アマチュア作家の面白い小説ブログ

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第十七話 悪鬼羅刹

「ばかが! 誰が修法比べなどに付き合うなんて言ったよ」鬼島はうすら笑いを浮かべて、三蔵に近づいた。そして血を流して倒れている三蔵を容赦なく蹴りつけ始めた。

「なにが、救いはないだ! なにが、未来永劫、苦しむだ!」

「えらそうに説教たれた癖に、たった一発であの世行きかよ!」

「そんな糞坊主の言うことなど誰が信じるかよ!」

「なにが、弔いだ、なにが、菩薩行だ!」

「貴様のたわ言を聞いているだけで、へどが出るんだよ」

「おい、なんか言ってみろよ! ほら、こっから奇跡でも見せてみろっ!」

「弾一発食らっただけで惨めなもんだな! そんな野郎に一体何ができるっつんだよ!」

「聞いてんのか、この、糞野郎が!!」

「いいか、俺は、この力でもっと楽しんでやる!」

「貴様のような糞野郎は一人残らずぶっ殺し、いい女は豚のように飼って、思いっきりいたぶってやる」

「地獄なんて糞くらえだ、俺はこの世で鬼になってやる、鬼となって、未来永劫、この世のカスどもを痛めつけてやる」

「どうだ、俺が憎いか! 俺を殺したいか! おいっ、聞いてんのかよ!」

「お前は口先だけの糞坊主だ、俺はお前なんかとは違う! この手で変えてやる、全てを変えてやる!」

「俺の勝ちだ、俺は勝った!」

 鬼島は最後にそう吐き捨てると、靴の踵で三蔵の頭を思いっきり踏みつけた。

 

 楓はぼんやりと見つめていた。三蔵が撃たれて地面に倒れた瞬間から、全ての感覚が消え失せていた。鬼島がはあはあと荒い息をしながら、どうだとばかりに三蔵を見下ろしているのも、まるで他人事のように感じていた。その時だった、楓の眼に三蔵の手がかすかに動くのが見えた。その瞬間、楓の細胞が一瞬に覚醒した。楓は無意識に駆け出していた。楓は三蔵をねめつけるように立っていた鬼島に体当たりした。そしてそのまま三蔵に覆いかぶさった。

「三蔵、三蔵!」

 楓は三蔵の耳元で囁いた。三蔵の手が小さく動いた。楓はその手をしっかりと握った。

「いてえなあ、この糞あま!」

 楓の体当たりをくらって尻もちをついた鬼島が憎悪に目を光らせて立ち上がった。そして、大吾に噛みちぎられた足を引きずりながら近づいてきた。

「いてえんだよ!」

 鬼島はそう叫ぶと、三蔵を庇うように覆いかぶさった楓の腹を蹴り上げた。

「このあま! お前の親父のせいで、足が、いてえんだよ!」

「てめえらのせいで、足が、いてえんだよ!」

 激痛が全身を襲った。内臓が押しつぶされ、肋骨が折れる音が聞こえた。だが楓は自分を守ろうとはしなかった。三蔵の身体に覆いかぶさり、ただひたすら三蔵の体だけを庇っていた。不思議なことに痛みはいつの間にか消えていた。悲しみも憎しみも消えていた。楓の心にはうれしさだけが充満していた。ようやく三蔵のために自分ができることを見つけた。ようやく三蔵の役に立つことができた。三蔵が身を犠牲にして背負わんとしている人間の悪業の報いを自分も少しだけ背負うことができたと思った。楓は微笑みを浮かべて静かに言った。

……三蔵……一緒に行こう、父さんも待ってるよ」

 蹴りつかれた鬼島が、泥にまみれた二人を呆れたように見つめていた。

「……二人で仲良く死ぬってか……まあ、それもいいだろ」

 鬼島は地面に転がっていた拳銃を拾い上げると、ぶつぶつとつぶやき始めた。

「……人間の悪業なんてな、切りがねえんだよ」

「……お前が背負ったところで、また俺のような男が現れてなあ、同じように悪業を重ねるだけなんだよ」

「……お前の言ってるのは綺麗ごとだ……しょせん、この世も地獄なんだよ」

「……好き勝手やって何が悪い、もっとひでえ奴が、善人ぶって暮らしてんじゃねえかよ」

「……もう、お前らにはうんざりだ」

 吐き捨てるように言うと鬼島は拳銃を構えて二人に狙いを定めた。そしてこの夜、三度目の銃声が森の中に響き渡った。

 

 鬼島はそのまま銃を構えたまま、前を睨みつけていた。

「――何か飛び込んできたと思ったら、貴様だったか」

 鬼島の前にスサノオが立ちはだかっていた。スサノオは鬼島を睨みつけ、今にも飛び掛からんばかりに身構えていたが、その胸からは赤い血が滴っていた。鬼島が薄笑いを浮かべた。

「おい、俺は前に忠告したよなあ。俺の邪魔をしたら容赦はせんと——まあいい、お前もそこにいるカスどもと一緒にまとめて地獄に送ってやる」

 そういうと鬼島はスサノオに狙いを定め、トリガーを引いた。だが、銃声は鳴らなかった。目の前にいたはずのスサノオはいつの間にか消えていた。いや消えているのはスサノオだけではなかった。銃を構えていたはずの右腕が跡形もなく無くなっていた。後ろで物音がした。鬼島が振り向くとスサノオが鬼島の右腕を咥えてこちらを睨んでいた。

「うおおおおおおお!」

「いてええええよおおおお!」

「おれの手が、おれの手がああああ!」

 鬼島は左手で右肩を抑えるようにして、しゃがみこんだ。それを見ると、スサノオは咥えていた右腕を吐き出した。鬼島はうつむいて、ぶつぶつとつぶやいた。

「……悪路王、力が弱まってるぞ。もっと、俺に力をよこせよ――さもないと、てめえの頼みをきいてやらねえぞ」

「……どうした悪路王、おめえの望みだろうが……ぶち殺してえんだろ、あいつをよ……俺がこの世の人間一人残らずぶち殺してやるからよ……俺に力をよこせ……よこすんだよ!」

 スサノオは、しばらくその様子を見つめていたが、ゆっくりとしゃべり始めた。

「悪路王、いや、蝦夷の王、阿弖流為あてるいよ! 思い出せ、俺たちが誓ったのは、こんなことではなかったはずだ。俺たちが誓ったのはこの地を思い、この地を守るために死んでいったものたちが安らかに眠れる、そして俺たちの子や孫たちが、平穏に暮らせる世を作るためではなかったか――俺だとて、大和の神々に対する恨みを一時たりとも忘れたわけではない。だが恨みや怒りだけでは何も生み出さぬ。希望を持たねば、我らこそがおぞましき化物となり果てるだけだぞ。阿弖流為よ思い出せ! お前と共にこの地で暮らしたあの日のことを、お前と共に戦ったあの日のことを、俺たちを結びつけたのはなんだった、それは夢ではなかったのか!」

 スサノオの言葉に感応するように、鬼島の顔が徐々に変わっていった。

「――スサノオよ、なぜにお前は敵に寝返った、なぜに我との誓いを破る」

 鬼島の声までもが悲しみを秘めた重苦しいものに変わっていた。

「阿弖流為よ、俺はお前との誓いは破っておらぬ。俺の想いは、昔といささかも変わってはおらぬ」

「ならば、なぜ大和に与する坊主に手を貸すのだ!」

 鬼島にのりうつった悪路王、いや本来は蝦夷の英雄であった阿弖流為の霊が叫んだ。

「阿弖流為、この男は俺たちの敵ではない。この男は俺たちが願った夢のために死ぬことも厭わぬ男だ。頼む、阿弖流為よ、俺を信じてくれ、この男を信じてくれぬか」

「信じられぬ! 俺は昔、大和の男を信じた――友として語り合った。しかし、奴は俺を裏切った。俺を公卿どもの手に売り渡し、俺の首を跳ねたのだ……俺はあの男を信じていたのに……俺は、田村麻呂を信じていたのに……」

「お前と坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろとの友誼は俺とてもよく知っている——俺もお前が斬首されたと聞き、一時は田村麻呂を憎んだ。だが阿弖流為よ。あいつはお前にこの地の統治を任せるべきだと必死になって朝廷に進言し、お前の処分が決まった後も、最後の最後までお前の助命嘆願を願ったのだ——確かに簡単に許すことなどできないだろう。だが田村麻呂もこの地の平和を願い、俺たちの夢に命を懸けたのだ」

「田村麻呂……」阿弖流為は天を見上げた。

「阿弖流為よ、あの男も田村麻呂と同じだ。この地の平安を願い、死を賭して、この地に赴いたのだ!」

 阿弖流為の霊がスサノオを見つめていた。その目は鬼島のものではなかった。黒く深く澄んでいた。

「……スサノオよ、もし、お前の言葉がまことであれば、俺もあやつを信じよう。だがもし、あやつがお前の信に足らぬものであったときはどうする」

 そう問われたスサノオは小さく微笑んだ。

「もし、あいつがお前の眼鏡に適わぬような男であったならば、俺の命をお前にくれてやる」

 阿弖流為はスサノオをじっと見つめた。そして言った。

「分かった――ならば、俺もお前の言葉に命を賭けよう——俺ももうこの男には手を貸さぬ、だからお前も一切手を出すな。あの男が、お前の信じるに足る男かどうか見届けさせてもらう。そして、あの男が勝った時は、俺の命はお前らにくれてやる」

 その言葉とともに、鬼島の体から抜け出るように男が一人現れ出た。熊の毛皮を羽織ったその男は蹲っている鬼島を見下ろすと重々しく告げた。

「――鬼島よ。俺はお前に力を与えた。だがお前はその力を認識することで己自身の中に眠っていた鬼神力を目覚めさせた。お前はとうに俺の力など必要としておらぬ――もうお前の好きなようにしろ、お前がこの世をぶち壊そうというのなら、それもいいだろう。お前に力を与えたものとして俺はそれを最後まで見届けよう。だがその前にあそこに倒れている男とお前と、どちらがこの世を導くものであるか、俺たちに示せ。もしお前が勝てば、このスサノオの命と併せて俺の力も命も全てお前にくれてやる」

 鬼島はその言葉を聞くと、うつむいていた顔を上げた。

「……所詮、貴様も青臭い野郎だったな……俺はお前の過去も、お前の考えもへど臭くて溜まらなかった。お前ら全部、虫けらだ――負けたのはてめえの力がねえからだ! 首を切られたのはてめえが馬鹿だったからだ! 何が希望だ、何が夢だ! 何が見届けるだ! 糞みてえなこと言ってんじゃねえ――いいだろう、俺は俺の力だけで勝ってやる、お前らの力など要るかよ――俺はてめえらとは違うんだ! 俺は鬼だ! 鬼を喰らう羅刹だ! 俺は俺の力で、この世界をぶち壊してやる!」

 鬼島は立ち上がった。鬼島の体から緑色の炎が轟轟と噴き出していた。緑色に光る眼を不気味に光らせ、唇の端からは牙のようなものが覗いてた。スサノオに喰われたはずの右腕は、いつの間にかそこにあって、その手には巨大な斧が握られていた。鬼島が一歩進むたびに、その体は巨大さを増していった。その姿はまさに鬼であった、悪鬼であった、羅刹であった。

 

悪鬼羅刹

 

「……やつの力がこれほどとは」スサノオがつぶやいた。

 鬼神力は憎しみと破壊を司る羅刹の力、だが鬼神力も仏が備える力の一つという。仏に至るには、鬼神力をも身に備えねばならないのか。それはいったい、いかなる理なのか。仏にいたるためには、鬼にならねばならぬと言うのか、ならばやつのような男でも、仏足りえるというのか。

 スサノオは死んだように横たわっている楓と三蔵を見た。そして心のうちで叫んだ。

 三蔵よ、俺に確信させてくれ、やつではない、お前こそが仏に至る真の道だと! お前こそが覚者たりえる男だということを! 三蔵よ、楓よ、お前たちの命の灯はまだ消えていない。俺には見える、お前たちの体の中でかすかに揺らめいている光を。仏に至る種がお前たちの中で芽吹いているのがはっきりと見える。頼む三蔵よ、立ってくれ、俺たちの夢を潰えさせないでくれ!

 

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