アマチュア作家の成り上がり小説ブログ

素人作家がどこまで高みに昇りつめることができるか

【笑えるコメディ短編小説】『文学におけるエロ表現の追求(七)』

「さあ、今日も研究を始めようか」

「はい! 博士、今日は、どんなエロを講義されるんですか」

「白鳥君、やる気が漲ってるね――ミニスカートの丈も1センチほど短くしたんじゃないのかい、もはや対面している僕には、まぶし過ぎて見れんよ」

「そんなこと言って、さっきからガン見しているじゃないですか。もう、ほんとにエッチなんだから~」

「白鳥君、その余裕、完全にエロキャラへと脱皮してきたな。それでこそ白鳥君だ! ではさっそくだが、今日はエロい言葉というものを極めていこうじゃないか――君は、エロい言葉と聞いて何を連想する?」

「エロい言葉ですか? えっと、巨乳とかですか?」

「常識的だ、まさにテンプレ的な発想だ。白鳥君、それは確かに間違ってはいない。カクヨムの人気タグを見たまえ、確かにその言葉は上位に入っている。だがね、先日も言った通り、エロいというのは、かすかに匂わせることなんだよ。想像の余地を残すことなんだよ! 例えば僕のようなあらゆる経験を踏んだものにとっては巨乳などと言われても、それで? という感じだ。昔つきあった女たちを思い出すが、揉むのにだいぶ握力を使うし、顔をうずめさせられわ、息子を挟まれるわ、いやほんと、えらい目にあったよ」

「……後半の博士、結構、にやけてましたよ」

「そんなことはどうでもいいんだ! 私が言いたいのは、巨乳などというものは、経験者にとっては、まったく魅力的ではないということなんだよ」

「でも男の人って、おっぱい好きですよね」

「それは大好きだ。僕から言わせれば、巨乳などという単語よりもおっぱいの方がはるかに高いエロ指数を持っているんだよ。だが、それは男性にとってはだ! いいかい、女性にとってはおっぱいという単語はごく自然な単語なのだ。例えば赤ちゃんがいる母であれば、一日に10回以上はおっぱいという言葉を使うだろう。まだそのような体験がない女性にしてさえ、お母さんや友達、先輩などとの付き合いを通じて、おっぱいという単語はごく自然に体に染みこんでいる。電車の中で女性同士がおっぱいなどという単語をしゃべったとしても、それはごく当たり前の光景だ。ところがだ! 電車の中で男がおっぱいなどと一言でもしゃべってみたまえ! 車両に乗った全ての客の怪訝かつ好奇心に満ちた視線を浴びること間違いなしだ!」

「そんなこともないと思いますが……」

「実際、そうなんだよ! おっぱいという単語はそれだけの破壊力をもっているんだよ。私が子供のころなどはおっぱいなどとは口が裂けても言えなかった。言いたくても顔が真っ赤になって、とても恥ずかしくて言えたものではなかった。だいたいおっぱいなどという言葉自体、エロ過ぎる。いまだにおっぱいなんて、とても言えたものではない。きみ、おっぱいだよ、おっぱい!」

「……連呼しないでください」

「ああ、恥ずかしい――だがまあ、そういうものだということだよ。つまりね、女性が思い描くエロい言葉と男がエロさを感じる単語には明らかな違いがあるということなんだ」

「なるほど」

「だいたい、君はおっぱいと言っても、大した恥ずかしさは感じまい。言ってみたまえ」

「えっ私がですか、……おっぱい」

「どうだ」

「まあ、顔が赤くなるほどではないです」

「だろ、もう一度言ってみたまえ」

「おっぱい」

「もう一度」

「おっぱい」

「もういち……」

「いったい、なんど言わせるんですか!」

「すまん、すまん。だがこれも実験なんだ」

「なんの実験なんですか!」

「白鳥君、今日のたった1574字のエッセイに、わたしはおっぱいと言う言葉を19回も使ったんだよ。おっぱいが禁止ワードにあたるのかどうか、これも実験だよ」

「凄い……もはやどこまでが実験で、どこまでが博士のエロなのか分からなくなってきました」

「白鳥君、こんなものは序の口だよ。明日はもっとこの問題を突っ込んでみよう。明日のテーマは人妻だ!」

「……」

(続く)

 

授乳

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