歩いていた。ひたすら歩いていた。
ずっと聞こえていた泣き声はいつの間にか消えていた。
その代わりに、はるか先の方に誰かが歩いているのが見えた。
重い脚を引きずりながら、その背中を追った。
見覚えのある背中だった。
ローブを羽織って、少し腰が曲がって杖を突いていた。
必死になって重い足を動かし、その背中に追いつこうとするのだが、その距離は縮まるどころか離れていくばかりであった。
思わず叫んでいた。
待てよ……待ってくれ! エト、俺を置いてかないでくれ!
そうだエトだ、あれはエトだ。
俺に言葉と歴史を教えてくれた。
温かいスープと心地よい寝床を与えてくれた。
初めて人の優しさを教えてくれた。笑い方を教えてくれた。
いつも少し寂し気な顔をしていたが、俺のことを我が子のように育ててくれた。
なぜだ、なぜあんたは俺を孤児院に捨てた。
あんたは、俺を愛してくれてたんじゃなかったのか。
俺はあんたを実の父だと思っていた。実の父だと思って愛していた。
それなのに、なぜ俺を捨てたんだ。
なぜ、俺を一人にするんだ。
エト、待ってくれ!
一人にしないでくれ。
エト、エト!
何か聞こえた。
なんだろう。
女の声だ。
女が何かしゃべっている。
あれは、サラの声か。
サラ、お前、俺を迎えに来たってのか。
楽になれってか。
そうだな、お前と一緒に酒飲むのは悪くねえ。
サラ、疲れたよ。
もう一人は疲れたよ。
お前と一緒にいてもいいのか。
……おい、サラ、返事をしてくれ。
サラ、どこだ!
お前まで俺を置いてけぼりにするのか。
お前まで俺を一人残して、行っちまうのかよ……
どこにいけばいい。
俺はいったい、どこにいけばいんだよ。
こんな世界、もう嫌だよ。
こんな世界、大きっらいだ。
みんな、俺を一人にするんだ。
みんな、自分のことばっかりだ。
誰も俺のことなんか助けてくれない。
誰も俺のことなんか愛してくれない。
もう、うんざりだ。
もう、疲れた……
リュウの足が止まりかけたその時だった。遠い先に光が見えた。かすかな光だが、それは確かに光っていた。リュウは朦朧としながら、その光に向かっていった。一歩一歩、歩を進めるごとにその光は大きくなっていった。徐々に周囲も明るく光り始めていた。温かい空気が流れてきた。リュウはその光に向かって、一生懸命歩いた。よく見ると、その光は人の姿をしていた。リュウはまぶしさに手をかざしながら、その姿を見極めようとした。それは天使のように見えた。天使のように柔らかな笑みを浮かべて、リュウを差し招いていた。その天使が言葉を発した。それは女の声だった。
「リュウ、もう大丈夫だよ。あなたはもう一人じゃない。さあ、こっちにおいで、さあ、私の手をつかんで。帰ろう、私たちのいるべきところへ」
柔らかく、優しい声だった。なにか懐かい声だった。だがリュウは躊躇した。
「……お前もどうせ、いつか俺を捨てていくんだろ。俺はもう嫌なんだ。一人になるのは嫌なんだよ」
「リュウ、私はずっとあなたと一緒だよ。約束する。だからこっちにおいで」
リュウはその天使の顔を見つめた。その天使はまだ大人になりきってない少女だった。少女は優しく微笑んでいた。その顔はリュウの苦しみを全て理解し、その苦しみの全てを受け入れてくれているように見えた。
「――あんたの名前は?」リュウが尋ねた。
「わたしは、リオラ」
「リオラ、あんたは俺のそばにずっといてくれるっていうのか」
「ええ、あなたがもういいというまで、ずっと一緒にいるよ」
リオラの声はまるで母のような慈しみにあふれていた。どこかで聞いたことがあるような声だった。
「あなたは強い人。だけど、優しくて寂しい人。だから、私がいなくちゃ、あなたは生きていられないの。さあ私の手を取って!」
リオラが手を伸ばした。リュウはその手を見つめ、リオラの顔を見つめた。そして決意したかのようにその手を握り締めた。その瞬間、全てが消えた。
リュウは目を開いた。そこには自分の顔を覗き込む三人の顔が見えた。二人は男でいままで見たこともない顔だった。一番近くで自分を優しく見つめている女の顔だけは覚えていた。リオラ、確かにそう言った。リオラはしっかりとリュウの手を握っていた。そして、リュウの顔をみると優しく微笑んだ。