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【ダークファンタジー小説】『リバイアサン』(三十六)国王ヨセウス

 レインハルトはマナセの宮殿を出て、その足で王宮に向かった。床に伏したままのヨセウスに会うためであった。レインハルトが来意を告げると側近たちは喜色に満ち、さっそくヨセウスに取り次いだ。ヨセウスはレインハルトの来訪を聞くと、まるで息を吹き返したように喜び、寝室に通せと側近に告げた。側近に案内されヨセウスの寝室に入ると側近は下がり、レインハルト一人が中に残された。

 レインハルトの目の前にはベッドを少し上げて体を起こしたヨセウスがいた。英邁の誉れ高く、常に毅然とし、その背後からはまるで光輝が放たれているかのように輝いていた国王ヨセウス。今、そのヨセウスの額には深い皺が刻まれ、げっそりと頬こけて、小人のように小さくなっていた。ただ、その眼だけはかつてのように慈しみの心を写し、レインハルトに優しい微笑みを向けていた。

「……レインハルトよ、よく来てくれた……本当に、よく来てくれた」

 万軍を叱咤した往時のヨセウスの見る影もなく、消え入りそうな小さな声が耳に聞こえてきたとき、レインハルトの目は思わずうるんだ。

「……陛下……どうぞ、この私をお叱りください。勝手に陛下のもとを離れ、このようなお姿になるまで顔もみせぬこのレインハルトを、かつてのように叱咤してください」

「何を言う。聖騎士たるそなたは、私などよりはるかに重い責務をその肩に背負っている。私はお前の噂を聞くだけで喜びに満ち、生きる気力をもらっていたのだ――レインハルトよ、もっと近く寄ってくれ、私の目はもはや野や山を見ることさえ適わなくなってしまって、お前の顔もよく見えないのだ」

 レインハルトがおずおずとヨセウスの近くに寄ると、ヨセウスはレインハルトの顔に手をあてた。

「レインハルトよ、お前はちっとも変らぬな。いや、それどころかお前の体から神の光輝があふれているのが見える。エトが去り、私もいつあの世に旅立つか分からぬ身となった。いまや、そなただけが人々の希望だ。レインハルトよ、どうか愚かなわたしに代わって、この国を、人々を導いてやってくれぬか」ヨセウスはレインハルトにすがるように言った。

「何をお気の弱い。この国にはまだ陛下の力が必要です。いや、今こそ陛下の力が必要なのです」レインハルトはヨセウスの手を取って励ますように言った。

「レインハルトよ、この姿をみればお前も分かるであろう。私の命はもはや旦夕に迫っている。レインハルトよ、どうかわたしの最後の頼みを聞いて欲しい。わたしはそなたに国王の代行たる権利を与えようと思う。そして私亡き後は、そなたにこの国を任せたいのだ……レインハルトよ、エトの最後の言葉。あれはわたしに向かって言った言葉なのだ。わたしは自身の病を言い訳にして、この身に追った重責を放り投げ、エトの忠告をも聞かず、すべて配下の者たちに政道を委ねてしまった。その結果、悪は街中に蔓延り、国中が神を顧みず、神を蔑ろにするようになってしまった。神があきれ果てたのはエトにではない、この私にあきれ果てられたのだ――神はそんなわたしを決してお許しにはならぬであろうが、せめて最後に正しい道を敷いておきたいのだ。エトが預言したリバイアサンという怪物。その怪物がこの世を滅ぼすまであと三年、そなたが国を導いてこの世を救ってほしいのだ。頼むレインハルトよ、どうか私の最後の願いを聞いて欲しい」

 そう言って、ヨセウスはレインハルトに深々と頭を下げた。

「陛下、頭をお上げください」

 レインハルトはヨセウスの体を起こした。

「陛下、わたしにはこの国を指導する力などありません。しかし多くは語りませんが、いまやこの国は滅びに瀕しています。エトの預言は真実でした。この世に悪が広がっているのです。私はエトの命に従ってその根を断とうとしております。だがそれには陛下のお力が必要なのです。そして、陛下だけが人々を導くことができるのです――陛下、この世に神があり、神とともに生きることがどれだけ価値あり、素晴らしいことであるのか、それを国民に知らしめるのは国王たるあなたの務めです。陛下こそが船頭であり、羊飼いなのです。わたしやエトはただの使い人に過ぎません。人を救うのはわたしたちではないのです、国民とともに生きる陛下が自ら範を示してこそ、初めて人はあたりまえのこととして、神を信じ、正しい道を進むようになるのです――陛下、陛下の肩にはまだ神に委ねられたいと高き役目が残っております。辛いことは重々承知しております。ですがどうか陛下、最後までその荷を下ろさないでください。私も最後まで陛下をお支えいたします。だからどうか最後の一瞬まで私が敬愛する偉大な国王として歩んでいってください」

 

病に伏す国王

 

 レインハルトの目は涙に霞み、声は震えていた。レインハルトとてもヨセウスの余命がわずかであることはすぐに分かった。だがレインハルトはそんなヨセウスを叱咤した。まだ楽をしてはいけない。最後の時まで国民のために苦しみに耐えてくれと。それが病に侵され、気力も尽き果てんとしているヨセウスにとって、どれだけ厳しい言葉であるか、よく承知していた。だが、レインハルトは言わざるを得なかった。相手がヨセウスであるからこそ言わなければならなかった。

――人間を救うのはいったい誰だろう――

 神がエトに言った言葉。その答えは、レインハルトにもいまだ分からなかった。だがレインハルトは感じていた。誰が救うにせよ、人が救われたいと願わぬ限り、絶対に人は救われぬだろうと。そして人は、救われるためには最後の一瞬まで努力しなければならないのだと。

 ヨセウスは肩をふるわして嗚咽しているレインハルトの背中を優しく叩いた。

「――レインハルトよ、わたしが間違っていた。おまえの言う通りであった。お前に頼るのではなく、わたしが努力しなければならないのであった。レインハルトよ、わたしは最後の一瞬まで戦おう。人々のために戦うことをこの場で誓おう――だが、レインハルトよ、お前は私とともに戦うと言ってくれた。だから私は、そなたに不罰の権を与えようと思う。お前は不自由な私の代わりにあらゆることを問い質すことができる。そして、いかなることがあろうと断罪されることはない――レインハルトよ、受けてくれるな」

 レインハルトは、ヨセウスを仰ぎ見た。その姿はかつて、イラルの大軍を前にして、いささかも怯えも見せず、それどころか不敵な笑みを浮かべ、味方の軍勢を叱咤したあの偉大なヨセウスの姿そのままであった。

 

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