アマチュア作家の面白い小説ブログ

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第十六話 凌辱

 楓の目の前には、さきほどまで笑いあっていた大吾が眠ったように地面に横たわっていた。心臓のあたりから血がどくどくと噴き出て周囲に広がっていた。
 楓は自分が何を見ているのか理解できなかった。ただ父のそばにいきたい、それだけが頭にあり、ふらふらと大吾の側に近寄ると倒れこむようにしゃがみこんだ。震える手で大吾の頬を摩った、瞼を摩った、唇を摩った。しかし大吾は微笑んでくれなかった、楓と呼んではくれなかった。大吾の身体から急速に血液が失われ、大吾の命は失われかけていた。

 何も考えられなかった。ついさっきまであんなに幸せだったのに、これからは私がお父さんを守るからと母に誓ったばかりなのに——いろいろな思い出が走馬灯のように頭を駆け巡った。大きい背中でおんぶをしてくれたお父さん、手をつないで毎日のように散歩に連れて行ってくれたお父さん、お母さんを亡くした夜、一人仏壇の前で泣いていたお父さん、中学校の卒業式で目を真っ赤にしていたお父さん、お酌をするとなんとも幸せそうな顔でお酒を飲んでいたお父さん、どんなことがあっても私の味方だよと言ってくれたお父さん、そのお父さんがいなくなる、私の前からいなくなってしまう……

 銃を持った警官がふらふらと近寄ってきた。楓はうつろな目で警官を見た。警官は真っ青な顔で楓をみつめていた。そしてその脇に倒れている、さきほど自分が銃で撃ってしまった大吾を見た。警官は自分が何をしてしまったのか悟ったようだった。警官は茫然とした顔つきでゆっくりと自分のこめかみに銃を押し当てた。そして瞳を閉じると銃の引き金を引いた。楓の目の前でまるでスローモーションを見るように警官が倒れた。楓は次々に起こる信じられない光景に泣けばいいのか、叫べばいいのか、何をしたらよいのかさえ分からなかった。 

 

警官

 

「なんだおい、自分で死んでしまったぞ——なんだよ、素面に戻りやがったのかよ、ったく、面白くねえな。もう少し操ってみたかったのによお」

 突然、暗闇から声がした。

「まあ、いきなり警官が何の罪もない善良な市民を撃ち殺したんだからなあ——そりゃ、死んで詫びるしかないかあ——それにしてもがたいの割に、案外たまの小さな奴だったな」

 楓が呆然とした表情で声がする方を振り向くと、男が一人、薄笑いを浮かべながら暗闇の中から現れた。その男の眼は緑色で不気味に光っていた。その瞬間、楓の中で危険信号が灯った。楓はこの男が鬼島だと直感した。楓は身の危険を感じ、慌てて逃げ出そうとしたが一歩早く、鬼島が楓の腕を掴んだ。

「おいおい、どこにいくんだよ。お前にはまだたっぷり用事が残ってるんだから、逃げ出されちゃ困るんだよ」

 そう言うと男は手に持った手拭いで楓の口を封じると、もう一本の手拭いで楓の両手首をぐるぐると巻いて、そのまま地面に押し倒した。

「なかなか、良い女じゃねえか」

 鬼島は、地面に倒れた楓のそばにしゃがみ込むと、楓の顎を持ち上げて舌なめずりをした。

「今から、親父の前でたっぷりと可愛がってやるからな。俺の親切に感謝しろよ」

 そういうや否や、男は楓の上に馬乗りになった。楓は必死になって逃げようとしたが、鬼島は片膝を無理やり、楓の股間に押し込み、楓の上にのしかかると、首筋にベロを這わせた。楓は縛られた両手で鬼島の顔を突き放そうとしたが、鬼島は片手で楓の両手を抑えると、もう片方の手で楓の服をたくり上げた。白いブラジャーがむき出しになったが、鬼島は力づくで剥ぎ取った。楓は必死になって抗い、助けを求めた。だがその声は声にならず、鬼島はいやらしい笑みを浮かべて、自分のベルトを外し始めた。

 鬼島の動きが不意に止まった。鬼島は怪訝な顔をして後ろを振り向いた。するとそこには、銃で撃たれて倒れていたはずの大吾が凄まじい形相で鬼島の足首を掴んでいた。

「……俺の娘から離れろ……俺の大事な娘に指一本触れるな……」そう言ったかと思うと、大吾は鬼島の足首に噛みついた。鬼島はそれを見ると薄ら笑いを浮かべた。

「おい、見ろよ! 死にぞこないが生き返ったぞ! 娘が犯される姿をどうしても見たいだとよ!」

 そう叫ぶと、もう片方の足で大吾の顔を蹴りつけた。何度も何度も蹴りつけた。蹴りつけられるごとに大吾の鼻は折れ曲がり、眼はつぶれ、顔は泥で真っ黒になった。だが大吾は足首に噛みついた口を決して放そうとはしなかった。歯が何本か折れ、口の中も血まみれになったが、絶対に放そうとはしなかった。

「なんだ、このくそ野郎! 放せよ! こら、放せって言ってんだよ!」

 鬼島は足を大きく振り上げると、これが最後とばかりに大吾の顔を思いっきり蹴りつけた。とうとう大吾の頭が鬼島に嚙みついた足首から離れた。しかし大吾は鬼島の足首をアキレス腱ごと完全に噛みちぎっていた。

 楓は大吾を見て叫んだ、お父さん! 声にはならぬ声で思いっきり叫んだ。大吾が、うっすらと目を開けた。

「……楓、今のうちだ、早く、逃げるんだ……」そう言って、大吾の目はゆっくりと閉じた。

 楓は動きが鈍った鬼島を振り払うと、すかさず立ち上がり、青龍寺に向かって駆け出した。 涙をこぼしながら、必死になって走った。楓の目の前を大吾が軽快に走っていた。大吾は楓を振り返ると優し気な顔で、ほらこっちだよと言わんばかりに微笑んでいた。

 お父さん……私、お父さんのこと、大好きだったんだよ……私、まだお父さんに親孝行してないでしょう……だから、待って……お父さん、行かないで、私を残していかないで……

 大吾は楓の声が届いているかのように、うれしそうに笑っていた。そして真っ暗な道の中を楓を導くように軽やかに走っていった。

 楓は走った。涙をぼろぼろこぼしながら必死に走った。楓は走りながら、口を塞いでいた手拭いをなんとか外すと首にかけていた犬笛を吹いた。犬笛の高い音色が森の中に響きわたった。そして大声で叫んだ。

 

闇夜の森の中を走る女

 

「三蔵、助けて! スサノオ、三蔵、三蔵!」

 しかし、その叫び声は後ろから響く不吉な声に遮られた。

 ふはははははは、ほら、逃げろよ、もっと早く走らないと追いついちまうぞお、お前が見える、お前の身体が見えるぞお、ふはははははははは。

 楓は大声で叫びながら死に物狂いでひたすら駆けた。三蔵、三蔵と必死に叫んだ。すると、暗闇のかなたから声が聞こえた。楓と叫ぶ声が聞こえてきた。前方の暗闇の中を誰かが走ってくるのが見えた。その男は、体中からほんのりと光を発しているかのように闇の中で輝いていた。それは三蔵だった。

 法衣をたなびかせ、物凄い勢いで駆けてきた三蔵は、息も絶え絶えになった楓をしっかりと抱き止めた。楓の体はぶるぶると震えていた。涙をぼろぼろと流していた。

「お父さんが、お父さんが……」しゃくり上げるようにそう言って、そのまま三蔵の胸に頭を押しつけて泣いた。楓の服は泥にまみれ、両手は手拭いで縛られていた。引きちぎられたブラジャーが服の下からかいま見えていた。三蔵は全てを察した。三蔵の心の中で何かが爆発した。張り裂けんばかりに眦を見開き、顔は紅に染まった。体は怒りに震え、楓が駆けてきた暗闇を憤怒の表情で睨みつけた。そして、その暗闇の中から鬼島が姿を現した。鬼島は抱き合っている三蔵と楓を見るとふんと鼻で笑った。

「ほう、ようやく登場か。だいぶ遅かったな。間抜けなお前のせいで、そいつの親父はみじめに死んでいったぞ――それに、もう少し早く来れば、その女と俺の濡れ場も見せてやれたのになあ——お前という男は、本当に糞の役にもたたぬ男だなあ」

「……貴様は、超えてはならぬ一線を越えた。もはや貴様に救いはない。未来永劫、苦しむ以外に道は無いと知れ」三蔵の怒りに満ちた声が響いた。

「おいおい、お前は菩薩行をするためにここに来たんだろお、そんなこと言わずに俺も救ってくれよお」鬼島は茶化すように嘲笑った。

「もはや、お前と話すことは何もない」そういうと、三蔵は高らかに真言を唱え始めた。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん

 三蔵が不動明王の真言を唱えれば唱えるほど、三蔵の体から強い光が放たれ、怒り狂う炎となって吹き出していった。そして次第にその炎は三蔵の背後に何やらの形をつくり始めた。それは剣と羂索を持ち、まさに憤怒の表情に充ちた不動明王のお姿であった。

 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ そはたやぁうんたらたあ かんまん
 のうまぁくさんまんだぁ ばあざらだんせんだん まあかろしゃあだぁ……

 銃声がとどろいた。三蔵は自分の胸に手を当てた。その手は鮮血に染まっていた。炎のように噴き出していた光があっという間に消えて、三蔵の背後に現れ出でようとしていた不動明王は霞のように消え失せた。三蔵は地面に崩れ落ちた。

 それはまるで映画のワンシーンを見ているようだった。銃声とともに、目の前の三蔵が崩れ落ちるように倒れた。その向こうには、銃を手にした鬼島が不敵な笑みを浮かべて立っていた。楓は何が起こったのか理解できなかった、いや理解したくなかった。だがそれは現実だった。楓の目の前で三蔵が銃で撃たれて倒れていた。大吾と同じように三蔵の体から血が海のように広がっていた。

 

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