アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

第一話 青龍寺

「あんなボロ寺にいったい誰が来るっていうんだろう……」

 楓は独り言を言いながら、草ぼうぼうに生い茂った参道を恐る恐る登っていった。両脇には巨大な杉が立ち並び、辺りは鬱蒼として物音一つしなかった。

 ほんとだったら絶対に来たくない場所だった。女の幽霊が出るとか、人魂が出るとか言われているのだが本当に出るのだ。
 お盆にクラスの男女数人で夜中に集まり、ここで肝試しをしたことがあった。楓は連れの男とびくびくしながらこの道を歩いていたが、急にひんやりとした風が後ろから吹いてきて、楓が恐々と振り向くと、真っ暗な木立の中に白い光が浮かび上がり、小さな子供のような形となってこちらに近づいてきた。しかもその白い影は一つだけではなく至る所から現れて、一斉にこちらに近づいてきたものだから、楓はぎゃっと悲鳴をあげたかと思うと、隣にいた男に声を掛けることも忘れて、そのまま家に逃げ帰ってしまったのだった。

 それ以来、近寄りもしない場所なのだが、今日はしょうがなくこの山の上にあるお寺の様子を見にいくことになってしまったのだ。
 実はこの山の上には――山といってもたいして高い山でもなく、五分も登れば頂上についてしまうのだが――青龍寺という古寺があった。青龍寺は楓の家の菩提寺でもあり、十年ほど前までは真っ白な髭を生やした、いかにも人のよさそうな円仁さんという和尚さんがいて、その頃は楓もよく遊びにいったものだった。しかしその円仁さんが亡くなると後を継ぐものもおらず、法事があるたびに近くの寺の僧侶に代行してもらっていたのだが、檀家衆からすれば自分たちの寺に専属の住職がいるといないのとでは大違いだから、何度も本山の方に出向いて新しい僧侶を派遣してもらいたいとずっと頼んできたのだった。
 だが昨今、僧侶にも希望というものがあって、檀家が多く資産価値が高い寺ならまだしも、檀家の数が十軒にも満たず、資産と言っても山一つと廃屋同然の古寺一つしかないとあっては、なかなか成り手がいないと見えて、後継者も決まらぬまま十年が過ぎ、結局、荒れ放題になってしまい、そのうちに幽霊が出るとか妖怪が出るとか変な噂が立つようになってしまったのだった。

 今日、楓がその寺に行くことになったのには理由があった。父から寺の様子を見に行ってくれと頼まれたからであった。実は数日前に本山から新しい住職を派遣するとの連絡があり、その僧侶が今日あたり寺に来るらしいというものだから、朝からそわそわと寺の方ばかり見やっていた父がとうとう我慢しきれなくなったと見えて、部屋で寝転んで漫画を読んでいた楓にちょっと寺の様子を見てきてくれと、つまり、そういうことだったのだ。

 これが日が落ちた後であれば絶対に断ったのだが、雲一つない秋晴れの昼下がりで陽が燦燦と降り注ぎ、色づき始めた木々もキラキラと光り輝き、まさかこんな日に幽霊が出るわけもないだろうし、滅多に感情を表さない父がプレゼントを待つ子供のように朝から気もそぞろに新しい僧侶の到着を待ちわびている様子を見ると、明らかに暇している自分としては断るに断り切れなかったのだ。

 しかし家を出てみたはいいものの楓の心境は父親の思いとは裏腹に複雑だった。天気は良いし、鳥たちが賑やかに鳴いているので幽霊のことはすっかり忘れていたが、新しく派遣されるという僧侶のことを考えると、こんなボロ寺に派遣されるなんてかわいそうと思ったり、こんな辺鄙な田舎に来るなんて気が知れないと思ったり、いったいどんな人が来るんだろうかと少し興味も沸いたり、そんなことをいろいろと考えながら、道を登っていたのだった。

 参道を上がっていくと寺が見えてきた。山門も何もない、寺と言っても茅葺屋根のなんとも質素なつくりの建物なので一見古びた農家にしか見えなかった。その茅葺の屋根もこの十年ろくに手入れもされていないものだから、すっかり苔蒸して黒ずんでしまい、至る所から草木がぴょんぴょんと生え、庭木も伸び放題とあっては、とても人間が住めるような環境とは思えなかった。

 

荒れ寺

 

 辺り一面、雑草が生い茂る中をわずかに踏みしめられた道を歩いて行くと、すぐに戸口に着いた。するといつもは締まっているはずの戸が少し開いていた。人の気配が全く感じられず、まだ着いていないんだろうと思い込んでいた桜はびっくりしてしまった。

 楓は戸をそろそろと開け、誰かいますかと蚊の鳴くような声で呼び掛けた。しかし、中からはなんの返事もない。恐る恐る中に入って様子を伺った。明かりはついてなかったが、隙間から光が差し込んでいるのか、意外に中は明るかった。楓はそこに誰もいないことを確認すると、もう一度、どなたかいらっしゃいませんかと今度は奥に向かって少し大きな声で叫んだ。すると遠くから、みしみしという音が聞こえ、段々と大きくなって近づいてきた。楓はごくっと唾を飲み込み、体を強張らせて音のする方を伺った。突然、土間に面した木戸ががらんと開いたが、それを見たとたん、楓はその場で凍り付いたように固まってしまった。なんと自分と同い年くらいの男が上半身素っ裸で現れたのだった。

「あんた、誰?」上半身素っ裸の男が、ぶっきらぼうに言った。

「……あ、あ、あの……わ、私は……こ、こなら、小楢大悟の娘の、か、かえでです」
 急に現実に戻された楓は目をどこに向けていいのかあたふたしながら、どうにか答えた。

「小楢大吾?」

「あ、あの、この寺の檀家総代をしている小楢大吾です……」

 そこまで言うと、ようやく男は得心がいったように、「ああ、小楢さんね。いや挨拶に行こうと思ってたんだよ。だけどあんまり天気が良いので昼寝しちゃってさ――ちょうどいいや。すぐ準備するから、ちょっと待ってて」と、それだけ言うとそのまま奥の方に戻っていってしまった。

 一人土間に残された楓だったが、脳裏には男の上半身のシルエットがくっきりと刻み込まれていた。楓は一人っ子だったので若い男の裸をこんなに生々しくまじかに見たのは初めてだった。そろそろ五十に手が届く、だいぶ腹のゆるんできた父と違い、さきほどの男の上半身は細身ではあったが、無駄なぜい肉も余分な筋肉も一切なく、ばねがしなるような、見ていてほれぼれするような体つきだった。そんなことを思い返している自分に気づいた楓は思わず赤面したが、すぐにむくむくと反抗心が芽生えてきた。

 なに赤くなってんのよ! 男の裸なんて珍しいもんじゃないでしょう。父さんなんて、お風呂上りはいっつも短パン一枚で縁側で涼んでいるじゃない。
 そんなことより初対面の女性の前で上半身素っ裸ってどういう神経してんの。少し頭がおかしんじゃないの。それにどう見ても私と同じくらいの年じゃない。あんなのがこの寺の住職になるっていうの。ほんと、信じられない!

 楓は余計なほどムキになっている自分に全く気付かず、心中、散々悪態をつきながら、外で男が出てくるのを待っていたが、しばらくすると、待たせてすまなかったなと背後から声を掛けられた。文句の一つでも言おうかと勢い込んで後ろを振り向いた瞬間、楓はまたしても口をぽかんと開けてその場に固まってしまった。そこにはさきほどとはまるで違う、黒の空衣の上に橙色の法衣を重ねた眉目秀麗な青年僧が凛々しい姿で立っていた。

「おい、どうした」

 男に声を掛けられてようやく我に戻ったが、楓は顔から火が出そうな色をして、あのそのと言葉にならないようなことをしどもどとつぶやいた。
 男はそんな楓の気持ちを慮る様子もなく、「お前の家だろ、早く、案内しろ」と言って先に歩き出した。

 見知らぬ男の前で二度までも恥ずかしい姿を晒してしまった楓だったが、さすがに怒りが込み上げてきたのか、「私の名前は小楢楓です。さっき言いましたよね。だいたい失礼じゃないですか、初対面なのにお前、お前って」と頬をふくらまして目の前の男を攻め立てた。

「ああ、楓だったな。悪い、悪い。すっかり忘れちまってた」

 悪気も見せず、しゃあしゃあと答える男の態度が楓の怒りをさらに増幅させた。

「別にどうでもいいですけど――ところで私、まだあなたの名前聞いてませんが」

「俺? ああ、それも言ってなかったっけ。俺の名前は三蔵、三蔵法師の三蔵だ」三蔵と名乗る男は晴れやかに笑いながら答えた。笑った時の白い歯が妙にまぶしくて、心がどきっとしたが、「そ、そうですか……どうぞ、よろしく」と慌てて言うと、楓は自分の動揺を知られないように三蔵の前に立って、すたすたと歩き始めた。

 

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