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『老人と海』

 魚にはもう話しかけられなかった。見るも無残な姿になってしまったからだ。すると、ある思いが頭に湧いた。
「なあ、半身の魚よ」老人は呼びかけた。「変わり果てた魚よ。とんでもない沖合に出てしまってすまなかったな。おかげで、おれもおまえもさんざんな目にあった。でも、おれたち、けっこうな数のサメを殺しただろうが。他にもたくさん痛めつけてやったし。おまえはこれまでに、どれだけ殺した? その槍のような嘴、だてに備えてるわけじゃあるまい?」
 この魚、自由に泳ぎまわっていれば、サメにどういう落とし前をつけられるか。それを考えると楽しかった。そうだ、あの嘴を元から切って、やつらと闘えばよかった。だが、斧がなかったし、ナイフもなくなってしまった。
 本当に切り離して、その嘴をオールにくくりつけることができたら、どれだけ頼もしい武器になったことか。それでこそおれたち、力を合わせて闘えたかもしれん。やつらがまた夜中に襲っていたら、どうする? どうすればいい?
「闘う」老人は言った。「死ぬまで闘ってやる」

引用:『老人と海』(著:ヘミングウェイ 訳:高見浩)

 

 『老人と海』。
 世界文学に君臨する屈指の名作でありながら、非常に読みやすく、かつ短いため、読書感想文の対象読本としても選ばれることが多いから、皆さんも学生の頃は一度は読んだことがあるんじゃないかと思う。

 かくいう僕も学生時代に読んだことがあった。
 運に見放された老いた漁師が、ようやく大物のカジキに巡り合い、幾日にもわたる死闘の末、ようやく仕留めたはいいが、沖に出すぎてしまった結果、死臭を嗅ぎつけたサメに襲われ、船にくくりつけたカジキのほとんどを食われてしまうという物語で、広大な海の上でたった一人で巨大なカジキと戦う老人の姿に興奮した覚えがある。
 だが、その時の僕はこの物語に対して、その程度の印象しか持たず、それ以来、思い出すこともなかった。

 つい先日、徒然に本屋に立ち寄り、本を物色していたら、おすすめコーナーにこの本が置いてあった。まさに夏の読書感想文用として置いていたのかもしれない。
 僕はあまり考えることなく何冊か選んだが、その中にこの本が入っていた。

 

「漁師は老いていた。」
 読み始めて、この物語がこの言葉から始まっていたことすら忘れていた。
 だが、この物語を読むうちに、この漁師が語る海という存在への想い、魚や鳥たちに語り掛ける言葉、己に人生に対する強い信念に、僕の心は深く引き込まれていった。
 そして、物語も終わりに近づくころ、上に書いた一文を読んで魂を強く揺さぶられた。

 闘う、死ぬまで闘う

 この言葉が老いた主人公の口から語れることに心の底から感動した。

 

 名作と呼ばれるものは数多くある、だが、ある種の作品においては、その本当の価値を理解するためには、読者も幾ばくかの人生体験が求められるのかもしれない。

 僕は『老人と海』という物語は、これから世に出ていこうという若者ではなく、すでに社会の中で戦っている壮年のもの、そしてこれまで辛く長い人生を歯を食いしばって戦い抜いてきたものたちこそが読むべき物語だと思う。そうした経験を経て初めて、この物語の本当の素晴らしさを実感できると思う。

 老いは、あらゆる人間に迫りくる。人は老いからは決して逃れることはできない。
 僕もいつか年老いて死を迎えるのだろう。だが僕は、この漁師のように死ぬまで闘い続けたい。その気概を最期のときまで持ち続けていたい。

 それはまさにヘミングウェイの信念でもあろうし、強い想いでもあったのだろう。そして、それ想いこそが、この物語で最も語りたかったテーマなのだろう。


 最後にヘミングウェイが語った名言で終わりにしたい。

 この世は素晴らしい。戦う価値がある

 

ヘミングウェイ

 

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