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第十四話 鬼神力

 スサノオは古びた神社の前に立って、まるで社の内部を見透かすかのように厳しい目でじっと見つめていた。その神社はもはや人から捨てられたと見えて、草は伸び放題、柱は腐食して斜めに傾き、壁にはところどころ穴があいていた。

「――どんどん、力が弱まっている」スサノオは小さくつぶやいた。

 この神社は、かつてこの国を支配した国津神が祀られているところであった。青龍寺の先代の住職である円仁和尚は、これらこの地に眠る大いなる力を鎮めるために建てられたいくつかの封地の守り手であり、その任は千年以上の長きに渡り、世代を超えて綿々と受け継がれてきたのだった。
 古代の神を祀るこれらの場は昔であれば参る人が絶えることなく、そうした人々の尊崇と畏れの念がこの地に眠る神を鎮める役目を果たしてきた。だが祈りの念が小さくなれば鎮めの効果はなくなってしまう。だからこそ円仁和尚は礎石を置き、鎮めの効果を補わんとしたのだった。だが礎石を置いてから既に十年、今やこの地は人々から忘れ去られ、円仁和尚が為した封じの力も日ごと弱まり、今や風前の灯となっていた。

 さきほどの神社を立ち去ったスサノオは次の封地を目指すべく森の中を歩いていたが、さきほどから妙な胸騒ぎを感じていた。いつもであれば獣や鳥たちの息遣いが至る所に感じられるのに、その日はまるで死に絶えた地をいくがごとく、生の息吹をまったく感じることができなかった。
 スサノオの心をさらに不安にさせたのが、この先にある祠がどういうものかよく知っていたからであった。その祠は千年以上も前にこの地を守るために朝廷軍と戦い、寡兵ながら互角の戦をして、朝廷軍の将軍を驚嘆させた男が眠る場所であった。この男は将軍のとりなしもあり、降伏することを決めると将軍の友として京に出頭し、この地の平安を求めた。しかし朝廷の公卿たちはこの男を禽獣の類であり信用できぬと、無残にも男の首を刎ねたのだった。その男は死に際に叫んだ。

「我らの思いは決して死なん、いつか貴様らの作った都をことごとく滅ぼし、我らが安らげる国を必ず作ってやる」と、その男の名は悪路王といい、スサノオは悪路王を祀った祠に向かっていた。

 薄暗い森の中をスサノオが周囲を警戒しながら道を歩いていると、突如、上の方から、声がした。

「――おい、お前がスサノオか」

 スサノオは、はっとして声がする方を見上げた。すると、男が一人木の枝に腰かけていた。だが男の顔は影となり、はっきりと見ることができない。

「――誰だ」男から片時も目を離すことなくスサノオが言った。

「俺の名を言ったところで、お前には誰ともわかるまい。それよりもこういった方がいいかもしれん。俺は悪路王から力を与えてもらった男だと」

「――なんだと」

「そうびっくりするな。悪路王とお前は昵懇の仲らしいな――まあ最近では、なぜだか敵の犬になって、飼われているとも聞いたがな」そう言うと男は鼻で笑った。

 スサノオは鋭い目でじっと男を睨んだ。
「貴様の目的はなんだ」

「決まっておろうが、悪路王とお前が誓い合ったという目的を邪魔する男を片付けるのだ」

 男はそう言うと狂気じみた声で笑った。そしてひとしきり笑い終えると、緑色に光る眼をスサノオに向けて重々しく言った。
「悪路王のこともあるから、お前には忠告しておいてやる。次の新月の夜には青龍寺を離れていろ」そう言ったかと思うと、男は枝の上に立ち上がった。そして、にやりと笑うと一言付け加えた。「――悪路王との誓い、決して違えるなよ。もし俺の邪魔をしたら貴様だとて容赦はせんからな――」その言葉とともに、男はいつの間にか姿を消していた。

 森に生気が戻っていた。鳥が鳴き、ごそごそと獣や虫たちの動く音が聞こえた。だがスサノオの心は重く沈んだままであった。悪路王との誓いが心に重くのしかかっていた。

 

 下弦の月を眺めながら三蔵が酒を飲んでいた。楓は無事に家に戻したが三蔵の心はどうにも落ち着かなかった。いつもであれば日の入りまでには帰ってくるはずのスサノオが、こんな夜半になっても戻ってこないのだった。しかもついさきほどから、妙に冷たい空気が吹き始めていた。

 突然、ごおおおっという音とともに突風が広間を吹き抜けた。酒の入ったとっくりが倒れ、茶碗とともにごろごろと床を転がっていった。三蔵は身動き一つせず庭を見据えていたが、月に雲がかかったのか、急にあたりが暗くなった。真っ暗な影が庭全体を覆う中、ざああっ、ざああっと風が吹きすさび、草木が横殴りに揺れた。
 ざさっ、ざさっという草を踏み倒す音が聞こえてきた。三蔵がそちらに目を向けると不意に一人の男が庭先に現れた。三蔵はその男の姿を見極めようとしたが、男の顔は影となって、どうにも見定めることができなかった。

 

不気味な男

 

「何者だ」三蔵が誰何した。

「俺の名か――まあ、どうせ近々耳に入るだろうから教えてやる。俺は鬼島というものだ――ついこの間、小学校六年になる結衣という可愛いらしい女の子を散々いたぶったあげくバラバラにして親元に送ってやったんだが、ちとへまをやらかしてな――結局、警察に追われる身となった可哀そうな男だ」そういうと、鬼島は大声で笑い始めた。

「――っふふ、いや、すまんすまん。殺人鬼にこんなに堂々と名乗られたんじゃ、聞かされた方も困ってしまうよなあ」鬼島はくくっと笑いをこらえながら言った。

「お前……ただ人ではないな……」三蔵の眼が鋭く光った。

「もともとただの人でもないとは思うが……まあ、確かに今は人ではなくなった。尋常ではない力を手に入れて、人が及びもしない存在となった」

 そう語る、鬼島の顔は相変わらず暗闇に隠れていたが、緑色に光る異様な目だけは三蔵にもはっきりと見て取れた。

「鬼神力を身にまとっているな」

「おお、確かにそんな名前だったな。まあ、名などどうでもいい――見ろ、分かるか」
鬼島は一歩前に出ると両手を伸ばした。

「俺の体に中に滾々と力が湧いているのが見えるか。この世に対する怒りやら、憎しみやらが、俺の体の中で恐ろしいほどに渦巻いて、俺に力を与えているのだ――今の俺なら、人の頭をもぎ取り、心臓をつかみ抜くことさえできそうだぜ」

 三蔵は男の話を聞くふりをしながら、ゆっくりと印を結んだ。そして、悪鬼を調伏する不動明王の真言を低い声で唱え始めた。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん

 三蔵の唱える真言が耳に入ったと見えて、鬼島はふふと笑い、三蔵同じように印を結んで、別な真言を唱え始めた。

 おん あらきゃしゃ さぢはたや そわか

 二人の唱える真言が空気を伝わる波となって、激しくぶつかった。岩礁で波同士がぶつかり、白い渦となって消えていくがごとくに、二人の間の空間のはざまに妙な歪みが生じ始めた。その歪みは白みを増して、まさに渦のごとくぐるぐると渦巻き、見通すことができぬほどになってきた。空間がこすれる音がして、白い渦の中で火柱が走った。そしてついには、閃光とともに、巨大な雷鳴が辺りに響き渡った。

 あたりが静まり、白い渦が消え去ると、三蔵と鬼島は印を解き、互いを見つめ合っていた。

「……なにが望みだ」三蔵は低い声で言った。

「何が望みだと? 決まっておろう、貴様の命だ。貴様がここにいるのは迷惑なんだとよ」鬼島はふふと笑った。

「だが、安心しろ今日ではない。今日はただの遊びだ。挨拶を兼ねて偵察に来ただけだ。お前もいきなり殺されたのでは浮かばれんだろうからな。この続きは次の新月の夜までお預けだ。その間によおく、この世の名残を惜しんでおくことだな」

 男はそう言うと、笑い声を響かせながら森の中に消えていった。突如、森の中から大きな声が響いた。

「――ふははははは、どんな手強い奴かと思ったら、この程度だったかよ、ははははは――」

 その声は、禍々しい響きを放ち、暗闇に覆われた森を震わせていた。

 

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