アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

(一)

 私は東京で生まれて東京で育ちましたので、田舎というものを知りません。
 本や映画でしか田舎を知らない私にとって、田舎というものは透き通るような青い空に綿あめのような雲が浮かび、緑の稲穂が絨毯のように広がり、田んぼを縫うように小川があって、小魚がキラキラと泳ぎ回り、山に行けばキノコやタケノコがわさわさとはえて、田んぼの中にぽつんと浮かんだ人家の周りを虫や鳥や獣たちが自由に行き来し、自然と生き物たちの奏でるハーモニーが日ごと夜ごとに繰り返される、そんなわくわくするような光り輝く世界なのでした。

 夏休みがくるたびに田舎に帰るんだと自慢げに話す友達が本当に羨ましくて、その頃から、大人になったら絶対に田舎に住むんだと心に決めていたのでした。
 最近では田舎暮らしをしたいという人たちのために移住フェアというものが盛んに行われているようで、ようやく大人になった私はそんなフェアの一つに、わくわくしながら向かったのでした。

 

 会場に行くと北は北海道から南は沖縄まで全国の自治体のブースが所狭しと並んでおります。いろんな県のブースを眺めましたが、どうやら移住先にも人気不人気があるようで、北海道や沖縄は大変な人気でブースは人でいっぱいです。
 他にも人だまりができているところがいくつかあったのですが、いちいち覗いていたら一日かけても足りるものではありません。それに本当のことを言いますと、私の心はとうに決まっていたので、広い会場の中を歩き回りながら、ある県のブースを必死に探していたのです。

 いやはや、会場の一番端っこにあったから探すのに大変苦労しました。そんなわけではないのでしょうが、その県のブースは閑古鳥が鳴いています。私には不思議でしょうがないのですが、あまり人気がないのでしょう。

 

 「……あの、どうぞ、こちらへ」

 ブースから少し離れたところで一分ほども立ち止まってしげしげと眺めていたら、ようやく田中という名札をつけた担当者が意を決したように声を掛けてきました。
 田中さんは、どうぞどうぞと来賓でもお招きするように椅子を引いて私を座らせると、自分はそそくさと向かいの席につきました。そして机の上に置いてあった何枚かのパンフレットを大急ぎで片付け机の上をきれいにすると、何か安堵したように一人でうなずき、ぎこちない笑顔を浮かべて私に話しかけてきました。

 「お待たせしまして、どうも、すいません。私はUターンやIターンなど地方への移住を担当しております田中と申します」

「あの、私は青山といいます」私もぎこちなく答えました。

「移住をお考えですか?」

「実は移住したいと思っているのです」私は思い切って伝えました。

「なるほどなるほど」

 何がなるほどなのかさっぱり分かりませんが、田中さんは一人で頷きながら、
「どういうところをご希望ですか」と続けて聞いてきました。

 私は少し顔を赤くて、
「……あの、私は宮沢賢治の大ファンなので……その、銀河鉄道の夜やセロ弾きのゴーシェに出てくるような……あの、美しい自然があって、動物たちがたくさんいて……宮沢賢治がイーハトーブと呼んだ夢のような世界に住んでみたいとつねづね思っていまして……」と、そんなようなことをどうにかこうにか伝えました。

 そんな私の話を田中さんはだいぶ長いこと目をぱちくりさせて聞いていましたが、ようやく口を開くと、
「あの~、つまりその~、わたしどもの岩手県が良いとおっしゃるわけで……」とおずおずと言いました。

「そのとおりなんです。岩手県に住みたいのです」私は笑顔になって答えました。

 

 田中さんはなんだか急にうれしくなったようで、さきほど後ろに片付けたばかりのパンフレットをいそいそと手に取ると、どれを最初に見せようかいろいろと悩んだあげく、結局諦めたようにぜんぶ机の上に並べました。

「いや、岩手というところは実に広くて、山もあるし、川もあるし、海もあって、自然が豊かで大変良いところです。もちろん、動物もたくさんいますよ。熊や鹿や狐や狸もだいぶおります。いやはや人間よりも多いかもしれません」田中さんはそう言いながら、ハハハと笑いました。

 私は目の前に並べられたいろいろなパンフレットを一つ一つじっくりと眺めながら、「できれば近くにあまり人が住んでいない山の奥の方がいいですね。木の実や山菜取りもできますし、なによりも動物たちがたくさんいるでしょうから」と伝えました。

「なるほどなるほど。あっ、では、このあたりはいかがでしょうか」
 田中さんは後ろから別なパンフレットを取り出しました。その表紙には、囲炉裏の傍に髭を生やした年配の男性が笑いながら座っている姿が写っていました。

 私はその写真を見た途端、中身を開きもせずに「あっ、こんな家が良いです」とうれしくなって言いました。

 田中さんは少し眉をくもらせて、「なるほどなるほど……ただですね、こういう物件はなかなか人気があってですね……」そう言いながら、机の脇に置いてあったパソコンをカチャカチャと操作し始めました。

 田中さんは、しばらくパソコンとにらめっこしていましたが、「あっ、こちらなんかまさにぴったりですねえ」と急に声をあげて、画面を僕に見せるように動かしました。

 その画面には、昔は庄屋さんの住まいだったような、だいぶ大きな農家の写真が表示されていました。

「私は一人ですし、もっと小さいものはありませんか? できれば、山奥の一軒家で脇に小さな畑があって、近くに小川なんかが流れていると最高なのですが……」私は渋い顔で訴えました。

 田中さんは、再びパソコンと格闘し始めましたが、今度はかなり手こずっているようで、これは違う、これも違うとぶつぶつ呟いています。

 そんな田中さんの顔を見ていると私はだんだん不安になってきました。そんな思いが伝わったのか、田中さんの額にはうっすらと汗がにじんでいます。

「おっ、ありました! ……が、これはちょっと……」突然、田中さんが大きな声を出したかと思うと、途端に顔をしかめました。

「どれ、見せてください」私は思わず立ち上がって、田中さんのパソコンを覗き込みました。その画面には、なんというか昔話にでも出てくるようなこじんまりとした古びた木造の小屋が写っていました。

「――これは、あれですね。熊打ちが寝泊まりに使うマタギ用の小屋ですね。こんなものを登録しちゃダメなんだがな……」

「ここに決めました」

 私が満面の笑みでそう言うと、田中さんは相当長い間、口をポカンと開けて私を見ていました。

 

移住フェア

 

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