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【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 第二話 怪異

 陽の光が杉木立の中を木漏れ日となって降り注ぐ中、二人は一言も言葉を交わさず黙々と参道を下っていったが、ほんの十分もたたないうちに小楢家に到着した。

 楓は中に向かって、連れてきたよと大きな声をあげた。その声が消えぬ間もなく、父の大吾がどしどしと廊下を走ってきて玄関口に現れた。そして楓の後ろに控えている三蔵をみるなり、
「いや、わざわざこちらに来ていただくとは、なんとも申し訳ありません」と三蔵が娘の楓とさほど変わらぬ年恰好なのを少しも気にする風もなく至極丁寧に頭を下げた。

 三蔵もさきほどまでの楓に対する横柄な態度とは大違いの体で、
「すぐさま、こちらにお伺いすべきところを大変失礼いたしました。また若輩の身に対して、かくも丁重なご挨拶、誠に痛み入ります」と深く頭を垂れた。

 大吾は楓のことは目にも入っていないかのように、さ、こちらへ、こちらへと恭しく三蔵を家に招き入れた。

 

「いや、こんな田舎で大層驚いたでしょう。寺もあのように傷んでおりまして、誠にお恥ずかしい限りです」床の間に座った大吾は目の前に座った三蔵に話しかけた。

「いや、本来ならば先代の円仁和尚がお隠れになった際に、すぐにも後継を定めるべきでありましたのに、お山の不手際にて、かくも長く檀家の皆様にご不便をお掛けし、なんとも申し開きの言葉もありません」三蔵は再び頭を下げた。

「いやいや、そなた様にそこまで頭を下げられてはこちらの方が恐縮いたします。どうぞ、頭を上げてください」大吾はそう言うと自分の斜め後ろに座っていた楓に向かって、「おい、何、そんなとこで黙って座ってるんだ。さっさとお茶をお出しせんか」と叱りつけた。

 不承不承、腰を上げて、楓が台所でお茶の準備を始めると居間の方から、
「いやはや、母親を早くに亡くしたもので、こういうことにもさっぱり気が至りませんで、先行きが思いやられます」と大吾が苦笑気味に話すのが聞こえてきた。

 その声を聴いたとたん、楓の体がかっと熱くなった。
 なによ父さんたら、いつもは私がいないと料理も掃除も洗濯も何にもできないくせに。それに、あんなやつにへいこらしちゃってさ!
 憤懣やるかたないとばかりに仏頂面で湯呑に茶葉を入れていると、今度は三蔵の声が聞こえてきた。

「――いや、あんな見目麗しいご息女にわざわざお迎えまでしていただいて、ただただ恐れ入るばかりで」

 その声を聴いたとたん、楓の体温はさらに上がった。
 絶対に思ってないくせに! ほんと、嫌なやつ!

 台所で楓がそんな悪態を呟いているとはつゆ知らず、大吾は満面の笑顔で、
「一人娘ということで我儘いっぱいに育ててしまいまして、あんな風では、嫁のもらい手があるのかと、今からそれだけが心配で心配で」と言って、わっはっはと高らかに笑った。

「――お父さん、変なこと言わなくていいの!」お茶を運んできた楓が浮かれ声を立てていた大吾を叱りつけるように言った。そして能面のような顔つきで大吾と三蔵にお茶を出すと、そのまま襖をびしっと閉めて部屋を出ていった。

 三十分も経ったであろうか。床の間の方から声が聞こえてきた。
「おい、楓! 三蔵さんが帰られるぞ。送って差し上げろ」
 寝っ転がって読みかけの漫画を読んでいた楓はその言葉を聞いてげんなりとした。
 嘘でしょう、なんで私が送らなくちゃいけないのよ。ったく、父さんったら、あいつにすっかり丸め込まれちゃったんじゃないの。

 やむなく、むすっとした顔つきで玄関に出ていくと、ちょうど三蔵が草履を履いているところだった。大吾は楓が来たのを見ると喜色満面、
「帰りも楓に送らせますので、ご心配には及びません。なにかご不便がありましたら、なんなりと申し付けください」と三蔵に声を掛けた。

 楓は内心では、「お気兼ねなく、一人で帰れますから」と三蔵が言うのを期待していた。ところが三蔵は、「そうですか、それではお言葉に甘えまして」と言って、大吾に慇懃に頭を下げた。

 楓は不満の言葉が喉の先っぽまで出かかったが、それをなんとか押し込めると渋面を押し殺すように家を出た。明らかに不機嫌な態度を隠そうともせず、後ろを振り向くことなく楓は足早に参道を登って行った。すると、お前の親父さんはいい人だなと後ろから声がした。
 当たり前でしょう。あんたなんかと違ってね。楓は振り返りもせず、内心毒づいた。

 

「――おい。そこを動くな」

 再び後ろから声が聞こえた。楓はまたしてもおい呼ばわりされたことにもう勘弁ならないとばかりに怒りを顕わにして後ろを振り向いた。
 ちょっと、あんたね! そう言おうとした瞬間、楓は三蔵の姿を見て、はっと息を飲んだ。三蔵はなにやら手を組んで、初めて見せる真剣な顔つきでこちらを見つめ、何やらぶつぶつとつぶやきはじめていた。

 夕日が山の端に隠れるかというところで、まだ陽が残っているはずなのに、急にそれまでとは明らかに違うひんやりとした空気が楓の周りに漂ってきた。楓は今までの三蔵に対する反感などすっかり忘れて、ドキドキしながら不安そうにあたりを見渡した。ついさっきまで残照がまぶしいくらいにキラキラと輝いていたはずなのに、いつの間にか杉木立の中は見通すこともできぬほど深い霧に覆われていた。

 

霧に覆われた森

 

 恐々とあたりを見渡すと、林の中に白くぼやっとしたものがゆらゆらと浮かんでいるのが見えた。楓は思わず叫び声をあげて逃げ出しそうになったが、なぜか体が言うことを聞かず、手も足も口も動かすことができなかった。そのうちに白い雲のようなものが森の中からゆっくりと出てきて、楓の周りをぐるぐると回り始めた。その雲のようなものは徐々に大きさを増し、いつしか楓を包み込むように膨らんでいった。あまりの恐怖に楓の意識が遠のきかけた。そのときだった。楓の耳になにやら音が聞こえてきた。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん

 お経か何かなのだろうが、三蔵の少し低いトーンの声音で唱えられるその韻律は、まるで唄でも聞いているような気分にさせた。細く長い指を絡ませてなにやらの印を結び、何かのお経を唱えている三蔵は、こちらを見ているのだが、その目は自分以外の何か別なものを見ているようでもあった。

 三蔵の口から溢れ出る音色が空気を震わせ、その音の波が徐々に徐々に広がっていった。そのうちに楓を包み込むように膨らんでいた白い雲が次第に上空に昇っていき、いつの間にやら消え失せてしまった。何かに押さえつけられていたように強張っていた筋肉が一気に弛緩し、楓はへなへなとその場に座り込んだ。

 周りはつい先ほどまでと何も変わらぬように、残照が木々を美しく照らし、心地よい風が吹いていた。楓は夢を見ているようだったが、不意に我に返ると思わず叫んだ。

「なんなのあれ! いったい、なにがあったの!」

 三蔵はいつのまにか組んでいた手を解いていたが、面白くてたまらないとでもいうように微笑を浮かべて、周囲の木々や空を眺めていた。

「おい、ここは面白いところだな」

「どういうこと」

「ここには、強大な力が溜まっている」

「力?」

「そうだ。力が溜まる場所には様々なものが集まる――不浄なものも、そうでないものも」

「じゃあ、さっきのはいったい何なの」

「あんなのは大したものじゃない。まあ例えていうなら、光に集まる蛾みたいなものだ」

「……蛾……それじゃ、ホントだったの……ここでよく人魂や幽霊が出るっていうのは」楓が茫然としてつぶやいた。

「幽霊?」

「……ここ、有名な心霊スポットなの……幽霊やお化けが出るって……」

 三蔵は楓の言葉を聞くと、怖いような微笑を浮かべた。
「幽霊やお化けなんて目じゃない。ここにはもっと凄いものが集まっている」

「……凄いもの」

「ああ――」三蔵は楓を見つめ、そして重々しく言った。

「――それは悪鬼であり、羅刹であり、龍であり、そして菩薩たちだ」

 

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