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【哲学ミステリー小説】『ツァラトゥストラはかく語りき』(四十一)

 夏も終わろうとする九月三十日の朝、警視庁に一通の封筒が届いた。中には手紙とコインロッカーのカギが入っていた。総務の担当者はどの部署に回すべきか封筒を開けて手紙を読み始めたが、十秒もたたないうちに大慌てで上司のもとに走って行った。それはツァラトゥストラからの手紙であった。

 

――警視庁の諸君へ
 ツァラトゥストラを自称するものを捕らえたようだな。おめでとう、君たちの努力に敬意を表する。これでこの事件も一件落着、君たちもようやく辛い仕事から解放されてほっと一息ついていることと思う。そういうことを思うと、君たちに手紙を送るべきか葛藤があったのだが、やはり誤りは正さなくてはならないと決意するに至った。

 あの下村武彦という男は、真のツァラトゥストラではない。彼が行ったのは、インターネットへの二度の投稿と青木健三という男の殺害のみに過ぎない。真のツァラトゥストラは、まだ君たちの前に依然として立ちはだかっているのだ。

 私がテレビに声明文を出したのち、社会に変化が生まれつつある。その中には、必ずしも私が求めるものとは異なるものもあるが、変化の兆しとして捉えれば、そう悲観するものではない。人は試行錯誤から第一歩を始めるものだ。その一歩が誤った方向であったとしても、その場にとどまり続けることよりはずっとましだ。下村武彦についても、彼がなしたことは的外れで愚かなことであったが、少なくとも彼の中の苦悩は尊重されるべきだ。人は一度苦悩の中に身を置かねばならない。苦悩を経てこそ快癒への道が開けるのだ。だから私は下村武彦を否定はしない。今となっては、彼が威厳を持って裁かれることを祈るばかりだ。

 世の中には私を聖者か解放者のように見なして、私の行為を真似たがるものたちもいるようだが、はっきりと言っておく。私は従順な弟子を欲しない。超人は常に自分の足で歩むべきだ。いつまでも師の教えをなぞらっているのは超人に至る道ではない。私が欲するのはともに歩むものであって、私の信仰者ではないのだ。

 さて本題に移るとしよう。私はこの計画を実行するにあたり、自分の全てを懸けた。言ってみれば、君たち警察に対して命を懸けて戦いを挑んだのだ。君たちが私を捕らえれば君たちの勝ち。その時は潔く計画を断念し、裁きに服そうと思っていた。ところがこの一か月、君たちは一体何をしていた。私を捕まえるどころが、やっとのことで私の名を騙るものを捕まえて、それで得意顔になってこの事件の幕引きを図るありさまだ。なんと愚鈍な集団なのだ。こんな組織が日本の治安を担う最高の集団だというのか。こんな体たらくで、どうしてこの先の苦難を乗り越えられよう。大いなる混乱の時代の中で人々を守りぬくことができよう。

 私は君たちが見当違いの結論を自慢げに語る姿を見てただ笑うしかなかった。もはや勝敗の帰趨は明らかで、私は高らかに勝利宣言を発し君たちの前から姿を消すこともできた。だが、それはフェアではないのではないかと思うようになった。私は確かに捜査という枠組みの中では君たちの追及をかわして逃げ切った。だが形而上的な戦いにおいては、まだ君たちに打ち勝ったとは言えないのでないか。君たちにも君たちなりの正義や思想があるはずだ。その思想を打ち破ってこそ、私は君たちに勝利したと言えるのではないだろうか。

 私は、君たちに最後の戦いを挑みたい。それは思想による戦いだ。私の思想と君たちの思想、どちらが優れ、どちらが人類にとってふさわしい思想なのか、それを決めるための戦いだ。私は君たちの中で資格を有するものとの討論を要求する。その資格とは、この一か月の間私を捕らえるために私と向き合い、私の思想と向き合いながら私を捕えるために必死の努力を重ねたもの、すなわち現在、捜査本部に配属されている刑事であることだ。その中から誰を選考しても構わないが、捜査本部員であることが絶対条件だ。

 私の相手が決まったら、その者の姓名とこれまでの経歴を十月二日の正午までに警視庁の公式サイトで発表して欲しい。だがもし私を欺き、くだらない学者や物知り顔の評論家ごときに刑事の仮面をつけさせて私にあてがおうとするなら、その時は覚悟するがいい。私を捕らえる機会は永遠に失われ、君たちは致命的な打撃を受けることになるだろう。

 しかし、正当な資格を有する者が私と思想戦を繰り広げ、その者の思想が私を打ち負かしたときは、私は必ず君たちの前に膝を屈し、法の裁きを受けることを約束する。だが、その勝負の判定は誰が行うのだと君たちは言うかもしれない。それは真理を追究する博識な学者であるべきか、あるいは国民の代表たる政治家こそがふさわしいか、いや、私はこの人類の覚醒を目指して旗を掲げた。そして我々が提示する思想は、人類の未来を決めるためのものだ。であるからには、この戦いの判定は人類自らが行うべきだ。

 日比谷公園に特別ステージを設置し、プロジェクターと大型スクリーンを用意してもらいたい。そして、そこに大挙して訪れるであろうすべての人間が、私と選ばれたものとの討論を生で見ることができるようにしてほしい。また、テレビ局にかけあって、全ての国民がこの戦いをテレビで見ることができるよう取り計らってもらいたい。

 同封した封筒にはコインロッカーのカギが一つ入っている。それはJR青梅駅のコインロッカーのカギだ。ロッカーの中にはノートパソコンが一台入っている。そのノートパソコンを日比谷公園に設置された特設ステージの上に配置し、インターネットがつながるようにしてもらいたい。あとはプロジェクターにつないでスクリーンにも画面を映してもらえば準備は完了だ。パソコンを起動すると、デスクトップにひとつだけアイコンがある。そのアイコンをクリックすると、あるソフトが立ち上がる。そこが私と選ばれたものとが戦う戦場だ。いわば思想のコロッセウムだ。我々はそこで意見をぶつけあい、思想をぶつけあうのだ。公衆の面前での討論というのは面白いもので、引き分けというものは存在しない。必ず勝者と敗者が生まれる。まして、自分たちの未来を決める戦いともなれば人々は必ずどちらかの思想に大いなる賛意を示す。その時が我々の裁定のときだ。 

 戦いの日は十月五日の午後二時からだ。それまでにすべての準備を整え、パソコンを起動した状態で、選ばれたものをステージの上で待機させておいて欲しい。二時になったら、私は必ず君たちの前に姿を現す。

 さて、これで私が伝えたいことは全て伝えたが、一つだけ付け加えておく。パソコンを事前に起動したり、調べようとするのは勝手だが、その結果何が起こっても責任は一切もたないのであらかじめ言っておく。また、この情報はマスコミにも提供するので、そのつもりで。 ツァラトゥストラ――

 

手紙

 

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