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【仏教をテーマにした和風ファンタジー小説】『鎮魂の唄』 第十話 淫乱

 相変わらずボロ家同然の青龍寺であったが、先日行われた晋山式の前にだいぶ庭の手入れや傷んだ箇所の修繕をしたので、なんとか人が住めるような環境になっていた。
 スサノオがいるはずだったが今日はどこかに行ったと見えて姿が見えなかった。まあ、あんなでかい犬が突然しゃべり始めたら優香が気絶するかもしれないと思ったので楓は少しほっとした。
 楓はいつもの勝手口から中に入ると、三蔵さんと大声で叫んだ。すると中から、勝手に入ってこいという三蔵の声が聞こえてきた。楓と優香は土間で靴を脱ぐと広間の方に向かっていったが、そこにはいつものごとくに柱に寄りかかりながら酒を飲んでいる三蔵がいた。

「どうした。今日は友達も一緒か」三蔵はこちらを振り向くこともなく言った。

 楓は優香を紹介しようとしたが、当の優香はそんなことはお構いなしに三蔵の前にすたすたと歩いていき、大きく開いた胸の谷間を見せつけるように、

「初めまして、わたし、楓の親友の松本優香です」と言って頭を下げた。

 楓は心中穏やかではなかったが、

「この子、私の同級生の優香。三蔵さんを紹介して欲しいって言うから、連れてきたの」と表面上は至極穏やかに答えた。

「そっか――ええと、俺の名前は三蔵。よろしく」三蔵はそういうと片手を優香に差し出した。それを見た優香は飛びつくように三蔵の手を両手で握ると、そのまま前にちょこんと座り、潤んだような瞳で三蔵の顔を見つめた。その様子を見た楓は、優香が三蔵に一目ぼれしたのがこれまでの経験からすぐに分かったが、といって優香のように大胆になれるわけもなく、三蔵からちょっと距離を置いて、猫を抱きながら座った。

「……ごめん、手を放してもらっていいかな。酒が飲めないんで」ずっと自分の手を握りしめている優香に向かって三蔵が苦笑ぎみに言った。優香は今気づいたとばかりに顔を赤らめて、ごめんなさいと言うと、さりげなく三蔵の横にぴたっと座り、自分の胸を三蔵の腕にあてながらお酌をし始めた。楓はその様子をむっとした様子で眺めていたが、「その猫はどうしたんだ」と、突然、三蔵に話し掛けられた。

「えっ、この猫――えっと、ここに来る途中で見つけた捨て猫なの。優香の家で飼うことになったから連れてきたの」そう楓が答えると、猫もまるで相槌を打つかのように、みゃあおと鳴いた。

「ふうん」そう言って三蔵は楓と猫を交互にみつめていたが不意に、「楓も化粧するんだな」と笑いながら言った。

「――そりゃ、私だって女子高生だし。化粧くらいするよ」楓は少し赤くなりながら答えた。

「そっか」三蔵は酒を飲んで軽く微笑んだ。

 楓は少し恥ずかしかったが、自分が化粧をしていることを三蔵が分かってくれたのがうれしかった。すると、膝の上の猫がちょんと飛び降りて、すたすたと優香の方に向かっていき、今度は優香の膝の上のちょこんと乗った。

「その猫、優香のことが気に入ったみたいなんだ」楓は苦笑気味に言った。

 三蔵は興味深げに猫を眺めていたが、なにやら意味ありげにふっと笑うと、茶碗酒を口にあてた。

「――そう言えば、スサノオはどこに行ったの?」楓が尋ねた。

「あいつは午後はいつもどこかに出かけるんだ――まあ陽が沈む前には帰ってくるがな」

「そうなんだ」

 実は、三蔵はスサノオに一つ約束をさせていた。それは必ず夕暮れ前には帰ってきて、もし誰か陽が落ちた後にこの山を上り下りするものがいたら、そのものが無事に行き来できるよう陰から見張れと、そういうことを頼んでいたのだった。

「ほら、楓、これをやる」突然、三蔵は懐から小さな笛のようなもの取り出して、楓に放り投げた。

「何これ?」

「犬笛だ。これを吹けばスサノオを呼び出せる。もし何かあったらこれを吹け」

 三蔵が自分の身を案じてくれているのを知ってうれしくなった楓は、ありがとうと言いかけたが、その言葉は喉に詰まって止まってしまった。楓の目の前で信じられないことが起こっていた。三蔵の隣に座っていた優香がいきなりタンクトップを脱ぎ棄てると、乳房を露わにして、三蔵の膝の上にまたがったのだ。そして三蔵の股間に自分の股間をこすりつけて腰を揺らし始めた。

「ちょ、ちょっと優香! あんた、何やってんの!」

 思わず楓が叫んだが、その声は優香には全く聞こえていないようで、優香はますます激しく腰を振り始めた。優香は自分の乳房を掴むと悶えるような声を出して、自分の股間をぐいぐいと三蔵に押し付けた。そしてついには三蔵を押し倒し、馬乗りになって三蔵の法衣を剥ぎ取ると、その引き締まった体に抱きつきながら、顔から首から胸から腹から至るところに唇を這わせ始めた。楓は目の前で繰り広げられる、あまりに卑猥な光景に言葉を出すこともできず、ただ口を開けて見つめていたが、三蔵の様子もまた妙であった。いくら優香が身悶えして腰をふっても乳房を揺らしても唇を這わせても、三蔵は抵抗するわけでもなく、といって優香を求めるわけでもなく、ただひたすら優香のなすがままになっていた。そのうちに優香の様子が変わってきた。目が吊り上がり妙に甲高い声でしゃべり始めた。

「……なぜ、我を抱いてくれぬのじゃ……」

「……なぜ、我の乳をもんでくれぬのじゃ……」

「……なぜ、我の唇を吸うてくれぬのじゃ……」

 優香は己の股をぐりぐりと三蔵の股間に押し付けるのに、何の反応もみせぬ三蔵を責めるように何度も何度も訴えた。

「……欲しい、欲しい、男が欲しい……」

「……なぜじゃ、なぜじゃ……」

「……男の精が欲しいのに、なぜ、我のほとは開かぬのじゃ、なぜ、我のほとは閉じたままなのじゃ……」

 しまいには、優香は三蔵から離れると、その場にうずくまり、声をあげて哭き始めた。

 おおおん、おおおおん、おおおおおん

 悲哀がこもった、その哭き声は楓の心に切なく響いた。すると優香に倒されていた三蔵がいつの間にか起き上がり、憐れみが混じった声で経を唱え始めた。

 おん さんまや さとばん おん さんまや さとばん
 おん さんまや さとばん おん さんまや さとばん

 三蔵が唱える言葉が空気に溶けて、夕日が沈もうとしている空に広がっていった。そして、その言葉の放つ振動は楓の体の隅々にも染み渡っていった。楓は我知らず涙を流していた。

 どうしてこんなに切ないんだろう、どうしてこんなに苦しんだろう、どうしてこんなにも愛を求めてしまうんだろう。楓の目からとめどなく涙が流れた。目の前にうずくまっている優香のことが哀れで愛しくてたまらなかった。

 いつか、優香は気を失ったように静かになっていた。楓ははっと気づくと優香のもとにかがみこみ、顔を覗き込んだ。優香は静かな息をたてて眠っていたが、その頬には一筋の涙の痕があった。すると今までどこに行っていたのか、姿が見えなくなっていた猫が突然、広間に現れて、三蔵と楓をみつめてみゃあおと哭いた。三蔵は猫を抱き上げると、

「この猫の想いがこの優香という女に憑りついて、あんなことをさせたのさ」とつぶやいた。

「……この猫の想い」楓は三蔵を見上げた。

「ああ、おそらくこの猫は不妊治療を受けているんだろう。それは猫を飼う人間にしてみれば、やむをえないことなのかもしれない。だが猫であったとしても女の性を持っていることには変わりがない。子供を産むために男の精を求める――それは女の性をその身に負ったあらゆる生き物が持っている最も根源的な欲望なのだ。なんのために男と女がいるのか。それは命をつなぐためなのだ。男と女の性の交わりによって命が生まれ、未来に続いていく。だからこそ男と女は惹かれあい、愛し合うのだ」

 その言葉が楓の心にしんみりと響いた。優香は、気持ちよさそうに布団の中で寝息を立てていた。

「優香は大丈夫なの」優香の寝顔を眺めていた楓が三蔵に聞いた。

「ああ、自分がしたことも覚えてないだろうさ」

 三蔵は、さきほどと同じように柱に寄りかかって、酒をちびちび飲みながら答えた。

「その猫はどうするの」楓は三蔵の脇にちょこんと座っている猫を見た。

「どうもしない。今度の一件はここに溜まっている力の影響で、この猫の意識が強くなり、外にまで噴き出しただけのこと。おそらく、女の性を体中から発散させるその優香という女に影響されたんだろう」

「……そうだったんだ、でもその猫は……その……性に対する欲望をまだ強く持っているんでしょう。家で飼っても大丈夫なの?」

「ここを離れれば問題ないさ。それにさっき、女人を守護し悟りに導く普賢菩薩の真言を唱えたから、この猫の想いも天に昇華し少しはおさまったことだろう」

 三蔵の言葉を聞いた楓はさっき自分が我知らず涙を流したわけが少しわかった気がした。 すると楓の顔を見つめていた三蔵が少し含み笑いをした。

「――なによ、変な笑い方して」楓が胡散臭げに三蔵を睨んだ。

「いや、お前の中にあった欲望も少しは軽くなったんじゃないかと思ってな」

 見る見るうちに楓の顔色が変わってきた。

「一番、欲望を減らさなきゃならないのは、あんたの方でしょう! 優香に言い寄られて、鼻の下伸ばしちゃってさ……それに……それに、あんないやらしいことしてさ」

「まあ、俺も男だからな。いい女に言い寄られれば、悪い気はしない」

 そう言って笑う三蔵を見た楓は、急に肩を落として寂しそうにつぶやいた。

「……やっぱり、優香のこと好きになったんだ」

「いや。しかし化粧するとお前もまんざら悪くないな」三蔵はそう言うと茶碗酒をぐいとあおった。そして小さな声で付け加えた。「まあ、もうちょっと胸はあった方がいいけどな」

 その言葉は楓の耳にしっかり入ったと見えて、急に立ち上がるや、真っ赤な顔をして手あたり次第にものを投げつけ始めた。

「こら三蔵! このエロ坊主! お前なんか、どっかへ行っちまえ!」

「……ま、まて……それは、大事なもので……よせっ、酒がこぼれる、や、やめろ……こら、俺はまだこの前の怪我が……痛い、痛いって……」

 三蔵の隣に座っていた猫は、烈火の如く怒り狂った楓の矛先を避けるように柱の陰に身を隠すと、二人の痴話げんかを眺めながら、みゃあおと一声哭いた。

 

普賢菩薩

 

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