その昔、出雲の国で須佐之男主が八岐大蛇を退治し、櫛名田比売を救ったのはよく知られておりますが、実は、そのような話は各地にたくさんございまして、中にはなんとも哀れな話もあったそうでございます。これは、ある村に伝わる、そんな話の一つでございます。
「今年も、また、あの日が近づいてきたのお」
「ほんに、あの日が近づくと、なんとも気が滅入ってかなわん」
「さて、今年はいったい誰にしたらよいのかのお」
村の顔役達が、なんとも重苦しい様子で話をしておりますが、それもそのはず、今日集まったのは、山の神に生贄として差し出す娘を誰にするか決めるという、なんとも嫌な話なのでございます。
実は、この村では、代々、立秋の日に山また山のその奥の神奈備山に棲んでいる山の神に、生娘を一人、差し出すことになっておりました。さもないと、山の神が怒り狂って、日照りを起こすわ、大雨を降らすわ、その昔は怒り狂った山の神が郷にまで現れて、何人もの村人を喰い殺したなどという話もあったそうでございます。
しかし、そうは言っても、生贄となる娘を決めるというのは、親御の心情を思えば、顔役たちにとっても大変気が重い話で、毎年、誰にしたらよいかと朝から晩まで頭を悩ませるの常でございました。
ただ、そこは先人の知恵というものもございまして、あまり不平や不満が溜まらぬように村を東西南北に分けて、昨年は北の部落から、その前は南の部落からという風に娘を出す地区を順繰りに決める慣わしがあり、順番で行けば、今年は、西の部落から娘を選ぶことになっておりました。
また、これは表立って決まっているわけではありませんが、息子がおらず娘一人しかいない家は、当然、婿養子を取らねばなりませんので、そういう娘は選から除かれることになっておりました。
そんなこんな考えますと、西の部落にも生娘がいる家は数件はあるのでございますが、後継ぎがちゃんとおって、その他に娘がたくさんいるなどいう家は何軒もあるわけではございません。自然、顔役達の頭の中には、ある家の娘が浮かんできたのでございます。それは、西外れに住んでいる佐五平のところの三番目のお妙という娘でございました。
佐五平の家は子宝に恵まれておりまして、息子が五人、娘が三人の大所帯でございました。そういうわけで、佐五平自身、今年はうちから出さねばならないと覚悟はしておったようで、佐五平から顔役の一人に、できれば、贄は末娘のお妙にしてほしいと内々話があったのでございました。
佐五平のところには、お京、お園と、お妙の姉が二人がおるのですが、お京と、お園は、なかなかの器量よしで、隣村の物もちの家から縁談の話が持ちかけられているのでございました。ところが、お妙は色が黒くて、髪も縮れ毛で、体も大きくごつごつしていて、これでは嫁の貰い手もあるまいと佐五平もとうに諦めておったほどの不美人で、佐五平が贄をお妙にしてほしいと言ったのもそういったことが心にあったようでございました。
これだけを申せば、娘を差し出す家は、なんと可哀そうだと皆様思われるかもしれませんが、実は、村のために娘を贄に差し出すというのは、大変な名誉なことであり、また、難を逃れた家々から申せば、両手を合わせて拝んでも拝み切れないほどの思いを各々が持っているものですから、娘を出すと決まった家には、村中から、お布施だ、ご供養だと、山のような供物が届けられるのでございます。こうしたこともあって、村の中で比較的裕福とされる家々というのは、過去に、娘を差し出し、財をなしたものが多かったのでございます。なので、その昔は不届きなものもおって、こうしたお布施目当てに娘を差し出そうとする者もあったそうでございます。本当に、人というものは、なんともあさましいものでございます。
少し話が外れてしまいましたが、顔役たちの寄り合いの結果はと申せば、結局、夜半には衆議一致したと見えて、今年の贄は、佐五平の三女のお妙と決まったのでございました。
早速、翌朝、村長が佐五平のところに、その旨を伝えに参りました。村長は、佐五平とその隣に座ったお妙に、なんとも相すまぬことだが、村のためと思って堪えてくれと頭を下げ、あわせて、顔役連からのお布施として、金一両を差し出しました。
佐五平は、ずっと難しい顔をして聞いておりましたが、村のためとあらば、やむをえないことですじゃと一言申すと、恭しく、金一両を受け取ったのでございました。
さて、このことが広まると、米一俵だ、子牛だ、山羊だ、雉だ、猪だと、佐五平の家に続々とご供物が届けられ、物持ちでない家々も、釣ってきた鯉だ、飼っていた大事な鶏だ、酒だ、野菜だ、薪だ、古着だと、佐五平の家の前に大層な行列ができたのでございました。
さて、贄となる娘には、山に向かう前の晩に一世一代の御馳走が振る舞われることになっており、佐五平の家でも、家族総出で、お妙に食べさせる御馳走を準備しておりました。
佐五平と息子たちは猪を潰して、鍋の準備をしておりました。お園の母は雉を絞めて、お吸い物を準備しております。姉たちは鯉を捌いて、大皿に見事な活造りが盛りつけられました。
こうして、夕餉には、お妙の前に見たこともないような御馳走が並べられました。
今日ばかりは、お妙が上座に座り、その脇には二人の姉がついて、酒を注いだり、白いご飯をよそっておりましたが、二人の姉にしてみれば、我が身の代わりとなった妹の不憫を憐れみつつも、自分でなくてほっとしているのもまた事実でありました。
ここに至れば、お妙も覚悟を決めたと見えて、今生の名残とばかりに、目の前の御馳走に箸を伸ばし、美味しい美味しいと涙を流して味わっておりました。さすがに、その様子を見ると、佐五平も母も兄姉たちも涙が込み上げてまいりましたが、じっとこらえて、心の中でお妙に手を合わせておるのでございました。
お妙の目の前にあった御馳走はきれいさっぱりなくなり、お妙は家族に最後の挨拶をすると、今日ばかりと仏間に敷かれた寝床に参ったのでございました。
布団に入ったのはいいのですが、さすがに明日のことを考えると、とても眠ることができません。お妙はむくと起き上がると、布団の上で必死に観音様に祈り始めました。
「観音様、観音様、やむない仕儀とはもうせ、わたしは怖くて怖くてたまりません。どうして、わたしばかりがこんな辛い目に遭わなければならないのでしょうか。わたしだってもう少し綺麗に生まれついておれば、こんなことにはきっとならなかったことでしょう。こんなことをいうのはなんとも罰当たりなこととは承知しているのですが、わたしはどうにも得心が参らないのでございます。観音様、どうぞ、わたしをお守りください、愚かなわたしに道をお示しください」
お妙がひたすら念じておりますと、不意に、仏壇の方がぼんやりと明るくなっているのに気づきました。なんだろうとと思って、そちらに近寄り、よく目をこらしてみると、なんと、ぼんやりと光る中に観音様がいらしゃるではありませんか。
観音様は、穏やかなお顔で、こうお妙に話しかけられました。
「お妙や、可哀そうな定めだが、明日、そなたは山の神の元に参らねばならぬ。しかし、決して最後まで諦めてはならぬぞ。最後の最後まで必死になって逃げるのじゃぞ、そうすれば、そなたの前に救いの道が現われよう」そう言うと、観音菩薩はにっこりと笑い、そのまま、光とともにお隠れになってしまいました。
お妙は、しばらくの間茫然としておりましたが、急に我に返ると、観音様のお言葉を胸に刻み付け、念彼観音力、念彼観音力と、ひたすら手を合わせて、祈り続けたのでございました。
翌朝、目を覚ますと、いつの間にか寝入っていたようで、お妙は布団の上に横たわっておりました。
あれは夢であったのか、そう思ったお妙でしたが、ふと何かを握り締めていることに気づきました。開いてみると木の切れ端でしたが、よく見てみると、なにやら観音菩薩のお姿にも見えます。
お妙は、これはきっと観音様が我が身を救ってくれるあかしだと思い、それを握り締めて、静かに手を合わせのでございました。