃいました。
ですが、初めてから数か月経って、明らかに読んでいないのに「応援」されたり★が付いたりされることが多くなり、モヤモヤしていました・・・。初投稿作品を完結させたので、ウェブ小説を少しセーブしながら、公募も頑張ろうかと思っています。
カクヨムについて、とてもよく知ることができました。本当にありがとうございます。お身体にお気をつけてお過ごしください」(Sさん)
このエッセイを書いていて一番思ったのは、ああ、こんなことを思ってたのって僕だけじゃないんだということでした。
ある種の人はカクヨムに何かを求めて入ってきて、何かに幻滅して、時にはそのまま去ってしまう。
でも僕はそのある種の人たちと交流をすることができて、とても幸せだったと思います。
純粋に小説が好きで、自分でも書き始めた。
その小説を誰かに読んでもらいたい。
ここでならきっと読んでくれるかもしれない。
ある種の人たちはみんなそんな思いでカクヨムに参加したんだろうと思います。
でも、あまりの読まれなさに唖然とする。
ようやく読んでくれた。
ところが、最初の数話だけ応援マークを残して、そのままいなくなってしまった。
それって自分の作品が面白くなかったからなのだろうか。
たくさん交流して、たくさんの仲間ができて、★もPVもたくさんもらうようになった。
でも、本当に読んでくれているのだろうか。
まるでタイムカードのように、いつもと同じように応援マークが並んでいる。
それは、自分が読んでいるから義理でつけてもらっているだけじゃないのか。
僕はある時、そういう風潮を薄々感じ始めて、今後は知り合いの作品であっても自分に合わなければ読むことをしないと宣言しました。
そうしたら、いままでずっと応援マークくれた人がどんどんいなくなっていきました。
自分では仲間だと思っていたけど、ああ、ただの相互扶助目的の関係だったんだとはっきり分かりました。
PVは単にページがブラウザに表示されたことだけを示すただの数字なんです。
★は様々な思惑が入り乱れて付けられる蜃気楼のようなものなんです。
そういうものを見せつけられるうちに、僕たちが本当に望んでいたのはそんなものじゃなかったんじゃないのかとどこかで気づいてしまう。僕たちが本当に望んでいたものとは、自分の作品を本気で読んでくれる人、そういう人たちとの心の交歓だったんじゃないかと。
損得なしの交流というのは本当に難しいものだと思います。だからこそ、損得なしで読んでくれる人を大事にしてあげてください。
でもたぶん、そういう人が一人もいなくなってしまったとしたら、僕たちみたいなある種の人間は、ここにいる意味を見失い、苦みを噛みしめながら去っていくんだろうと思います。
※ このエッセイは、かつて僕がカクヨムという投稿サイトで活動していた際に書いたものを掲載していますので、現在の実態とそぐわないことがあるかもしれませんが、その点についてはご容赦ください。