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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(二十)

『ツァラトゥストラの箴言』

 お前たちは腐りきっている。なんのためにこの世に生を受けたのかその意味も知らず、学ぼうともしない。お前たちは己のことしか考えず、他者を思いやることもなく、自己の権利ばかりを声高に主張する。そのくせ大衆の中に群れていないと不安でしょうがないひ弱な連中ばかりだ。己を克己することもなく、偉大な挑戦に立ち向かう勇気もなく、ただぬるま湯のような日々を漫然と送る虫けら以下の生物だ。しかもそんなおぞましい環虫のようなお前らが、我が物顔でこの大地を闊歩し、一秒ごとにこの世界を汚している。

 お前たちは覚えているか。二千年前、偉大な魂が生まれ、人間の生きるべき道を説いたことを。そして人間を憐れむあまり、自らの命を捧げ世の人間の命を贖ったことを。もし人間が彼が本当に伝えたかったことをしっかりと理解できていたのなら、彼は今でも柔和な眼差しでこの地上を見守っていてくれただろう。だがお前たちは道を誤った。お前たちは彼の教えではなく、彼の死後の奇跡のみを信仰の対象とした。結果彼は十字架に架けられた惨めな姿だけを世界中に晒すはめになってしまった。それでも彼はお前たちを愛していた。愛したが故にあまりにも不完全なお前たちに同情せざるをえなかった。だが彼はあまりに醜悪なお前たちの姿を見るに堪えなかった。そしてお前たちも、浅ましい自分たちの姿を見てしまった彼を決して許すことができなかった。その故に彼は致命的な一撃を受けたのだ。お前たちはよく知っているはずだ。神がとうの昔に死んだということを。

 

神の死

 

 お前たちを庇護する慈父はもういない。お前たちのために己の血を捧げて罪を贖おうとするものは消え失せたのだ。お前たちは自覚しなければならない。頼るべきは己自身しかないのだということを。己の肉体と精神を極め、この修羅の世界を生き抜くために闘争しなければならないということを。このことを聞いて、お前たちは恐怖に身を震わせるかもしれない。だが覚えておくがいい。我々が戦う舞台は残酷ではあるが最高の舞台でもあるのだ。人間同士が相克して己を高め合う至高の戦場なのだ。

 この世には平等を説くものどもが満ち溢れている。彼らに言わせると人間は生まれながらに平等であるらしい。なんと愚かでくだらない主張だ。お前たちは身をもって分かっているはずだ。人間は平等ではないということを。我々は生まれたその瞬間から烙印を押されている。生まれた時から何不自由なく暮らすことのできるもの、明日を生き抜く食事さえままならないもの、家族の愛情に包まれて過ごすもの、親からの虐待を受け愛とは何たるかを知らずに成長するもの、健康で強靭なる肉体を有するもの、生まれながらに病苦を宿命づけられたもの。お前たちは日毎夜毎に問うている。なぜ私はこんな自分に生まれついたのだと。

 柔弱なお前たちよ、お前たちは自分に刻み付けられた烙印によって自分の人生が決まると考えている。だがそれは大きな間違いだ。お前たちに刻み付けられた烙印は、お前たちがこの世で戦うための武器の一つに過ぎないのだ。しかもそれはまだ鍛えられてすらいないなまくらなのだぞ。それを白刃のごとく鍛え上げられるか、それともそのまま錆びつかせるかどうかは、お前たちの克己如何によるのだ。強力な武器を持たずして、どうしてこの熾烈な戦いに勝利できよう。鍛え上げられた強力な武器を持った戦士にどうして打ち勝てよう。人間は死を超越した闘争の中でこそ己を高めることができる。超人に至ることができるのだ。そして超人に至ろうとする意思こそ人間と動物を区別する唯一無二の証であり、生きるということの本当の意味なのだ。

 まず私は、お前たちに超人を教えよう。 

 超人とは、生を肯定するものである。
 超人とは、戦いを肯定するものである。
 超人とは、新しい価値を刻むものである。
 超人とは、至らぬものたちを震わす雷鳴であり、紫電である。
 
 お前たちが社会と呼ぶものがある。お前たちは社会をあらゆる価値が詰まった唯一無二のもの、人類が長い時間をかけて作り上げた最高の傑作と認識しているらしい。全く、お前たちの馬鹿さ加減には呆れかえるほどだ。

 社会とはなんのために存在するのか? かつて社会とは民族そのものであった。いわば、民族の持つ誇りや精神、民族が掲げる価値そのものであった。世界には多くの民族がいた。古代ギリシャ人は人間の叡智に最大の敬意を払い、人間の偉大さを高らかに宣言した。新大陸に集った人々は自由を何よりも尊び、世界に冠たる民族となった。極東の民族は義と公の精神を民族の戒律とし、小なりと言え世界にその名を轟かした。全ての民族にはその民族固有の魂があった。その民族足らしめる精神の戒律があった。その戒律に基づき、自分たちの進むべき道を決定し次代に民族の魂を教え伝えてきた。これこそが社会という言葉が意味する本当の姿なのだ。ところが、この社会はなんなのだ。夜な夜なギラギラと厚化粧し、ぶくぶくと太り続け、汚臭を撒き散らす。こんな社会の中でいったいどんな人間が育つというのだ。薄っぺらな価値観を声高に叫んでいる連中があちこちにいるが、そいつらの薄皮を剥ぐと出てくるのは、金をあがめ、金をむさぼり食う醜悪な生き物たちだ。金は全ての価値を量る秤となり、全ての価値は金に置き換えられその美しさを奪われた。いまや、お前たちは金をため込むことだけが目的となり、国境を越え、民族を踏み潰し、この大地を一秒ごとに穢している。

 私はこの汚濁にまみれた社会を嫌悪する。この汚らしい社会をこのまま放置していたら、環虫どもが増殖し、大地はますます汚染され、超人に至る道は永久に失われてしまう。社会とは嘔吐にまみれた偽善に満ちた世界ではなく、生きる意味を見出しうる残酷で美しい世界であるべきだ。そして、その世界は環虫どものためにあるのではなく、高い理想と不屈の闘志をもった超人たちのためにこそあるべきなのだ。

 再びお前たちに教えよう。

 社会とは、美しく残酷でなければならない。
 社会とは、民族の魂が受け継がれるものでなければならない。
 社会とは、大地と融和するものでなければならない。
 社会とは、超人が刻む価値が燦然と輝くものでなければならない。
 
 私はお前たちに超人を教えた。社会とは何たるかを教えた。だがお前たちは問うだろう。はたして私にそれを語る資格があるのかと。

 そのとおりだ、超人を説く者はまず自らが超人たりえるものであることを示す必要がある。戦いに挑み、己の魂を極めんとするものであることを示す必要がある。私は一つの過酷な戦いに勝利した。その結果、ある男は血の中に倒れることになった。お前たちは私を殺人者と呼ぶであろうか。いやお前たちは私を戦士と呼ばなければならない。超人に至るには獅子のごとく、戦士のごとく戦いに勝利しなければならないからだ。そして超人に至る道には痛みと流血が伴うことを知らなければならない。なぜなら超人が創造する価値の石板は血でもって刻まれねばならないからだ。人間は血でもって書かれたものでしか、その価値を真に認識できないからだ。血で書かれたものだけが、千年の後も大地に聳え立つ資格を有するのだ。

 私の言葉を理解できるものは少ない。だが、私の言葉を理解できるごく少数のものたちよ、私とともに、新しい世界を創造しよう。古い石板を粉砕し、新しい石板に新たな価値と戒律を刻もう。その時、この腐りきった社会は崩壊し、大地がその美しさを再び取り戻し、希望と喜びに満ちた新しい世界が到来することになるのだ。私はそのために来た。この世を超克し新たな世界を創造するために――

 

 ツァラトゥストラの声明が読み上げられるや否や、捜査本部の電話が次から次へと鳴り響き、部屋にいた捜査員全員が電話応対に追われた。近藤管理官は苦虫を噛みつぶしたような顔つきで、警視庁の上層部からかかってきた電話に応対していた。

 三十分もしないうちにテレビリポーターやカメラマンたちが捜査本部のある建物を取り囲み始めた。捜査本部への人の出入りが急増し、誰も彼も慌てふためくように走り回っていた。だが、これは始まりに過ぎなかった。

 

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