アマチュア作家の面白い小説ブログ

素人作家がどこまで面白い小説を書くことができるか

第三話 蝦夷の地

 楓と三蔵は寺の縁側に座って庭を眺めていた。日はすっかり落ちて宵闇が迫っていたが、楓は帰ろうとしなかった。信じられない体験をし、信じがたいことを聞いて、楓の頭はひどく混乱していた。でもなぜか、三蔵が嘘を言っているとは思えなかった。逆に三蔵が言った言葉の意味をもっと知りたいと思った。三蔵は柱に寄りかかり、しばらく黙って草ぼうぼうの庭を眺めていたが、そんな楓の心中を察したのか、ぽつぽつと語り始めた。

「――古来、ここら辺一帯は蝦夷と呼ばれ、大和の神々に滅ぼされた国津神の一族が眠る墓所であった。つまり蝦夷に住まうものたちの想いと恨みの念が凝縮されている地なのだ。さらに言えばこの地は東北の地を縦断する龍脈が走り、その力が噴き出すところでもある。いわば龍の顎ともいうべき地。だからこそ、お山は古くからここに寺を建立し、最も呪術に長けたものを代々この地に派遣し、この地の抑えとしてきたのだ」

「えっ、それじゃ、先代の円仁和尚さんも」驚いた顔つきで楓が聞いた。

「そう、俺と同じく若くしてこの地の抑えとしてお山から派遣された偉大な密教僧だった」

 楓の思い出に残る円仁和尚さんは白い髭を胸元まで垂らして、いつもにこにこ笑っている絵に描いたような人の良い和尚さんにすぎなかった。その円仁さんが偉大な密教僧だったとは。楓はあまりのことに呆然とした。三蔵は話を続けた。

「だからこそ、お山は円仁和尚お隠れの後、この地の守り人を誰にするか悩みに悩み、結局、十年もかかってしまったのだよ」

「それじゃ、あなたが」

「そう、俺がお山から選ばれた新しいこの地の守り人だ」

「でも、そんなに大事な寺なら、後継者を決めるのになんで十年もかかったのよ? もっと早く誰か寄こすのが普通じゃない」楓は当然の疑問を口にした。

「それは円仁和尚がなした封じの力が残っていたからだ。円仁和尚は自分の寿命が間もないことを悟ったのち、お山に手紙を出した。そこには自分の寿命が命胆石に迫っていること、力のある後任の僧をこの地に派遣すべきこと、ただし自分がこれまでに施した封じの力により、次の大厄の年まではこの地の抑えは万全だと書かれていた」

「次の大厄の年?」

「来年は亥の年、昔から災厄が起こり、変革が起こるといわれる年だ。この大宇宙は流転する。あらゆるものが移り変わるが、その移り変わりには波がある。安定した時期もあれば、不安定で変化が起きやすい時期もある。今はまさにそういう時期なのだ。だからこそ、この地をしっかりと抑えておく必要があるのだ」

 信じられない話だった。いきなりそんなことを言われても簡単に信じられるわけがない。

「……ちょっ、ちょっと待って。さっきから聞いてるけど、言っていることがさっぱり分からないんだけど……だいたい、今どき封じだなんて、そんなおとぎ話みたいなことあるわけないじゃない」

「じゃあ、さっきお前がみたものはなんだ」

「あれは、その……」困った顔で楓が言い澱んだ。

「まあ、信じられないのも無理はない。それじゃ、とっておきの証拠を見せてやるよ。庭に出てみろ」

 三蔵はそう言うと、縁側から庭に降りた。楓は三蔵が何を見せようとするのかさっぱり分からなかったが自分も庭に降りた。すると三蔵は空を見上げて呟いた。

「ほら、これが証拠だ」

 三蔵の隣に立った楓は半信半疑で空を見上げた。その瞬間、楓は目を疑った。なんと空の半分を覆うほどに巨大な月がそこにあった。

「……な、なんなの、これ」楓は震えるような声でつぶやいた。

「ここには力が溜まっているって言ったろ。その力が噴き出して、この場の空間をゆがめているのさ」

「空間をゆがめる?」

「そうさ、空間はゆがむ。知らないのか、アインシュタインも言ってることだぞ」

 この男の口からアインシュタインという言葉が出ることがさらに楓の頭を混乱させた。

「……それって、重力が大きくなれば空間がゆがむってことでしょう」

「そのとおり、すなわち重力に匹敵するような大きな力があれば空間はゆがむ。だから月があんなに近くに見えたりするっていうわけだ」

「重力に匹敵する力って」

「それをひとことで言うのは簡単じゃないし、説明したところで、お前には理解できない」

 三蔵は厳しい口調でそう言ったが、さっぱりわけが分からないという顔をしている楓を見ると、少し可愛そうに思ったのか一言付け加えた。

「まあ、仏の力とでもいっておこうか」

「……仏の力」

 その言葉は、巨大な月を見上げる楓の心の中で、いつまでも鳴り響いていた。

 

巨大な月

 

次話へ

TOP