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第十三話 小さな種

「ほら、三蔵の好きな鰹だよ。今日、魚屋さんに行ったら、すごくいきのいいのがあったから、奮発して買ってきちゃった」楓はそう言うと、脂が乗った鰹の刺身がたっぷり盛られた大皿を三蔵の前に置いた。

「おい、親父さんの分も残しておかなくていいのか」三蔵は苦笑した。

「大丈夫、もう家の分は準備してきたから――実は父さんも三蔵と同じで鰹が大好物なんだよね」

「そりゃ話が合いそうだな。大吾さんとは一度、ゆっくり酒でも飲みたいと思っていたんだ」

「ほんと! じゃ、後で話しておくから」楓は嬉しそうに笑った。

 最近、楓は学校が終わると青龍寺に行って三蔵の夕食の準備をするようになっていた。 そもそも三蔵が食事の準備などするわけもなく、いつも近所からもらった漬物を肴に酒ばかり飲んでいる姿を見ては、檀家総代の大吾としてもほっておくわけにもいかず、楓に三蔵の食事の世話をするよう頼んでいたのであった。

「――ねえ、三蔵はさ、なんで密教僧になったの」ご飯をよそいながら楓が聞いた。

「どうした?」三蔵が軽い笑みを浮かべて楓の方を見た。

「私も、そろそろ進路きめないといけないんだよね。でも最近、自分が何したいのか分からなくなっちゃって」そう言うと、楓はご飯茶碗を三蔵に手渡した。

 三蔵は少し考える風にしていていたが、「今日の晩飯、俺に付き合わないか」と楓に声を掛けた。

「えっ……別にいいけど……」楓は、少しドギマギしながらつぶやいた。

 

 三蔵は鰹に舌鼓を打ちつつ、時折、酒を手に取って、庭を眺めながら酒を飲んでいた。楓も軽く箸をつけながら三蔵とともに庭を見ていた。紅葉の見頃も過ぎたと見えて、木々は、だいぶ色褪せてはいたが、まだ銀杏が秋を惜しむかのように色づいていた。

「――俺は捨て子だったそうだ」

 三蔵が庭を見ながら小さくつぶやいた。そして一度、酒を口に含んで、ぽつりぽつりとしゃべり始めた。

 

捨てられた赤子

 

「――俺は、ちょうど今ぐらい、秋も終わりの頃にお山の僧房の前に捨てられていたそうな。朝のお勤めのために外に出たある僧がたまたま俺を見つけてくれてな、結局、俺はその僧に育てられることになった。その僧は徳が高く、密の術にも秀でていて、俺はその僧から、あらゆることを学んだ――その僧は言ってみれば、俺の父であり、母であり、そして師であった――ところが俺が九歳の時に、その僧が病気になってな、あっけなくあの世に旅立ってしまった。俺は二度も親を失う羽目になったんだ」そう言うと、三蔵は寂しく笑った。

「――だがその僧は死に際に俺の手を取ってこう言った。『三蔵や、お前は悲しい宿世を背負って、この世に生を受けた。自分の運命を呪ったこともあったろう、なんのために生まれてきたのかと思い悩むこともあったことだろう――だがな三蔵。私はお前のおかげで自分の人生を喜びを持って終えることができるのだ。お前とともに過ごした日々はなんとかけがえのない日であったことか。お前は私に喜びを与えてくれた。三蔵よ、お前がこの世に生まれてきたことには大きな意味があるのだ。寂しいと思った夜は、この世でもがき苦しんでいる哀れなものたちのことを思え、そのものたちが胸に抱えてる悲痛な叫びに耳を傾けてやれ、そうすればお前はそのものたちとともに生きることができる、そのものたちを救うことができる。それこそがお前の生きる意味であり、道でもあるのだ』と――」

 そう語る三蔵の声には寂しさと慈しみの想いを滲ませたなんとも言えない響きがあった。

「俺がここに来たのはこの地に眠る悲しきものたちを救いたいと思ったからだ。それこそが亡き父との約束であり、俺の生きるべき道でもあるんだ」そう言うと、三蔵は楓に向かって優しく微笑んだ。

「――楓、お前はすでに立派な大人だ。母親を失った寂しさを心に隠しながら、笑顔で友達や周りの人を幸せにしている。一人で父の世話や家の務めを立派に果たしている。それは、誰にでもできることじゃない、それは立派で尊いことなんだ。楓、自分に自信を持て、自分を信じろ、そうすれば道は自ずと見つかる」

 楓は胸が切なくて切なくて、涙が溢れ出そうになった。

「……どうして、三蔵は、そんなに人に優しくなれるの、どうしたら三蔵のように、人のことを考えてあげられる人間になれるの」

 三蔵がにこっと笑った。

「それは、俺が楓に言いたいことだ。どうしてお前は俺なんかのために、危険を承知であの場に付き合ってくれたんだ――お前は俺と一緒に戦ってくれた、俺の傷を癒してくれた、哀れなものたちのためにともに祈ってくれた。お前は自分が思っている以上に、人に優しく、人を癒すことができる人なんだよ」

 三蔵の笑顔を見た瞬間、楓は自分の中にあった探し物をようやく見つけた気がした。今まで探しても探しても見つからなかったもの。自分の中にある小さな種。そうだ、それはずっとここにあったんだ。お父さんとお母さんがちゃんと私の心に植えていてくれていたんだ。楓は両手でそっと自分の胸をおさえた。

 

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