アマチュア作家の面白い小説ブログ

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第十二話 殺人鬼

 冷たい風が吹いていた。麓はまだ紅葉が色づいていたが、山の上では木々はすっかり葉を落とし冬支度を始めていた。そんな枯れ木が生い茂る最奥の森の中を一人の男が歩いていた。この男は東京で幼女を誘拐して凌辱した後、バラバラに切断して親元に送るという凶悪な事件を起こし、現在警察から指名手配されている男だった。なんとかここまで逃げおおせてきたが、ガソリンも金もつきて逃げこむように山に入っていったのだった。

 空気は凍えるようで、男は両手で全身をさすりながら歩いていた。男の実家はこの山の向こうにあった。おそらく実家にも捜査の手が伸びているだろうが、もはや男にはそこ以外に行くところがなかった。
 男は重い足を引きづりながら山を登っていた。夕日が落ちると一気に暗くなった。一切の明かりがない山奥の暗闇というものがどんなものか想像できるだろうか。それは見えないということをはるかに超えている。自分が立っているのか、逆さでいるのか、それさえも分からなくなる。肉体というものすら認識できず、意識だけの存在となる。男は意識だけを頼りに山の中を歩いていた。

 

闇夜の森

 

 不意に妙な光が見えた。ぼんやりと緑色に光っていた。だが男にとってそれはまるでオアシスのように見えた。男はすがるようにそこに向かった。そこはなにやらを祀っている祠かなにかで、その後ろに小さな池があった。池の表面にはそんな時期でもないのに氷が張っており、氷の下は緑色にぼんやり光っていた。
 喉の渇きに耐えかねていた男は、拳を振り上げると池に張った氷の表面に叩きつけた。だがその氷はかなり厚いようで割ることができなかった。男は脇にあった石を手にして再び氷に叩きつけた。すると一筋のひびが入った。それを見た男は鬼のような形相で何度も何度も手に持った石を叩きつけた。その都度、ミシッミシッという音とともに亀裂が網の目のように伸びていき、しまいにはバリバリと音をたてて氷は崩れ落ちてしまった。
 男は氷の破片が浮かぶ水面に手を突っ込んで、緑色に怪しく光る水をすくって飲み始めた。妙な味がしたが構わずガブガブと飲んだ。すると次第に不安や恐れが薄らいでいき、妙に浮かれたような陽気な気分になってきた。どこからか声が聞こえてきた。

「――お前は、人を殺したようだな」

 男は突然の声にあたりを見回したが、周囲は真っ暗で誰の気配もない。

「しかも、人を殺すのを楽しんでいると見える。おいお前、そんなことを続けては、いつか地獄の獄卒どもに体中を切り刻まれ、鳥や獣どもに目玉や腸を吸われることになるぞ」

 再び声が聞こえたが、既に男は人がいようがいまいがどうでもよくなっていた。

「ふん、そんな子どもだましを誰が信じるかよ。俺はこのまま逃げ切ってやる。そしてまたやってやる――ありゃなあ、一度やったらもうやめられねえ。たまらねんだよ、抵抗できねえガキを思う存分いたぶるってのは」男はへらへらと笑った。

「――そうか。だがお前の命運は尽きているようだぞ。このあたり一帯を多くのものが取り囲んでいるようだ」

「それじゃわざわざ捕まりにいくのはやめて、この近くに住むやつらを皆殺しにでもするか。歩くのも飽き飽きしてきたところだし、どうせ捕まるなら、一人でも多く殺してからにしてもらいてえからな」男はせせら笑うように言った。

「ならばお前に一つ頼みごとがある。それを聞いてくれれば、お前を助けてやってもよい」

「ほお、どんな頼みごとだ」

「大したことではない。このさきの青龍寺という寺にいる坊主を殺して欲しいのだ」

「坊主を一人殺す、それだけか?」

「それだけだ」

 男はあざ笑った。
「そんなことはわけないが、そのかわり、いったいお前は俺をどう助けてくれるというんだ」

「お前に、俺の力を与えてやろう」

「そりゃ、どんな力だ」

「鬼神力という、恐るべき力だ。その力があればお前は鬼の如き力を手にすることができる」

「鬼の力だと……」

「――恐ろしいか」

男はにやりと笑った。
「俺は今でも、鬼みてえなもんだろうが――まあ、いい。くれるというなら、もらってやる。どうせなら本当の鬼になって、もっと愉快に人を痛めつけてやる」

「ならば取引は成立だ。青龍寺にいる坊主を殺せ! その後はお前の好きなように生きればいい」

「分かったよ、坊主を殺せばいいんだろう。やってやるから、さっさと力を与えろ」

「お前の名を言え」

「名だと」

「お前の名前だ。それを我に教えろ」

「俺か、俺は、きじま、鬼島精二だ」

「では鬼島精二よ、その池の水をたっぷりと飲んだ後に自分の名を唱えて、望んでいることを腹の底から叫べ。そうすれば我の鬼の力がお前に宿る」

 鬼島はとうに狂っていた。欲望だけが渦巻いていた。鬼島は池の中に顔をつっこむと、緑色の水をごくごくと飲み始めた。そして顔を上げるや目を爛々と光らせ大声で叫んだ。

「俺はな、小さなガキを十人以上嬲って殺した連続殺人鬼の鬼島精二だ! だがまだ足りない、まだ犯したりない、まだ殺したりない! もっともっと嬲ってバラバラにして殺し続けたい! この先もずっと、未来永劫、ずっと殺し続けたいのだ! そのためには力が必要だ、もっと強大な力がな、その力を俺によこせ!」

 その叫び声が真っ暗な森の中に響き渡った。その瞬間、鬼島は強烈な吐き気に襲われた。しゃがみこんで何度も激しくむせた。さきほど飲んだ水が腹の底から込み上げてきて、口から溢れ出て喉を濡らした。いやそれは水ではなかった。それはどろどろと粘性をもった緑色の液体だった。その液体はまるで意志あるかのように、再び鬼島の口の中に戻っていった。

 さきほどまで肩を震わせて苦しんでいた鬼島は何事もなかったかのようにすくと立ち上がった。その目は緑色に光り、凄惨な笑みを浮かべていた。鬼島は周りを見た。漆黒の闇の中であるはずなのにはっきりとものが見えた。そして鬼島は狂人のように哄笑をあげて駆けだしていった。その声は森の中に禍々しく響き渡り、鳥や獣たちは総毛だつような恐怖を覚え、まんじりともせず身を震わせていた。

 

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